おじさんは、歩いているだけで怪しまれるのだ。
昼前に、ハローワークを後にした。
昼食を取るためだ。
失業中なのだから、家から持ってきたおにぎりでも頬張ればいいのだが、ハローワークには弁当を使えるようなところはない。
そもそもここは弁当持参で一日過ごすようなところではないのだ。
どの人も滞在時間は短い。
人生のうちの束の間の時間のみ立ち寄り、また次の場所へ出掛けていく。そういった場所なのだ。
ハローワークに通うようになってから、昼食を取る場所はいつも決めていた。
特に駅で降りる人の数が多いような日には、いつもそこだった。
私はさっき曲がった角を、反対に曲がった。
これで私も幸せの国の住人。
ふざけてそんなふうに思ってみたが、これはいささかふざけすぎだと反省した。
実際には、いつもこの角を曲がったって、ちっとも幸せな気にはなれない。
幸せとは、空間にあるのではなく、人にあるのだと改めて思った。
でも、その考えは私をさらに不幸せな気分にしただけだった。
私は時間があるときや、手持ち無沙汰なときには、いつもここに来ることにしていた。
それはこの場所でやっていることに興味があるから、というのではなく。私もそろそろ世間的にはそれなりの年齢になっているから、であった。
私のようなおじさんが、昼日中にフラフラと街を歩いていると、それだけで怪しまれる。
全くおかしな世の中だが、どの候補者もそれを黙認しているようなので、世間には期待すべくもない。
唯一、気兼ねなくいられるのが、こういう場所である、というだけだ。
だから、この一級河川に面した競艇場には、いつも根無草のような中高年の男性が集まっているのだ。
ちっとも幸せじゃないや、と私は思った。
ここにいる人たちは、さっきハローワークにいた人たちとなんら変わりはない、と思った。
でも、意外と幸せとは、こういうことなのかもしれなかった。




