37日目
「どうするんですか、結局」
芙美が遅めの朝食を置いて言った。皿には少し焦げた目玉焼きとベーコン、それと買い置きのサラダが乗っている。
「……まだ決めかねている。正直、手にしたはいいけどどうしたものかな」
私はスマホを見ながら答えた。画面には柳澤の名刺が移った画像が表示されている。
昨日の夕方に、勇人から転送してもらったのだ。
直接電話したところで、まずまともに相手はしてもらえまい。良くて不審人物と疑われ、狙われるのが落ちだ。
かといって、この住所に乗り込むのも自殺行為だ。こちらから連絡する方法は手に入れたが、どうやれば彼を味方にできるのかは皆目見当が付かない。
辰夫の従兄弟であることを教えるか?しかし清原刑事が狙われた今、私たちも監視対象になっていることは想像に難くない。その程度で動くとも思えない。
ならブラフを掛けるか?しかし、どんなブラフなら柳澤は動くだろうか。
それに第一、それを見抜かれたら私の命は危うい。私だけならいいが、巻き込んだ形の芙美まで狙われるのは耐えられない。
全く答えが出ないまま、私はコーヒーを飲んだ。……気のせいか、かなり苦い。
ヴー
携帯が鳴った。LINEのメッセージ?差出人は「DRAGON」とだけある。知らない名だ。
タップして確認する。そこには……
「辰夫です。確認したいことがあります。勇人、入院中なんですか」
一気に心拍数が上がった。まさか!?
私は震える手で、フリック入力する。何回か打ち間違えた。芙美が不思議そうな顔でこちらを見ている。
「それは事実だが、どうしてそれを」
すぐに返事が返ってきた。
「それは言えません。ただ、重い病気なんですよね」
どこまで知っている?ただ、彼にハッキング能力があり、スマホ経由で勇人の行動を全て確認できているなら……そのぐらい知っていてもおかしくはない。
「メラノーマ、皮膚癌だ。ステージ3、明日から抗がん剤の投与が始まるらしい」
返事が返ってくるまで、1分ぐらいかかった。
「やはり」
「どうするつもりだ。いつまでも宮東会から逃げ切れるわけでもない。既に勇人には幹部が接触している」
「分かっています。柳澤でしょう?」
そこまで知っていたか。芙美が事の異常さにようやく気付いた。
「谷口さん、どうしたんですか」
「辰夫だ。どうやって知ったか分からないが、私にLINEでメッセージを」
彼女が真剣な様子で私のスマホを覗き込んできた。
私は辰夫への返事を再び入力し始める。
「そこまで知っているなら、事の重大さは分かっているはずだ。問題はもうお前だけの問題じゃない」
「柳澤、勇人に手出ししなかったんですって?」
「そうだが」
返事が来るのが少し遅い。何か考えているのだろうか。
「洋さんから交渉してくれませんか。『戸倉辰夫の代理人だ』と」
「何を言っている」
「僕の推測が正しいなら、勇人が峠を超えるか、あまり考えたくないですが死なない限り彼は僕に手出しができない」
「どういう推測だ」
全く意味が分からない。そもそも、戸倉辰夫はこんなにすらすら考えが出てくるような男だったか?
3年会っていない間に、一体どれほどの変化があったのか。いよいよ分からなくなってきた。
私の混乱をよそに、すぐに返事は返ってくる。
「それはまだ言えません。ただ、柳澤にも柳澤の事情がある。
あの男は筋は通す男です。勇人が癌だと知れば、勇人も僕も殺せません」
「理屈が全く分からない。ちゃんと説明してくれ」
また少し返事が来るまで間が空いた。芙美は「どういうことでしょう」と首を捻っている。
しかし、返ってきたメッセージはそれに答えてはいなかった。
「僕を狙っているのは、柳澤だけじゃない。宮東会には最過激派の『黒原派』と最大派閥の『那珂川派』がいます。柳澤は後者の派閥です」
「どちらも僕を狙ってますが、両者は対立している。つまり、黒原派に僕を取られるくらいなら、柳澤は僕を守ろうとするはずです」
「私に何をしてほしいんだ」
「簡単です。勇人の病状、並びに僕についての情報は洋さんを通して適宜教える。
そして、勇人に治る見込みが立ち始めたら、僕は手持ちの財産と共に柳澤に投降すると伝えてください」
「馬鹿な!!」
私は思わず声を荒げた。そんなことをしたら……辰夫は確実に、100%確実に殺される。
「谷川さん、これって!?」
「……分からない。しかし、これは……」
私は震える指で、辰夫に返事を打つ。
「殺されに行くようなものだぞ」
「ええ。覚悟の上です。そうしないとこれは終わらない。
ただ、僕が殺される前に、勇人の命だけは救いたい。柳澤はそれを止めないはずです」
なぜそこまで確信が持てるのだろう。
そして、同時に確信した。
戸倉辰夫は、自分が死ぬという前提で動いている。
「自分の命を粗末にする意味がどこにある!」
私は思わず強い語調で返した。しかし、返ってきたのは思わぬ言葉だった。
「今僕が生きている意味は、誰かを救うことにしかないんです。
それが済んだら、死んでも一切の悔いはない」
どこか悟ったような言葉だった。「どういうことなんだ」と問いかけたが、そのメッセージは既読のまま放置され、返事はなかった。




