人間
目を覚ましたリコリスは、ゆっくりと体を起こした。
見知らぬ天井。
軋む梁と、干し草と古い木が混じった匂い。
身体には、誰かが丁寧に掛けてくれたらしい柔らかな毛布があった。
「……ここは……?」
かすれた声に応えるように、すぐそばから安堵の息が漏れた。
「よかった……!気が付いたんだね。」
顔を覗き込んできたのは、リオンだった。目の下にはうっすらと隈があり、ずっと付き添っていたことが分かる。
「神殿の近くの村だよ。君が突然倒れたから、ここまで運んだんだ。」
「……ごめんなさい。」
リコリスが言うと、リオンは慌てて首を振った。
「謝ることじゃないよ。無事でいてくれた、それだけでいい。」
少し離れた壁際では、クロウが腕を組んで立っていた。険しい表情のまま、視線だけをこちらに向けている。
「……心配させるような真似しやがって。」
ぶっきらぼうな言葉。
けれど、その声色には隠しきれない安堵が混じっていた。
リコリスはすぐにベッドから起き上がろうとする。
「神殿に戻りましょう!時間が……」
「待って」
リオンが静かに制した。
「神殿は危険すぎる。あの時、なぜ次元の穴が開いたのかも分からない。しばらく、この村で情報を集めよう。」
焦る気持ちを抑え、リコリスは小さく頷いた。
「……分かりました。」
クロウは何も言わなかった。
ただ、リコリスのそばを離れようともしなかった。
ーーー
村は、一見すると平穏だった。
畑を耕す人々に、子どもたちの笑い声。
パンを焼く匂いや、食事の支度をする香り。
活気で溢れる村に、穏やかな人たち。
けれど。
リコリスは、どこか胸の奥がざわつくのを感じた。
その夜、リコリスとリオンは、村に伝わる古文書を調べていた。だが、記された言葉は暗号のようで、ほとんど解読できない。
「まるで……わざと分からないようにしてるみたいだ。」
リオンが呟いた、その時。
外が、妙に騒がしくなった。
怒声。
嘲笑。
――そして、歓声。
嫌な胸騒ぎに導かれるように、三人は外へ出た。
村人たちが、広場に集まっている。
「勇者リリーのパーティーが全滅したんだとさ!」
「剣士だけが生き残ったらしい!」
リコリスの息が止まる。
「もしかして……レインさんの事……?」
村人たちのただならぬ形相に嫌な予感がした。
「生き残ったくせに、のこのこ帰ってきやがって!」
「仲間を見捨てた臆病者だ!」
「勇者様じゃなく、奴が死ねば良かったんだ!」
人々の顔は、怒り、憎しみ……
そして、
安全な場所から他人を裁く快楽に染まっていた。
「裏切り者は処刑だ!」
「勇者様を魔王に売ったに決まってる!」
「泣き叫ぶ姿を見せしめにしろ!」
その言葉の一つ一つが、刃のように突き刺さる。
「そんな……!」
リオンの声が震える。
「仲間を全員失って、生き残った人が……どうして……!」
誰一人、事実を確かめようとしない。
誰一人、彼の言葉を聞こうとしない。
生き残ったという理由だけで。
弱っているという理由だけで。
人々は、彼を“悪”に仕立て上げていた。
その光景を、クロウは無言で見つめていた。
拳を握りしめることもない。
怒鳴ることもない。
ただ、氷のように冷えた瞳で……
その沈黙が、何よりも重かった。
「……助けに行きたい。」
リオンが絞り出すように言う。
葛藤し、震える拳を握りしめて……
「分かってる。元の世界に戻るのが最優先だ。でも……」
リコリスは、まっすぐに頷いた。
「私も行きます。」
その瞳に、迷いはなかった。
「目の前で理不尽に殺されようとしている人を、見捨てることはできません!」
リオンは、はっと息を呑み
――そして、力強く頷いた。
「……そうだね。仲間一人救えなくて、勇者なんて名乗れないよ!」
リオンはクロウを見る。
「行こう。レインを助けたい。」
「……好きにしろ。」
クロウは短く答えた。
だが、その背中は、誰よりも早く歩き出していた。
――人間の残酷さを、
誰よりも知っている者として。
リコリスは、その背を見つめながら思った。
クロウが、人間を憎む理由……
それは、過去の傷だけではない。
今も変わらず繰り返されている現実そのものなのだと。




