小屋
朝の光が、薄いカーテン越しに差し込んでいる。
リコリスはゆっくりと目を覚ました。
まどろみの中で昨夜の温もりがふと胸をよぎり、頬が熱を帯びる。同時に、その熱を打ち消すように、胸の奥がきしんだ。
……私は、どうしたらいいのかな。
小さく息を吐き、身支度を整えて部屋を出る。
宿屋の外は、すでに朝の空気に満ちていた。
剣がぶつかる乾いた音が響き、視線を向けると、リオンとレインが稽古に励んでいる。その様子を、クロウが静かに見守っていた。
「おはよう、リコリス。寝坊だな。」
クロウが気づき、軽く声をかけてくる。
「まあ、俺も今起きたところだがな。あいつら、夜通しやってたらしい…」
呆れたような口調に、どこか感心が混じる。
昨夜と同じ声。同じ距離。
それが、ひどく現実だった。
「お、おはよう……」
リコリスは一瞬言葉に詰まり、視線を逸らした。昨夜のことが脳裏をよぎり、胸の奥がざわつく。
そんな彼女の様子に気づかぬまま、リオンが明るく手を振った。
「おはよう、リコリス!今日はペースを上げようと思うんだけど、どうかな?早くレインを王国に連れて行きたいしさ!」
その言葉で、リコリスははっと我に返る。
「ええ、そうですね。早く王国を目指しましょう。」
旅は続いている。
立ち止まってはいられない。
朝食を簡単に済ませ、一行は森へと足を踏み入れた。木々の間から差し込む光が淡く揺れ、空気はひんやりと澄んでいる。
リオンが先頭を歩き、剣を構えながら進む。その後ろをレインがつき、静かに周囲を観察している。
リコリスとクロウは並んで歩き、時折、無言のまま視線を交わした。
森は静かだが、決して油断できない。
魔物の気配、枝を踏む音、遠くで響く唸り声。
リオンが魔物を見つけると、迷いなく剣を抜いた。その一太刀には確かな意志が宿っている。レインとの夜通しの稽古が活きているようだ。
クロウは一歩引いた位置で構え、必要とあらば即座に介入できるよう目を光らせていた。
リコリスは、戦いの合間に傷を負った仲間へと駆け寄り、手際よく治療を施す。触れる指先だけが、昨夜を思い出させないよう無心で動いた。
昼時、木陰で簡単な食事をとる。ささやかな食卓だが、誰もが少しだけ表情を緩めていた。
「……こうしていると、本当に旅をしてるって感じがしますね。」
リコリスの言葉に、レインが静かに頷く。
「ああ。仲間と歩く旅は……久しぶりだ。」
その声には、過去を噛みしめるような重みがあった。
午後、さらに森を進むにつれ、道は険しくなる。
足元は湿り、陽の光も届きにくい。
リコリスが足を滑らせかけた瞬間、クロウがそっと手を差し伸べた。
「無理をするな。」
短い言葉。
昨夜と同じ手。
同じ温もり。
それが、許されているようで――
いちばん、怖かった。
やがて、一行は小さな湖のほとりに出る。
そこには、古びた一軒の小屋が佇んでいた。
「……人が住んでいるみたいだね。」
リオンが声をかけると、しばらくして扉が開き老婆が姿を現す。
「おやおや、珍しいねえ。」
名をドリィと名乗った老婆は、穏やかに一行を迎え入れてくれた。ドリィは夫のエルダーとともにこの小屋で静かに暮らしているという。
小屋の中は清潔で、暖炉の火が心地よい。
温かいお茶を前に、リコリスは思わず息をつく。
かつてふたりで旅をしていたという老夫婦。
「なかなか…大変な旅をしておるようじゃな。」
エルダーの言葉に一同は驚く。年老いた男のその目は鋭く核心を見抜いているように感じた。
「まぁ、詳しくは聞かんがの。これだけは言っておくぞ?…みな、まだ自分の力を知らぬだけじゃ。時が来れば、いずれ、目を背けられん時が来る。それが祝福か、呪いかは……その者次第じゃがな。」
意味深な言葉に、リコリスは胸の奥がざわつくのを感じた。それは仲間たち皆の心にも刺さっているように見えた。
夜。
食事の後、リオンとレインは外で剣を振り、クロウは周囲の警戒に出る。
リコリスはドリィとエルダーと語らいながら、束の間の安らぎに身を委ねた。
そして夜更け、簡素な寝床で横になる。
隣には、クロウの気配。
その温もりに、
安心と…
言いようのない不安が同時に押し寄せる。
……この旅は、どこへ向かうのだろう
森の奥深く。
静かな夜が、まだ名前のない何かを…
確かに動かし始めていた。




