50日目
コポコポコポ……
ヤカンから静かにお湯を注ぐ。暗い中で溢さないようにするのは一苦労だ。
カップラーメンの蓋を閉じ、その上に液体スープを乗せる。
スマホを見て時間を確認する。……もうこんな時間か。
廃屋の埃っぽい臭いにも、もう大分慣れた。ただ、自分の身体と頭の臭いは、どうしても気になる。
水道で汗を流すのには、どうしても限界がある。それに、何より冷たい。これまで風邪を引かなかったのは幸運とも言える。
「一度垢を落とさないとあかんなあ」
僕はひとりごちた。
公共交通機関は使いにくいけど、仕方あるまい。明日はK市から離れた、どこかのスーパー銭湯にでも行くとするか。
僕の……戸倉辰夫の「新しい顔」は、まだ誰にも割れていない。しかし、洋さんに整形の事実を気付かれた。彼が、そして宮東会が探し始めるのは、もう時間の問題だ。
一重を二重にし、髪型を変え、多少ダイエットしただけでも存外にバレないことは分かっている。それでも、恐らくそう遠くないうちに宮東会は僕に辿り着く。
暢気に湯船に浸かっていられるのは、もうそろそろ難しくなりそうだ。
「まあ、ええか。……大分いい感じになったけん」
どうにもこの生活を送るようになって、独り言が増えた。僕も少しは人恋しいのだろうか。思わず苦笑した。
人生、思い残すことのないよう走りきる準備はできたと思ってたけど……まだ未練があるみたいだな。
ピピピ、ピピピ
タイマーが鳴る。僕は蓋を開け、液体スープを注ぎ、ゴマ油を少し垂らす。
ここにはほとんど物がないけど、これはその数少ない例外の一つだ。これがあるだけで、多少は単調な飯が旨くなる。
「頂きます、と」
ズズズ、とまだ固めの麺を啜る。スポンジのような麺を噛みながら、僕は勇人と柏木さん、そして洋さんのことを考えていた。
勇人の方はさほど心配は要らない。自宅から出歩く機会は少ないし、学校に通うにしてもしばらくは父さんか母さんが送り迎えするはずだ。
問題は、柏木さんと洋さんだ。
柏木さんは、そろそろ救わないといけない。僕を見付けられない以上、黒原が何をしでかすかは分かったものではない。
……あれを使うか。逆探できないように工夫する必要はあるけど。
洋さんは……どうすべきか。まだ、彼の前に姿を出せる状況にはない。ただ、彼も、そしてその彼女も黒原に狙われている。
柳澤がついていると言っても、限度はある。血を流してもいいというなら柳澤と黒原を正面から争わせればいいだけなのだけど、そういう事態はなるべくは避けたい。どれだけ死ぬか、分かったもんじゃないのだ。
ズズズ……
カップラーメンの汁を、一気に飲み干す。……あとで考えるか。
ノートPCを開く。画面にウィンドウがたくさん表れた。
「解読」は、ひとまず順調のようだ。この分なら、全ての「金庫」を開けることもそのうちできるだろう。
「……ナツ、もうすぐだっちゃ」
僕は、また小さく呟いた。無謀と嗤われてもいい。家族を捨てて、先に逝くのも覚悟はできている。
ただ、これだけは……これだけは完遂させたい。「それ」は僕が生まれてきた理由でもあるからだ。
そして、勇人を病から救う。そこまでできたら、もう悔いはない。
僕の人生は、もう残り短い。ならば最期まで、思い残すことなく生き抜いてやる。
#
これは、僕が死ぬまでの物語だ。




