19日目
「……しばらく休ませてくれ、やと?H福岡との練習試合、控えとるのに?」
秀哉が目を丸くした。僕は苦笑いする。
「すまん、指、良くないん。ちゃんと治してから復帰するわ」
「指かあ、例の中指?」
「そそ。戻ったら、バリバリトス上げるけん」
「そりゃしゃあないたい。でも、お前抜きだと虐殺確定やなあ……いつ頃戻れると?」
「……分からん。明日病院行くけん、また連絡するわ」
「……そか」
心配そうに秀哉が僕を見る。努めて自分の身体のことは悟られないよう明るく振る舞ってみたけど、やっぱり感じるところはあるのかな。
……でも、僕はとりあえず前を向くことに決めた。できるだけ、明るく、前向きに。
それは、昨日会った美里のおかげだった。
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「……ごめん、バイトあるんに」
「ええよ。……何があったと?」
昨日、バッタリ会った僕らは近くのスタバに入った。僕はドリップコーヒー、美里は何とかフラペチーノという甘そうなのを頼んだ。
美里の胸の中でしばらく泣いて少しは落ち着いたけど、心はまだ混乱している。油断すると、涙がすぐに溢れてしまいそうだ。
僕は右手の甲を差し出した。
「……これ、病院で診てもらったん」
「これって……爪のこと?血豆にしては、確かに治らんなあと思っとったけど」
「うん……血豆やないって。黒子で、しかも……良くないものやって……」
元々色白の美里が青ざめていくのがすぐに分かった。
「良くないって」
「明日、福岡に行って診てもらうことになった。そこで、少し手術するって」
「……お母さんには」
「まだ言っちょらん。……どう言えばいいか、分からんもん」
一瞬、美里の両目から涙が2筋流れる。そして、ブンブンと首を振ってそれを振り払うと、バンッとテーブルを叩いた。
「しゃきっとしぃ!!戸倉勇人!!」
「……え?」
こんな剣幕の美里は初めて見た。喧嘩が今まで一回もなかったわけじゃないけど、困ったように頬を膨らますぐらいだ。
それだけに、あまりに突然叫ばれた僕は固まってしまった。
「まだ深刻な病気って決まったわけじゃなかろうもん!!何でそんなに凹んどるん??明日死ぬとか、そう言われたわけ??」
「い、いや、違うけど……」
「そやろ??なら泣くな!!ちゃんと前を向き!!優しい勇人は好きやけど、そんなぐじぐじしとる勇人は好かんっ!!!」
美里の目には、涙が滲んでいる。彼女も、泣くのを我慢しているんだ。それなのに……
彼女は、僕が考えるよりずっと強い子なのかしれない。急にそう思えた。
「ごめんな……確かに、そうたい」
「どんな病気か、私は知らん。でも、たとえそれが命に関わるような病気でも……
どんな病気にかかったとしても、最期まで笑って、前向いて、悔いなく生きろって……私、そう言われたから」
「誰に……あっ」
「うん。……小さい時にパパが死んだって話、しとるよね」
「うん。……まさか」
「そう。さっきの、パパの受け売りなん。
パパがもうすぐ死ぬかもって時に、私わんわん泣いて。それで、パパはああやって叱ったん。
パパが私を叱ったのは、あれが最初で最後。でも、あれはきっと一生忘れない」
美里が涙を拭った。そして、泣きそうになりながら、無理して作り笑いしたんだ。
「勇人の病気がどんなのか、私は分からん。でも、私はパパが死んでから、今を全力で、悔いなく生きたいと思うようになったん。
だから、勇人にもそうあってほしいの。今は辛いかもしれんけど……でも、勇人には前向いて、笑っててほしいの」
僕の胸の中に、熱いものが広がっていくのが分かった。……そうだ。死ぬって決まったわけでも、何でもない。
だったら、せめて……悔いなく足掻いて、足掻ききってやろう。目の前にある今を、生きていこう。
すぐにできるかは、分からないけど。
僕は冷めきったコーヒーを啜った。自然と笑みがこぼれる。
「……美里、ありがとな」
「うん。……手術のこととか、分かったら教えて。……あ、もうこんな時間!!」
美里はほとんど飲んでないフラペチーノを残し、「じゃあ、また金曜に!」とだけ言ってスタバを出ていった。
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母さんには、できるだけ深刻にならないように手術のことを伝えた。
九大病院に行くって言った時はさすがに血相を変えたけど、「念のためやから」と言って説き伏せた。
兄ちゃんが出ていった時みたいに、悲しむ母さんの顔は見たくなかった。伝えるのは、病名が確定してからでいい。
何にせよ、明日からだ。手術は怖いけれど、何とか頑張ろう。
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それが甘かったのが分かるのは、そう遠くなかった。




