笑顔
兵士など、魔獣化したクロウの敵ではなかった。
次々と兵士たちを薙ぎ倒す。
「素晴らしい!これほどの力を持つ化け物を躾けているなんて…やはり君の才能は本物だ!リコリス君、君は王国の研究所に戻るべきです。その化け物を薬でもっと強化すれば…君は神になれるかもしれない。」
男は狂気じみた笑みを浮かべる。
「ふざけないでください。クロウさんは、私の大切な人です!!」
「失礼。……大切なヒトモドキでしたね。」
研究者の男は、わざとらしく肩をすくめた。
「ですが……その大切なヒトとやらを、戦場に立たせるなんて。随分と酷な“愛”じゃありませんか?」
その言葉が、刃のようにリコリスの胸を刺した。
「違う……!」
彼女はクロウの前に立ち、叫ぶ。
「だから、これで終わりにするんです!クロウさんと、私は……私の愛する人と一緒に生きていくために!」
男は鼻で笑った。
「愛する人?……笑わせないでください。」
そして、楽しむように告げる。
「その大切なヒトとやらが、君の薬で視力を失いかけているにも関わらず、戦わせ続けるのが愛なのですか?」
世界が、止まった。
「……え?」
リコリスの声は、自分のものとは思えないほど遠かった。
「どういう……こと……?」
「そのままの意味ですよ」
男は淡々と、しかし残酷に言い切る。
「獣人化薬の副作用でしょうか、視神経の急速な劣化。その動き、左目はもう見えていないでしょうね。」
リコリスは、恐る恐るクロウを見る。
彼の視線は、確かに……
焦点を結んでいなかった。
「……クロウさん?」
震える声で、問いかける。
「……本当、なんですか……?」
クロウは、静かに頷いた。
「そうだ。」
あまりにも、穏やかな声だった。
「だから言ったろ。これで、旅は終わりにするって。」
「どうして……!」
リコリスは叫ぶ。
「どうして、言ってくれなかったんですか!苦しんでたのに……!これじゃあの時と一緒じゃないですか!!」
研究者が割って入る。
「簡単な話ですよ。彼にとって、あなたは“信用できない存在”だった」
次の瞬間。
「……すぐ殺してやるから黙ってろ。」
クロウの低い声が、空気を凍らせた。
彼は男の方に頭を向け、それからリコリスを見る。
獣人化が解け、人の姿に戻ったクロウ。その表情は――優しく、そしてどこか、諦めていた。
「なぁ、リコリス…」
静かに、問いかける。
「本当は、完全に見えなくなる前に旅を終えたかったんだがな。思ったより…進行が早かったみたいだ。」
言葉が、胸を抉る。
確かに、彼の左目はもう“世界”を映していない。
「目が見えない男との結婚なんて嫌だよな。悪い、あの話は忘れてくれ。」
リコリスの心は、激しく揺れた。
愛している。
それでも――不安が、ゼロではない自分がいる。
その事実が、何よりも彼女を苦しめた。
「……そんな訳、ないじゃないですか……!!」
彼女はクロウの腕を掴む。
「でも……どうして、もっと早く言ってくれなかったんですか……!」
クロウは、即答した。
「目なんて、安い代償だったから。」
彼の声は、揺るがない。
「俺は…大切なものを失う痛みを知ってる。……二度と、味わいたくない。」
リコリスの目から、涙が溢れ落ちる。
「……泣くな。」
クロウは、笑った。
「死ぬわけじゃない。だが…次、これを使えば右目も持たないだろうな。」
彼は、獣人化薬を取り出す。
「私は……また、失敗していたんですね……」
彼女は、震える声で告げる。
「最初の薬は臓器への負担が大きすぎて……だからそこを改良しました。なのに今度は……!」
クロウは、静かに頷いた。
「失敗なんてしてない。」
「……失敗しています……」
「してねぇよ!」
彼は、リコリスをまっすぐ見た。
「お前は失敗していない。だから、これ以上…お前に“罪”を背負わせないために、これで終わりだ。ちゃんと見てくれよ、俺は生きてる。あの時とは違うだろ。」
「でも……!」
リコリスは薬を奪おうとするが、敵わない。
「最後に見るお前の姿が、泣き顔なのは嫌だな。」
クロウは、優しく言う。
「……笑ってくれよ」
リコリスは、唇を噛み、涙を拭った。
「……こう、ですかね……」
壊れそうな、必死の笑顔。
「……やっぱり、お前可愛いな。」
クロウは、そっと目を閉じ――
獣人化薬を、飲み干した。
次の瞬間。
獣の咆哮が施設を揺らす。
目を開いたクロウの瞳は、
完全に、光を失っていた。
「待たせたな」
彼は、研究者へと向き直る。
「地獄へ送ってやる。見えなくても分かる…」
クロウは笑う。
「匂いと、音と……殺気でなぁ!」
彼は、獣だった。
愛を失わないために、
人であることを捨てた存在。
リコリスは、ただその背中を見つめる。
これは、勝利の戦いではない。
――取り返しのつかない選択の尻拭いだった。




