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100日後に死ぬ僕  作者: 変愚の人
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34日目

「どれだけ着替え入れればいいんかねえ」


不安そうに母さんが言う。僕は努めて明るく言った。


「多分1週間分ぐらいあれば大丈夫っちゃ。それに、多少延びたら洗えばいいだけやけん」


「そうだけどねぇ……」


僕はこの前の咳のことを、母さんには伝えていない。肺転移の可能性なんて言ったら、きっとパニックになってしまうだろう。

兄ちゃんの時もそうだったけど、母さんは普段は明るく暢気だけど、結構打たれ弱い。冷静な父さんがいない今、あまり無駄に刺激はしたくなかった。


僕自身も、正直不安で心臓がバクバク言っている。「悔いの残らないように全力で」とか美里には言ったけど、この前の咳はその決意を揺るがせるに十分なものだった。

あんな気持ちの悪い咳は、今までしたことがない。僕にはそんなに医学的な知識はないけど、肺転移というのがいかにヤバいものかは薄々知っていた。


そして、別の意味での命の危険も感じていた。宮東会の柳澤。

なぜ僕を見逃したのかは分からないけど、間違いなくあの時彼は僕を殺すつもりだった。少なくとも、殺してもいいと思っていた。


自分の命が明日にも消えるかもしれないという恐怖。それを悟られないようにすることが、こんなに難しいものだとは。


僕は唇を噛んで、目をつぶる。……大丈夫だ。あの気持ちの悪い咳は、あれから出ていない。

それに、いくら宮東会といっても病院の中まではやってこない。少なくとも1週間は、僕は生きていられる。

大きく息を吸って、吐いた。……よし、いつも通りだ。


「母さん、そろそろ出ないと。昼前に九大病院に行く予定だっちゃ」


「あ、本当。もうこんな時間やん」


母さんが着替えの入ったカバンを持とうとした。僕は「いいっちゃ」と自分でそれを持つ。


人生初めての入院生活が始まる。


#


「どうぞこちらへ」


笹川教授が座るよう促した。……緊張で掌に汗が滲む。


「どうなんですか」


「センチネルリンパ節生検ですが、やはり転移がありましたね。癌細胞の数も多いので、リンパ節郭清は必要でしょう。問題は、こちら」


モニターの画面が切り替わった。CTの画像みたいだ。


「脳は大丈夫でした。メラノーマで転移するのが一番多いのは、ここですから。ただ、肺が微妙です。……ここ、分かります?」


笹川教授が指さした所は、小さいけど薄く汚れているようにも見える。


「これって、まさか」


「断定はできません。ごく軽い肺炎か、肺にできた空気の袋『ブラ』か。ただ、初期の肺癌の可能性も否定はできない。

一応、ステージ3の可能性が非常に高いと思います。リンパ節郭清の手術を明日行い、体力的に問題がなければ化学療法、つまり抗がん剤の投与を行います。問題は、どの種類の抗がん剤を使うかですが……」


「オプジーボにして下さい」


「母さん??」


母さんは即答した。


「いいんですか?保険対象とはいえ、高額治療ですが」


「息子が治るなら、お金はいくらかけても」


「了解です。あとで詳しい見積もりはお伝えします。ただ、オプジーボの『打率』は5割です。そして抗がん剤ですから、副作用も当然ある。

通常の抗がん剤治療と違い2週間に1回の投与で済みますが、そこは覚悟してください」


「はい」


「分かりました」


僕と母さんは揃って頷く。


「とりあえず、最初はオプジーボだけで行きます。ヤーボイとの併用は負担の大きさもあるので様子を見ながらにしましょう。

スケジュールはこんな感じですね」


サッサッと手元のメモに笹川教授が書き込んでいく。


「リンパ節郭清、及び他のリンパ節への転移を確認するための生検を同時に行います。これは全身麻酔でやります」


「部分麻酔じゃないんですか?」


「あれとは切除の大きさも大分違うからね。傷の治りも遅いから、1週間の入院は必要になる。

手術の後脇がしばらく腫れるけど、そこは我慢してほしい。リンパ節を取ることに伴って免疫力は低下するけど、君は若いからそこは大丈夫だと思う」


僕の問いに、笹川教授は静かに答える。場数を踏んでいるからなんだろうけど、冷静な人だな。

それにしても、全身麻酔か。……どんな感じなんだろう。率直に言って、恐怖心はある。


「それからオプジーボの第1回投与。術後の経過を見つつ、大体1週間で退院かな。

あとは2週間後1泊2日の入院。検査とオプジーボの2回目投与。それをとりあえず続けていく形だ」


「効果が出ない場合は?」


「3クール目で大体は判別できる。その場合、ヤーボイとの併用を考慮するか、あるいは別の方法になるね。

転移があれば手術での切除も可能なら考える。ただ、ステージ4が確定したら基本は化学療法だ」


「……ステージ4だと、どのぐらい生きられるんでしょう」


母さんの言葉に、笹川教授が黙った。


「……はっきりとしたことは申し上げられません。ステージ3で50~60%とされていますが、オプジーボの登場でこれは改善されています。ただ、ステージ4は……予後は良くないのです」


「か、覚悟を決めた方が、いいんでしょうか」


涙目で震える母さんの肩に、笹川教授の手がそっと置かれた。


「そうならないように努力します。それが私たちの仕事です。

それに、現状ではステージ3の可能性が高い。ステージ4でも5年生存する患者はいます。そこは、勇人君を信じてあげてください」


「……はい」


教授が僕を見た。


「ここから先は、君自身の気持ちも大事だ。一緒に頑張ろう」


「……はい」


正直、死への恐怖は消えていない。でも、笹川教授の強い視線が、僕を勇気づけたのも確かだった。

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