置いていく
レインを故郷の村へ送り届けた翌朝。
村は静かで、穏やかな空気に包まれていた。
リコリスとリオンは、村の外れまで歩き、別れの準備をしていた。
「ありがとう……ここで、お別れじゃな。レインの事、後は任せてくれ。」
村の長老が、二人の前に立つ。年老いたその手には、小さな小石が握られていた。
「これを持って行きなさい。道に迷った時、きっと役に立つ。」
リコリスは一瞬ためらい、深く頭を下げてそれを受け取る。
「ありがとうございます……大切にします。」
小石は不思議と温かく、胸の奥にじんわりと染み込むようだった。それが何なのかは分からない。ただ“想い”が宿っている気がした。
村人たちに見送られ、二人は再び時の神殿へ向かう。
ーーー
驚くほど、道は穏やかだった。
それが、かえって不気味なほどに。
「……守られてるみたいだね。」
リオンが小さく呟く。
リコリスは、答えなかった。
頭の中に浮かぶのは、あの背中。
――森の闇へ消えていったクロウの姿だった。
やがて、時の神殿に辿り着く。
苔むした石段。
沈黙する古代の石板。
二人は、同時に手を伸ばす。
――光。
だが、以前のようにゲートは開かなかった。
石板は淡く輝くだけで、まるで“答えを保留している”かのようだった。
「……駄目か。」
リオンは眉を寄せる。
「何か、条件があるのかもしれない。僕たちはそれを見落としてるのかも。」
その沈黙を破ったのは、リコリスだった。
「……このまま」
小さな声。
「このまま、元の世界に戻れなくても……いいのかもしれない。」
それは、希望ではなく
――縋りつくような声だった。
リオンは、はっとして彼女を見る。
「リコリス……?」
リオンは思わず、彼女の肩を掴んだ。
「何を言ってるんだ!僕たちは帰らなきゃいけない!魔王を倒すんだ!マーリンたちも、待ってる!レインとも約束したじゃないか。」
必死な声だった。
リコリスは、視線を伏せたまま、言葉を絞り出す。
「でも……元の世界には……もう、クロウさんはいません。」
その一言が、空気を切り裂く。
「だったら……この世界で、魔王を倒しましょう。
クロウさんと……仲直りして……。」
声が震える。
「この時代のマーリンさんたちと、また旅をすれば……」
それは、逃げだった。
分かっていても、口にせずにはいられなかった。
リオンは、しばらく黙り込む。
そして、ゆっくりと、諭すように言った。
「……それは違うよ、リコリス。」
優しいが、強い声。
「君が愛しているのは、あの世界で生きて、死んだクロウだよ。この時代の彼じゃない。」
リコリスの胸が、締め付けられる。
「過去に囚われたままじゃ、未来には進めない。」
リオンの言葉は、残酷なほど正しかった。
リコリスは、深く息を吸い、目を閉じる。
「……分かっています。でもそこにクロウさんがいない。」
涙を堪えながら、息を整える。
そして、彼女は頷いた。
「……帰りましょう……元の世界へ。」
神殿の中央。
リコリスは、そっと荷物を下ろす。
そこから取り出したのは
――完成していた魔獣化の薬。
そして、一通の手紙。
「これは……?」
リオンが問う。
「置き手紙です」
リコリスは、静かに言った。
「二度と……同じ過ちを繰り返さないための。」
誰か一人に向けたものではない。過去の自分と、この世界そのものへの、置き手紙だった。
それは、祈りであり、懺悔であり、決別――
彼女が薬を置いたその瞬間――
石板の光が、確かに強まった。
リコリスとリオンは、再び石板に手を置く。
――眩い光。
今度は、確かに空間が歪んだ。
時空のゲートが、静かに口を開く。
二人は、顔を見合わせる。
言葉はいらなかった。
ただ、頷き合い、足を踏み出す。
光に包まれる直前――
リコリスは、振り返った。
そこに、クロウの姿はない。
それでも、胸の奥で、確かに何かが疼いていた。
「……さようなら。ありがとう、クロウさん。」
届かない言葉を残し、
二人は、元の世界へと帰還した。
――仲直りできないまま。
それでも、想いだけは確かに、置き去りにして。




