58日目
「失礼します」
そう言って入ってきた洋さんの表情は暗い。リビングにも、いつになく重苦しい空気が漂っていた。
「どうぞ、座って」
父さんの口調は静かだけど、有無を言わさない威圧感があった。僕は洋さんの隣に座る。
「辰夫について、知っていることを一通り話してほしい」
「その前に、いいっちゃ?」
母さんが不安そうに切り出した。
「ええ」
「何でずっと黙っとったん?家族じゃなかと??」
僕は洋さんの目を見た。「まずは君が話した方がいい」と促される。
「……俺も、話そうかずっと迷っとった。でも、話したら父さんや母さんも巻き込んでしまう気がして……」
「助けになれるかもしれんっちゃ!?親やし、子供が苦しんでいたら助けるのが務めやなかと??」
「……瑠璃」
父さんが涙目の母さんを制した。
「……改めての確認だが、洋君も知っている話と理解していいね」
「はい。私は、本業もあって関わってしまっています。極めて複雑で、そして危険な案件です。
私も、叔父さんたちに伝えるかは悩んでいました。ただ、下手に告げることで、心労を与えたくはなかった。
何より……辰夫君は死ぬつもりです」
「……えっ」
母さんの顔が蒼白になった。父さんは静かに洋さんの目を見ている。
「……続けてくれ」
「はい。辰夫君は……時期がいつかは不明ですが、比較的最近に宮東会の金を横領しました。それも根こそぎ。
そして、姿をくらますとともに彼にとって親しい間柄の人間にその金を配り始めた。もちろん、戸倉家にもです」
「……そんなことは聞いてないぞ」
父さんが僕を見た。僕は思わずうつむく。
「……ごめん、父さん……でも、あの金は危ない金だっちゃ……下手に言ったら……」
「勇人、ここから先は私に任せてくれ。……話を戻していいですか」
洋さんが、お茶を一口啜る。「頼む」と父さんが短く返した。
「……勇人君の判断は正しかったと思います。案の定、宮東会から金を受け取った人物に接触がありました。……それも、酷く暴力的なやり方で。
幸い、宮東会は一枚岩ではなく、比較的穏健な方が私たちを庇護しています。……今のところは。
それでも、そんなことをした辰夫君は宮東会にとって決して許されない存在となりました。彼もそれを承知しています」
「……どうして死ぬつもりと言い切れるんだ」
「辰夫君は……勇人君ら一般人に手を出さないという条件付きで、金を戻し出頭すると言っています。
実は、私の所にも彼から連絡が」
「……何故君に」
「分かりません。ただ、彼は私が読日の記者であることを利用しようとしているのかもしれません。
そもそも、彼は3年前の彼とはまるで別人です。高いハッキング能力を持ち、こちらの行動をどこかで見ている。
今、こうして話している内容も……辰夫君は多分聞いています」
ドンッ
父さんが珍しく怒気をはらんでテーブルを叩いた。
「なぜ俺に言わん!!!」
「……やはり、心労を掛けさせたくなかったんでしょう。極力普通に、気付かれないまま姿を消したい。
それが、辰夫君の願いと推測します。多分、勇人君の病気も知っているでしょうから……これ以上負担はかけさせたくない、と」
「……そもそも、何でそんな無茶なことを……」
「推測ですが、宮東会そのものと刺し違えるつもりなのかもしれません。あるいは、恋人の死の責任がある彼らへの復讐とか……」
おかしい。僕も詳しく話を聞いたわけじゃないけど、これまでの流れには1つの矛盾がある。
父さんもそれに気付いたみたいだった。
「さっき、金を戻す、と言っていたな。……今そんなことをしたら、復讐にはならないはずだ」
「……確かに……」
洋さんも考え込んでいる。そう、兄ちゃんはあまりに柳澤に譲歩し過ぎている。
このままだと、ただ死にに行くだけだ。……何かが変だ。
ティロン
僕のスマホが鳴った。……兄ちゃんからのメッセージ!?
慌ててそれを確認する。
「2番目のパスワード *********」
ごくり、と唾を飲み込む。同時に、電話が鳴った。
「……もしもし」
「俺や。辰夫たい」
「……兄ちゃん!!?」
僕は皆に会話が聞こえるように、スピーカーモードに切り替えた。
「皆揃っとるんやろ。……父さん、すまんっちゃ」
「すまんじゃなか!!……今、どこだ」
「それは言えん。まだ。ただ、疑問はもっともたい。もちろん、このままただで死ぬつもりはなか」
「……宮東会とやりあうなんて馬鹿な真似はよせっ!!」
「それはできんっちゃ、父さん。ナツの命を奪った奴らたい、どんなことがあろうと確実に潰す」
父さんが震えている。洋さんが父さんを制して、口を開いた。
「……昨日の写真。柳澤に渡したのは君だな」
「そうたい。でも、記事にはまだせんのやろ?」
写真?一体何のことだろう。しかし、洋さんの表情から深刻な何かが起きているのだけは分かった。
「ああ。政権の中枢にいる川口大臣の大スキャンダルだ。裏は丁寧に取りたい。
それに、理由は分からないが何か引っかかる。まだ、上司にも相談していない」
「さすがっちゃ。すぐに記事にされたらどうしようかと思っとった」
「……フェイクか!」
「厳密には半分フェイクっちゃ。黒原派を追い落とす材料だと柳澤に思わせるために、画像の一部を細工しちょる。
洋さんには別の機会にちゃんとしたのを送るけん。柳澤に何か言われたら、しばらくは『取材中』でしら切っといて。動くタイミングはこちらから教えるけん」
「……辰夫」
父さんが口を開いた。その表情は、今まで見たことがないほど険しい。
「大丈夫。勇人のためにも、まだ俺は死ねんたい。やるべきことを全部やりきるつもりっちゃ」
「それが終わったらどうするつもりだっ」
「……また連絡するたい。マレーシアで頑張ってや。
2つ目のパスワードは、まだ使わんといて。といっても、意味は分からんやろけど」
一方的に電話は切られた。父さんがもう一度、さっきより強くテーブルを叩く。
こぼれたお茶を、しばらく誰も拭こうとはしなかった。




