決別
森で魔王軍が目撃されたという噂を聞く。
何者かに襲われた痕跡もあったという。
魔王軍を倒したのはクロウかもしれない。
まだ、生きている。
期待と不安を胸に森へと急いだ。
ーーー
戦いの痕跡が森に生々しく刻まれていた。
なぎ倒された巨木。
抉れた地面。
散乱する魔王軍兵士の亡骸には、巨大な爪痕と、噛み砕かれた跡が残されている。
「……こんなことができるのは……」
リコリスの声は、かすかに震えていた。
「クロウさんしか、いない……」
誰も否定しなかった。
否定できなかった。
森を抜けると、視界が一気に開ける。
満月に照らされた湖畔。
水面は鏡のように静まり返り、
世界そのものが息を潜めているかのようだった。
その中央に――
クロウがただ一人
佇んでいた。
「おにいちゃん!探したんだよ!」
ネロリの叫びが、静寂を破る。
クロウは、振り返らない。
「クロウさん!」
リコリスは一歩踏み出す。
「どうして……どうして私を置いていったんですか!」
月光に照らされた横顔は、あまりにも冷たかった。
「……もう、お前には関係ない。ここから先は俺ひとりの問題だ。」
淡々とした声。
クロウは、ゆっくりと振り返り、視線を向けた。
「お前は、俺を殺せるか?」
言葉が、凍りつく。
その言葉は凶器だった。
「……っ」
リコリスの足から力が抜け、膝が地面に落ちた。
「そんな……クロウさんを……私が……?」
彼の瞳には、迷いも、優しさも、残っていない。
リオンとアイゼンが前に出る。
「クロウ……どうしたの?話をしてよ!」
リオンの声にも、クロウは応えない。
「もちろん殺せますよ。お望み通り、やってみましょうか?」
「違うのアイゼン!そういう事じゃないの!!」
アイゼンが淡々と告げ、構えたのをネロリが止めた。
マーリンは胸元で手を組み、
悲しげに首を振った。
「……精霊の声が、彼を拒んでいる。」
その時だった。
「バカ兄貴!!」
ネロリが、叫ぶ。
「そんな顔して……そんな言い方して……そんなのおにいちゃんじゃない!!」
小さな身体で必死に前へ出ようとするネロリを、
リコリスが支えた。
その温もりが、リコリスを現実に引き戻す。
諦めない…
たとえ拒絶されても…
たとえ、刃を向けられても!
リコリスは、立ち上がった。
「クロウさん……私は、あなたを信じています。」
一歩、踏み出す。
「あなたが誰かを守るために嘘をつく人だって、私は知ってる。」
クロウの瞳が、一瞬だけ揺れた。
――ほんの、一瞬。
だが、すぐにその揺らぎは押し潰される。
「俺は、もう戻れない。なぁ、ここ…月が綺麗だろ…?最後くらい穏やかに…誰も傷付けずに終わりたいよなぁ……」
その瞬間――
クロウの身体が、激しく痙攣した。
「……っ、ぐ……!」
苦悶の声。
黒い瘴気が、彼の身体から噴き出す。
「クロウ!!」
リオンが駆け出そうとするが、
アイゼンが腕を掴む。
「今の彼に近づけば死にますよ。勇者が死ぬのは困ります。」
骨が軋む音が、はっきりと聞こえた。
肉体が膨れ上がり、黒い毛皮が全身を覆う。
爪が伸び、牙が剥き出しになり――
クロウは、人の形を失った。
月光の下に現れたのは、巨大な黒獅子。
「……薬も、なしで……」
リコリスの声が、震える。
「自分から……魔獣に……」
黒獅子は、低く唸り、リコリスを見下ろした。
その瞳には、
まだ――
微かな理性が残っている。
だからこそ。
「グウォォォーー!!」
黒獅子は、吠えた。
それは、別れの咆哮だった。
もう、同じ場所には戻れないということをリコリス達にわからせる。
次の瞬間、黒獅子は湖畔を蹴り、森の奥へと走り去る。
「クロウさん!!」
リコリスが叫ぶ。
だが、振り返ることはなかった。
月だけが、すべてを見下ろしている。
静寂の中、リコリスは立ち尽くした。
……行ってしまった。
それは、優しさだったのか。
それとも、逃げだったのか。
ただ一つ確かなのは――
もう、同じ場所には戻れないということ。




