51日目
「かなり良くできてるな」
洋さんがプリントの採点を終えて小さく頷いた。
「本当ですか?」
「遅れてるんじゃないかと心配していたが、意外と頑張ってる。休んでる間、自分でやってたんだな」
「時間だけは幾らでもありましたけん。暇な時間は折り紙と勉強ばっかりだったとです」
僕はとりあえず洋さんの家庭教師を再開することにした。もちろん、受験に向けてというのもある。
ただ、それ以上に兄ちゃんについての情報を交換するのが目的だ。勉強の合間に、僕と洋さんは現状を整理していた。
洋さんが椅子に座り直す。
「……前にも少し連絡したが、辰夫は整形している可能性がある」
「はい。でも、兄ちゃんと最後に会ってから1ヶ月半しか経ってないです。そんなに短期間でできるものなんですか」
「簡単な整形なら1週間もあれば十分だ。例えば瞼の整形とか。目だけで人の印象はまるで変わる。
そこにダイエットや多少の変装を加えれば、そうそうは分からない。
私も変装して逃げようとした相手には何回か会ってるから、そこはよく分かる」
なるほど。確かに新聞記者だとそういうのもあるのかな。芸能人とか、政治家とか。
「でも俺、そんなに出歩く機会ないですよ。少なくともしばらくは」
「学校に行くにしても、叔母さんの送迎付きだしな。だから、今辰夫が『見ている』のは多分君じゃない。
俺も多分ないな。社会人だし、何より俺は警戒されている」
「そうなんですか?」
「警戒、という言い方がおかしかったかな。辰夫からしたら、俺は多分『格上』だ。年齢もそうだし、一応東大卒だ。
辰夫からしたら、私に見付けられるリスクが高い……と思うだろう」
「じゃあ、兄ちゃんは今」
「君の彼女か、辰夫の元カノの弟か。どちらかの近くにいる可能性は高い。
2人とも、辰夫の顔は知らないか、あるいはよく覚えてないだろう。私なら、2人の近くにいるはずだ」
……なるほど。洋さんの言うことには筋が通っている。ただ……
「どういう形でいるんでしょう」
ボールペンを置き、洋さんが天井を見上げる。
「コンビニかファミレスの客……そんな辺りかな。ただ、仮に気付いたとしても、それを悟られない方がいい」
「どうしてですか?」
「少なくとも、君の彼女は柳澤がマークしている。気付いたら、柳澤は辰夫を確保してしまうだろう。
柳澤は彼をすぐには殺しはしないはずだ。ただ、辰夫は良くて『生きる屍』だろうな」
「『生きる屍』」
「要は、君が治る目処ができるまで生かしておくだけ、ということだ。金を押さえて、君の治療の支援には使うかもしれないが。
どちらにしろ、いつかは消される」
「柳澤が僕を支援?」
「……まあそれについてはおいおい、な」
洋さんは随分と確信を持っているようだ。それがどうしてかは分からないけど。
とにかく、兄ちゃんに気付いても無視した方がいいというのは間違いなさそうだった。
「分かった。2人に伝えとくっちゃ」
「頼む。ただ、指原ってのは危なっかしいな。改めて、念押ししてくれると助かる」
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洋さんが去って、僕は早速2人にLINEを入れた。洋さんが危惧していた通り、指原は「気付いても無視しろ」というのには反発したけれど。とりあえず、これで一応の布石は打てた。
ただ、このメッセージは兄ちゃんに知られている。兄ちゃんはそれでも、2人を見守るのだろうか。
……あるいは、直接見なければいけない理由がある?
それが何かを考えようとしたけど、急に身体がだるくなってきた。オプジーボの副作用か。
体調にはやっぱり波がある。……くそっ。
とりあえず、一度寝てから考えよう。確実に言えるのは、まだ兄ちゃんは何かを隠している。




