月明かり
今日は宿をとることができた。
夜になり、それぞれの部屋へ向かったはずだった。
だが、リコリスはベッドに横たわってもまるで眠気が訪れなかった。目を閉じるたび、思い浮かぶのはクロウの声、温もり、あの夜の月明かり。
未来にはもう存在しないはずのもの。
……だめなのに
未来を知る自分が、今のクロウにこれ以上近づいてはいけないことくらい。わかっている。
それでも――
胸の奥で、抑えきれない衝動が脈打つ。
気づけば、リコリスは静かに部屋を出ていた。
そっと廊下を進み、立ち止まる。
クロウの部屋。
心臓の音が、やけに大きく響く。
深呼吸を一つして、ノックした。
「クロウさん……リコリスです。少し……お話、できますか?」
沈黙。
やがて、扉が静かに開いた。
「リコリス……?」
眠そうに目を擦りながら、クロウは彼女を見つめる。
「どうした。何かあったのか?」
リコリスは、視線を逸らしながら正直に答えた。
「どうしても……会いたくなって。少しだけ……一緒に、お話しませんか?」
クロウは一瞬だけ考え、そして小さく笑った。
「ああ。入れ。」
部屋は案内された時のまま、ベッドの布団すら乱れていない。クロウは椅子を勧めたが、リコリスはそのまま立ち尽くした。
二人の間に、言葉のない時間が流れる。
「……さっきは、ありがとうございます。」
リコリスが、ようやく口を開く。
「本当に……嬉しかったんです。」
クロウは、ゆっくりと頷いた。
「俺の方こそ…お前は……俺にとって、特別だ」
その一言で、理性の最後の壁が崩れた。
「クロウさん……」
リコリスは、思わず彼に抱きついていた。
一瞬の戸惑いの後、クロウの腕が彼女を包み込む。強く、けれどどこか不器用な抱擁。
「……好きだ。」
囁く声。
その言葉に、リコリスの目から涙が溢れた。
「私も……クロウさんが好きです。」
未来の彼に向けるはずだった言葉。
それを、今のクロウに告げてしまった。
クロウは、彼女の涙を拭い、
額に、頬に…そっと口づける。
唇が重なった瞬間、世界から音が消えた。
――戻れない。
それだけは、はっきりと分かった。
「……リコリス」
クロウの声は低く、熱を帯びている。
「俺は……もう、お前を手放せそうにない。」
その言葉に、胸が痛むほど高鳴る。
だめ……これは……裏切りになる。
未来を知る者が、過去に溺れてはいけない。
未来で愛し、死なせてしまったあの人を……
それでも――
「……私も、ずっと一緒にいたいです。」
そう言ってしまった。
クロウは答えず、ただ彼女を抱き寄せる。
二人はベッドに腰を下ろし、互いの体温を確かめ合うように寄り添った。
月明かりが、静かに二人を照らす。
深いキス。
絡み合う息。
その先に何があるのか、リコリスは知っている。
知っていて、なお――目を閉じた。
この夜、ふたりは一線を越える。
リコリスは『未来を変えようとする者』ではなく、
『過去に愛を求める一人の女』になってしまった。
それが、どれほど大きな罪か分かっていながら。
――それでも、選んでしまった。




