31日目
「……どうしたものか」
私はスマホを片手に悩んでいた。
昨晩、勇人からもらった情報が極めて重要なものであるのは間違いない。それをこれから清原刑事に伝えるのは当然だった。
ただ、悩んでいるのはそれではない。これを宮崎に伝えるべきかどうか、ということだ。
記者としてネタを他社に漏らすのは絶対的にアウトだ。まして、この話は間違いなくスクープの素になり得る。
この話をこっそりと清原刑事に伝え、関係をこちらだけで完結すれば……今後独占的に情報を流してもらえる可能性は極めて高い。
記者としてそうすべきなのは明白だった。宮崎との付き合いも短い。このネタを彼女に漏らす義理もない。
なのに、どうして私は悩んでいるのか。彼女に打ち明けられた好意にどう応えるべきか、その答えが出ていないからだ。
恋愛経験がないわけではない。ただ、この性格だ。あまり長続きしたことはない。
恋愛向きの人間でないのは、自分が何より理解している。
もちろん、私が彼女をよく知らないというのもある。基本的に、深い人間関係は苦手なのだ。
それでも彼女を切りきれないのは、私が少なからぬ好意を彼女に持っているからだろう。
外見だけでなく、あの底抜けの明るさは私にはないものだ。羨ましい、と思ったこともある。
そして、このネタを宮崎に伝えるということは……宮東会を巡る一連の話に彼女を巻き込む、ということでもある。
私は辰夫の身内だからまあいい。しかし、宮崎は無関係だ。これ以上は、彼女を本格的に危険に晒すことにもなりかねない。……その覚悟はあるのか。
……答えが出るまで、小一時間ベッドの上で考えていた。私が選んだのは……
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「休日にここに呼び出す、言うんは余程のことやろな」
不機嫌そうに清原刑事が言う。私は小さく頷いた。
「はい。戸倉辰夫の件です。ご相談も兼ねて」
「……なるほど。じゃ、始めるたい」
「いえ、まだ揃ってないので。大将、『おきゅうと』を」
「しのぶ」の大将に言うと、黒っぽい緑色のところてんみたいなものに、ポン酢醤油がかかったものが出てきた。
私はそれをつまむ。独特のくにゅりとした食感に微かな潮の香りがした。
「大分こちらにも慣れてきたんか」
「ええ、まあ。食べ物は本当に美味しいですね、特に海産物は」
「そやろ。水に慣れるには食と酒たい」
「ええ、本当に。彼女のお蔭です」
「彼女?」
「ええ。……あ」
ガラガラッと戸を開ける音がした。
「こんばんわぁ!谷口さ……あ、清原刑事も」
宮崎が一瞬喜色を出した後、すぐに落胆したのが分かった。私は苦笑する。
「すまない。大事な話なんでね、君にも聞いてほしかった」
「……え?」
「すぐに分かる。戸倉辰夫の話だ」
「……!!勇人君のお兄さんの……」
事情はすぐに察したようだった。私は彼女をカウンターへと促した。
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「……奇妙やな。幾つも不可解な点がある」
「さつま白波」の牛乳割りを置くと、清原刑事が呟いた。私は頷く。
「まず3000万円という額。あまりに多すぎます」
「そう、多い。貧困家庭に支援しているといっても、せいぜい100万程度と思うとった。しかし3000万円は巨額や。税務署からも確実に目付けられる。
にもかかわらず、何でそんな額を、どうやって贈ったのか。全く解せんちゃ」
「株やってたって言ってたから、それでは?」
宮崎の言葉に、清原刑事が首を振る。
「株で3000万円はかなりの額たい。3年で資産を増やしたとしても、軽々しく出せる額やないと。
そもそも、それだけの額をポンと出すなら、辰夫の資産総額は億はないとおかしいたい」
「お、億?」
「そう、億。それも数億単位やな。辰夫がどれだけの家庭を支援したかは分からんけど、それぐらいはあると考えるのが自然っちゃ。
弟の彼女の家庭相手だから多少今回は盛っているにしろ、それでも辰夫は億万長者でないと説明がつかん」
「……馬鹿な!?辰夫にそんな知識が……」
私に清原刑事がため息をついた。
「相場は学歴や知識やないと。勘っちゃ。俺も昔ある相場師と付き合いがあったから分かると。
総資産100億円以上の凄腕投資家が、大学も出ていないというのがあるのがこの世界たい。
辰夫にそういう天賦の才がないとは限らん。あまり想像ができんのも確かなんけど」
「……そんなものなんでしょうか」
私は辰夫を思い出した。あまり投資には縁がなさそうなタイプには見える。
ギャンブルは好きだったようだが、大儲けしたという話は聞いたことがない。
「だからこそ引っかかっとる。株だけで数億を3年で、というのは無理たい。ほぼ不可能と言っていいたい。
可能性は2つ。そもそも強奪した元手がそのぐらいあった。もう一つは、もっとハイリスクな資産に突っ込んでいた。それこそ未公開のベンチャー企業株とか」
「それで一気に資産を増やした?」
「そういうことたい。それが今宮東会が血眼になって辰夫を追っている理由かもしれん。
それともう一つ。どうやって辰夫は勇人を監視していたか。探偵かと言っとったけど、本当にそうやろか」
「え?」
清原刑事はタイの刺身を口に放り込んだ。
「もしそうなら、何で今まで探偵を宮東会が捕まえて締め上げなかったと?
辰夫はもちろん、戸倉家も今のところ無事たい。しかも3年間。探偵を雇っていたにしては長期間過ぎるっちゃ。
辰夫は末端のチンピラやと思うとったけど、何かが変っちゃ。少なくとも、何かしら持っとる。
あるいは優秀な助言役がいるのか……それがどうにも分からんっちゃ」
宮崎が手を挙げた。
「というか、何でそんなにお金持ちなのに、勇人君の家を直接支援しなかったんでしょう?」
「……それは多分、そうすることで宮東会の目をそっちに向けさせたくなかったんやろな。
ただ、そうなると弟の彼女という近い関係の相手に、しかも身分を明かして支援したのが引っかかるっちゃ。
辰夫も辰夫で、あまり余裕がないのかもしれんっちゃねえ……」
牛乳割りを飲み干し、清原刑事が立ち上がる。
「え、どうされたんですか」
「ちょっと、気になることができたっちゃ。分かったら、また連絡するけん。
それに、谷口。その娘と、話したかったんやろ?」
「……えっ」
にやりと清原刑事が口の端を上げた。
「隠しても無駄やけん。こんな重大な話、普通ならサシですると。
にもかかわらず、律義に宮崎記者呼んだのはそういうことやろ?」
「……邪推ですよ」
「や、刑事も30年やってると人の心が読めるっちゃ。この話は間違いなくヤバいヤマたい。
それに自分がかかわることになると、知らせたかったん違うか?その娘がそれなりに大事になってきたから」
私は言葉に窮した。顔が熱いのは、酔いのせいだけではない。
かはは、と清原刑事が笑う。
「まあ、あとは2人でちゃんと話してくれっちゃ。人の恋路を邪魔する奴はなんとやら、やしな」
カラララ、と引き戸が閉まる。宮崎を見ると、彼女の顔も赤くなっていた。
「……今の話、本当ですか」
「違う、と言ったら嘘になる。……このネタが危険な話であること、そして私が立場上それにかかわらざるを得ないこと。それを知ってもらいたかった」
「どうして」
「……どうしてだろうな。ただ、私に何かあった時、動揺してほしくなかったから……かな。
君にキスされた時、正直混乱した。今でも、君をどうすればいいのか、答えが出てない。
ただ、君をないがしろにしてもいいと思えるほど、君の存在は私の中では小さくない。それも確かだ」
「……ちゃんとはっきり言ってくださいよ」
彼女の胸が右の二の腕に当たるのが分かった。彼女を見ると、また潤んだ目で私を見上げている。私の鼓動が、どくんと跳ねた。
大将をちらりと見る。一瞬目が合ったが、「私は見ていません」とばかりにそっと視線を外された。
それを確認した上で、私は軽く、彼女の唇に自分のそれを重ねる。
「これでいいだろうか」
「だからちゃんと言ってくださいって」
そう言いながらも、宮崎は泣きながら笑っていた。




