少年と少女の決意
アインウェル侯爵夫人エレナの身体を蝕んでいたものは呪いだった。そしてその呪いをかけた主は、侯爵家に仕える侍女長であるエーリルだった。
幼い頃から侯爵家に仕え、トールジン侯爵に思慕の念を抱いていた彼女は、侯爵夫人になったエレナに激しい嫉妬の念を抱き、彼女を亡き者にしようと呪いをかけたのだ。
ミレイユの行使した光魔法によって呪いは解かれ、そしてその反動を受けた侍女長は侯爵家の騎士に拘束され、牢へと連行されるのだった。
「大公女殿下、本当にありがとうございました」
ベッドに半身を起こしたエレナ夫人がミレイユに深く頭を下げる。その顔色はすっかり良くなり、先ほどまでの死の影は見る影もない。
ユージェンが母の傍らからミレイユの前に進み出て、深く頭を下げた。
「ミレイユ大公女殿下、母上を救ってくださり本当にありがとうございました。先ほどは疑うような態度をとってしまい申し訳ありませんでした」
ユージェンの声はとても真摯で、先ほどまでの警戒した様子は消えていた。むしろ感謝の念と、恩人に対する敬意に満ちている。
「顔を上げてくださいユージェン様。私はただ、頼まれた事をしただけですから」
「それでも、貴方がいなければ母上は……」
言葉に詰まるユージェンにミレイユは優しく微笑みかけた。ゲームでは寡黙で不器用な青年だった彼が、今は目の前で感情をあらわにしている。
まだ少年のあどけなさを残すその姿に、ミレイユはゲームの知識とは違う生きた人間としてのユージェンを感じた。
「ユージェン様、これからもお母様を大切にしてくださいね」
「はい、必ず」
(守りたい人がいるからこそ、ユージェンは強くなっていったんだろうな)
力強く頷くユージェン。その瞳には母を守るという強い決意の光が宿っていた。ゲームでの彼の性格形成の一端を垣間見たような気がして、ミレイユは少し納得する。
結局この一件で、ミレイユは四人目の攻略対象と接触を果たしてしまった。けれど今はゲームのストーリーへの影響を心配するよりも、目の前のエレナ夫人の回復とユージェンの心の平穏を願う気持ちの方が強かった。
力になれて良かったですとふわりと微笑んだミレイユの笑顔を見たその瞬間、ユージェンの頬がかあっと赤く染まった。
「っ……!」
少年はまるで不意打ちを食らったかのように息を呑み、視線をあちこちに彷徨わせた。
母の危機が去った安堵と、目の前の少女への感謝の念。それらが綯い交ぜになった感情が、年相応の反応として表れたのだろう。
「ユージェン様?」
ミレイユが小首を傾げて彼の名を呼ぶと、ユージェンはさらに耳まで真っ赤にして背筋をぴんと伸ばした。その姿はまるで訓練場で教官の前に立つ新兵のようで、あまりに正直な反応にミレイユの方が面食らってしまう。
ゲームでのユージェンはもっと無表情で、彼がここまで分かりやすく動揺する姿など想像もできなかった。
「ほほぅ、これはこれは……あんなユージェンを見れるとはなぁ」
「あの子はうちのフィルもお気に入りだ。これは荒れるかもしれんな」
「またか……父上達はうちの可愛い娘は嫁には出さない、婿を取らせると言ってますよ」
ミレイユを前に赤面しているユージェンを面白そうに眺める侯爵。今まで剣一筋だった息子にも春が来たかと笑う彼の側で、自分の息子フィルンハルト皇子も大公女に並みならぬ執着を見せている事に、これは荒れるぞと苦笑する。
顔を顰めているセルヴェンは、ミレイユの事を溺愛している両親が、彼女に大公家の持つ爵位の一つを与え、婿を取らせるつもりだと釘を刺す。
ミレイユは周囲の反応に首を傾げつつも、原因不明の病が呪いによるものだと分かり無事に解決できたことに胸をなでおろしていたのだった。
「本当にありがとうお嬢さん。いやミレイユ嬢……君は我がアインウェル家の恩人だ。何か困ったことがあったら遠慮なく相談してくれ、出来る限り力になろう」
「お役に立てて良かったです……ありがとうございます、侯爵様。その時はよろしくお願いします」
侯爵の厚意にミレイユは礼を述べた。その言葉に嘘はないだろう、剣の名門と言われるアインウェル家の厚意は心強い味方になる。
またゲームのキャラに関わり大きく人生を変えてしまうかもしれない出来事を起こしてしまったが、苦しんでいる侯爵夫人を放っておくことなど、彼女には出来なかった。
今回の事は悔いはないと彼女は胸に手を当てて自分に言い聞かせる。
「エレナ夫人、どうかご無理はなさらないで下さい。それでは私達はこれで失礼します」
「本当にありがとうございました大公女殿下。いつか必ずこのご恩はお返ししますわ」
エレナ夫人の言葉に微笑みを返しミレイユは部屋を後にする、その背中をユージェンがじっと見つめていた。
彼の胸に芽生えた小さな感情はまだ名前をつけられるものではなかったが、確かに彼の心に刻まれた瞬間だった。
「父上、俺はもっと強くなりたいです。そして母上の命を救ってくださったミレイユ様を、お守りできるような騎士になりたいのです」
部屋を出るミレイユ達を見送った後ユージェンは父親に視線を向けて力強く告げる。その目には先ほどまでの少年らしい動揺はなく、一人の騎士を目指す者の真剣な光が宿っていた。
侯爵は息子の決意に目を細め力強く頷く。数年後、この時の誓いが、ミレイユを中心とした人間模様をさらに複雑なものにすることを、彼はまだ知らない。
屋敷を後にしたミレイユとセルヴェンは来た時と同じ馬車に揺られていた。
夕暮れが近づき、車窓から差し込む光は橙色に変わっている。ミレイユは疲れからか、座席に深く身を預けて目を閉じていた。
「疲れたか?」
セルヴェンが隣から静かに声をかける。ミレイユは瞼を上げて兄を見た。彼は心配そうな表情を浮かべている。
「少しだけ……でも大丈夫です、お兄様」
「そうか……しかし驚いたな。まさか侍女長が呪いをかけていたとは」
セルヴェンは腕を組み、物思いに耽るように窓の外へと視線を向ける。
ミレイユもまた、先ほどの出来事を思い返していた。エーリルが連れ去られる際の、あの狂気に満ちた表情が脳裏に焼き付いて離れない。
(あれが恋愛感情の成れの果てなのかな……)
前世ではゲームのキャラクターとしてしか知らなかった人々が、今はこうして生きた人間として目の前にいる。そして彼らには彼らの人生があり、喜びも悲しみも嫉妬や憎しみも抱えている。
エーリルの歪んだ愛情がエレナ夫人を呪い、ユージェンを悲しませた。それはゲームでは語られなかった、現実の重みだった。
ミレイユはゲームのストーリーへの影響を気にしていたが、今は目の前の人々が抱える感情や問題に向き合わなければならないのだと改めて思い知らされた。
それでも自分はこれからも関わらざるを得ないのだろうなと、彼女は小さくため息をつく。もう腹を括るしかない、避ける事なんて難しいだろう。
目の前の困っている人達を放っておく事など自分には出来ない。
そして精霊王リモーネからも頼まれたのだ、この力や前世の知識で、皆も幸せにして欲しいと、ならば向き合っていくしかない。
様々な事を思いつつ、ミレイユはそっと瞼を閉じる。多く力を使った疲労感から眠気が誘ってきた。
セルヴェンはスゥスゥと寝息を立てだした妹の髪を優しく撫でながら、静かに彼女の寝息を聞いていた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ゲーム通りの未来だと夫人は亡くなり、トールジン侯爵は最愛の妻を失った心の隙を突かれ、セルヴェンの闇魔法によって支配され、皇室騎士団長でありながらセルヴェンの反乱の際には彼の味方につきます。
そしてヒロインを殺害しようと襲撃し、彼女を守ろうとした息子ユージェンと戦い、彼に討たれるという末路を迎える筈でした。




