黒獅子
「このままにしてはだめだ!追うよ!」
リオンの号令とともに、
勇者一行は森の奥へ踏み込んだ。
月光に照らされた空気は冷たく、
血と瘴気の匂いが混じっている。
その時――
漆黒の影が、視界を覆った。
巨大な黒獅子。
裂けた大地に立つその姿は、
畏怖と同時に、言いようのない哀しさを纏う。
クロウ……
かつて人だった存在。
黒獅子は咆哮する。
それは悲鳴に近い、壊れかけた魂の叫びだった。
リオンは剣を構え、歯を食いしばる。
「……行くぞ!」
「待って!」
リコリスが叫ぶ。
「お願いします……クロウさんを、殺さないで……!」
その声は、震え、泣き崩れる寸前だった。
「僕だってそうしたいよ。」
リオンは、苦しそうに答える。
剣を握る手は震えていた。
「でも、殺す覚悟で向かわないと……僕達が殺される。クロウはそれがいちばん辛いと思うから。」
一瞬、言葉を詰まらせる。
「クロウを…倒す!」
戦いが始まった。
聖剣が閃き、魔法が炸裂する。
だが、黒獅子は怯まない。
牙と爪で応え、地面を抉り、森を破壊する。
その光景を、
リコリスはただ見ていることしかできなかった。
……私のせいだ。
あの薬を作ったのも、
クロウさんに渡したのも、
全部、私が選んだ。
守るための道だと信じた。
でもそれは――
彼を壊す道だった。
全部、自分が選んだ道。
それは、間違った道だった。
精霊の囁きが、耳元で響く。
――力を。
――戦う力を。
――ともに戦おう。
リコリスは、首を振った。
「……ごめんなさい。大切な人とは戦えません。」
小さく、しかしはっきりと。
リコリスは精霊を拒んだ。
そして、その場に崩れ落ちた。
次の瞬間。
「リコリス!!避けろ!!」
誰かの叫び声。
視界いっぱいに迫る、黒獅子の影。
それを見つめながら、リコリスは思った。
……クロウさんに殺されるなら、
それでも、いい。
これが私の罪滅ぼしになるのなら。
そっと目を閉じ、その瞬間を待つ。
だが――
その衝撃は来なかった。
黒獅子はリコリスを掠め、巨岩へ激突していた。
「……クロウ、さん……?」
黒獅子は立ち上がると、
再び、同じ岩へ突進する。
一度、二度、三度。
何度も。
自分を壊すほど、何度も。
血を吐きながら。
骨が砕ける音を立てながら。
――自分自身を、止めるために。
「……っ!!!」
リコリスの喉から、声にならない嗚咽が漏れる。
まだ、クロウの魂は残っている。
ほんの欠片だとしても。
リコリスは立ち上がった。
「クロウさん!!」
精霊の光が、彼女の身体から溢れ出す。
「私は、あなたを信じてる!!必ず……戻れます!!」
かざした手から出た光は黒獅子を包み込む――
しかし、次の瞬間、激しく弾き飛ばされた。
クロウ自身が抱え込んだ、深すぎる闇。目覚めたばかりの精霊使いの力なんて相手にならなかった。
マーリンが、唇を噛みしめる。彼女は覚悟を決めたようだった。
震える声で詠唱をし、魔法陣を出現させる。魔法陣から伸びた鎖が、黒獅子を縛り上げる。
呻き声。
アイゼンが黒獅子の闇の魔力を引き剥がす。
そこに倒れたのは――
血に塗れた、人の姿のクロウだった。
「クロウさん!!」
リコリスは駆け寄り、彼を抱き締める。
身体は冷たく、震えている。
呼吸も浅く、苦しそうだ。
「クロウさん、すぐ助けますっ!お願いだから、死なないでっ!!」
クロウはリコリスを突き放し、
かすれた声で呟いた。
「……ネロリ……お前ら……」
視線が、リコリスに向く。
「……リコリスを……頼む。」
微かな、笑み。
「リコリス……好きだった…よ……」
その瞬間――
漆黒の剣が、彼自身の腹を貫いた。
「――っ!?」
赤が、溢れる。
彼は、静かに息を吐いた。
「……これで……お前は………」
そのまま、クロウの力が抜けていく。
完全に。
「駄目ですっ!!お願い、目を開けてください!嫌だっ、こんなの嫌です!!」
リコリスはクロウを抱きしめた。止まらない熱い血がリコリスの服を彼の色に染めていく。
そして…
呼吸が止まり、心臓の鼓動が止まった。
「クロウさああああああああん!!!」
リコリスの叫びが、森に吸い込まれていく。
誰も、動けなかった。
ネロリは泣き崩れ、
リオンは剣を地に突き立て、
マーリンは目を伏せた。
その悲劇を理解していないアイゼンと、
満月だけが、静かに彼女たちを見ていた。
リコリスは…
血に染まった彼を抱いたまま、
動かなかった。
世界は、何も終わっていない。
だが――
彼女の恋は、ここで終わった。
この瞬間、
クロウのいない、世界が始まる。
その世界は、
どれほど残酷な世界であるか分からない。




