上書き
村に戻った途端、険しかったクロウの表情は、まるで何事もなかったかのように和らいだ。
張り詰めていた空気が、ふっとほどける。
「よく頑張ったな、リコリス。迎えに行くのが遅くなって悪かった。」
深く息を吐き、彼は静かに頭を下げる。その仕草は、戦場に立つ者ではなくただ彼女を想う一人の男のものだった。
「……」
言葉が出てこない。
胸の奥に溜め込んでいた不安や恐怖が、クロウの腕に触れる瞬間、一気に溶けていく。リコリスは震えながら、やっと心を預けられた。
膝が震え、思わずクロウの胸元にすがりついた。
「ごめんなさい……!私、勝手なことをして……」
涙が止まらない。
「お怪我はありませんでしたか?ひどい目にあわされていませんか?……本当に、ごめんなさい……」
安堵と後悔が入り混じり、嗚咽まじりの声になる。
「でも……どうして、迎えに来られたんですか?」
顔を上げ、縋るように見つめる。
「お前が連れ去られたあの時、魔王軍の匂いがした。」
クロウは短くそう告げた。
「すぐにリオンたちの所へ行った。魔王軍に接触する方法があるなら何でも良かった。魔王軍四天王ロゼは、マーリンの師匠。そしてグレイスはアイゼンの兄貴だ。」
クロウは淡々と語っているが、その裏にあった焦燥は隠しきれていなかった。
彼は言葉を切り、リコリスを強く抱き寄せる。
「……そんなこと、どうだっていい……」
声が、わずかに震えている。
「お前は、俺にとって……かけがえのない存在だ。お前を何があっても守ると決めていたのに……」
抱きしめるクロウの腕に力がこもる。
痛いほど、必死なほど……
「お前がいなくなったら、俺は……もう誰も失いたくないのに…よりにもよって一番大切なお前が……怖かった……俺は、俺は……」
その先を言わせまいと、リコリスはクロウの唇を奪う。クロウがずっと苦しんでいたのが痛いほど伝わっていた。
リコリスはクロウの頬を撫でて微笑む。
「ありがとうございます、クロウさん。もう、二度と…どこにも行きません。だから…泣かないでください。」
「っ!泣いてねぇよ!!……だが少し疲れた。」
クロウは慌ててそっぽを向いた。頭上の獣耳がピクピクと跳ね、何かを誤魔化している。
「ふふ、そうですか?たまには泣いてもいいんですよ?」
「うるせぇ。いっつも泣いてるお前に言われたくねぇよ。」
その夜、久しぶりに二人は同じベッドに身を横たえた。触れ合う指先、重なる体温。確かめ合うような沈黙が、部屋を満たす。
やがて、その温もりは静かな熱へと変わっていった。
「リコリス……キスしてもいいか?」
いつもより、ずっと優しい声。
「はい。……キス、したいです。」
短く答えると、彼女は目を閉じた。
世界から切り離されたような、穏やかな夜だった。
互いの存在だけを確かめながら、二人はゆっくりと、同じ安らぎの底へ沈んでいった。
しばらく見つめ合ったあと、クロウが口を開く。
「嫌だったら答えなくていい。お前、グレイスに何をされたんだ?」
冷たいクロウの声。しかし彼の顔つきは不思議なほど優しかった。
「……上書きする。お前がグレイスにされたこと、俺がそのまま同じ事をする。俺の知らないお前をアイツが知ってんのが許せねぇ……。」
リコリスは胸がざわついて仕方ないかった。
こんなクロウさん見たことない……
「なぁ…お前、何をされた?」
貪り食らうようなキス。
その熱が理性を溶かしていきそうだった。
「あー…やべぇ……くそっ…愛してる。リコリス……」
クロウが目を擦っている。リコリスが大切だからこそ嫉妬し、大切だからこそ強く踏み込めない。その苦悩する姿はいつものクロウとはまるで別人だった。
「クロウさん…泣いてるんですか?」
「んなわけないだろ、お前じゃねぇんだから!………と言いたいが、そうかもな。」
クロウがリコリスの胸元に顔を埋める。
「……少し、このままでいさせてくれ。」
クロウの吐息が心臓にまで染みわたるように熱い。
リコリスはクロウの頭を優しく撫でた。
そして……
ふたりは互いの温もりを確かめ合いながら、ゆっくりと心を重ねた。あの日のすれ違いを、言葉よりも触れ合いで上書きするように。
優しく…そして深く……
あの日のすれ違いを上書きするように。
月は、ふたりを見守っている。




