指輪
村に漂う薬草の香りは、病の気配を和らげてはいたが、リコリスの胸の奥に巣食う不安までは消してくれなかった。
焚き火の前で調合記録を整理していた彼女は、ふと手を止める。
「……おかしいんです。」
ぽつりと零れた言葉に、クロウは視線を上げた。
「この村で疫病が広がり始めた時期。近隣に人間たちの拠点が作られた時期。それから、魔王軍の侵攻……全部、ほとんど同じ頃なんです。」
指先が、紙の上をなぞる。
「偶然にしては、出来すぎている気がして……まるで、誰かが裏で糸を引いているみたい……」
リコリスの声は、静かだが震えていた。薬師として多くのデータと向き合ってきた彼女だからこそ、“人為的な歪み”に敏感だった。
クロウは黙って考え込み、やがて低く言った。
「俺も同じ違和感を感じていた。」
炎が彼の瞳に映り、揺れる。
「人間たちだけでも、魔王軍だけでも説明がつかない。両方を疑う必要があるな。」
彼は立ち上がり、夜空を見上げた。
「明日、人間たちの拠点を確認しに行く。敵か、利用されているだけか……どちらにせよ、覚悟は必要だ。」
リコリスは小さく息を吸い、頷いた。
「はい……」
怖くないと言えば嘘になる。
それでも、隣にクロウがいる。その事実が彼女の背中を押していた。
ーーー
夜が更け、村が静まり返った頃。
クロウはリコリスを人目のない場所へ呼び出した。
「リコリス……」
いつもより、少し硬い声。
「……?」
彼は一瞬だけ視線を逸らし、それから意を決したように彼女の前に立つ。そして、懐から小さな包みを取り出した。
「これは……?」
包みを開くと、そこにはシンプルな銀色の指輪があった。装飾はない。だが、無骨なほど真っ直ぐで、クロウらしい。
「もうじき……俺は旅を辞める。」
彼は、まっすぐにリコリスを見る。
「この戦いが終わったら俺と結婚してくれ。」
一瞬、時間が止まったように感じた。
リコリスの瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。
恐怖も不安も、すべてを乗り越えた先で、ずっと待ち望んでいた言葉。
「……はい。」
震える声で、それでも確かに答える。
「喜んで……クロウさんと、結婚したいです!!」
クロウは安堵したように微笑み、そっと彼女の指に指輪をはめた。銀の指輪は焚き火の光を受け、静かに輝く。
「どうですか?似合ってますか?」
「ああ、多分。もっと近くで、よく…見せてくれ。似合ってる……と思う。」
「そこはハッキリ、言ってください!」
「似合ってる」
「ありがとうございます」
そしてふたりは抱きしめ合う。
クロウの体温、確かな鼓動。リコリスは、そのすべてを胸に刻みつけた。
幸福に包まれながらも、彼女は理解している。この指輪は“終わり”ではなく、“始まり”の約束なのだと。
魔王軍との戦いは終わっていない。
それでも――。
「一緒なら、乗り越えられる」
クロウの低い声に、リコリスは頷いた。
愛は、絶望の中でも前に進むための力だ。
翌朝、二人は人間たちの拠点へ向かう。
そこに待つ真実が、希望か、それとも更なる闇かは分からない。
それでも歩みを止めない。
指輪に誓った未来のために。




