手紙
夕方、宿に戻り、部屋の扉を開けた。
その瞬間だった。
空気が、違う…?
ほんのわずかな違和感。
だが、それは確実に胸を刺した。
部屋が静か過ぎるんだ……
机の上に置かれた、小さな紙切れ。
「……?」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
ゆっくりと近づき、震える指先でそれをつまみ上げた。
手紙だ。
嫌な予感が、確信へと変わる。
『今までありがとう。
約束通り、この街にお前を置いて行く。
どうかお元気で。風邪引くなよ。』
……それだけ。
短すぎる。
言い訳も、説明もない。
あまりにも一方的で、優しすぎる。
紙を握る手に、力がこもった。
最初に交わした、あの約束。
薬が手に入ったら、安全な街まで送り届ける。
もう忘れたつもりでいたのに。
――そんな約束、守ってほしくなかった。
喉の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
「……っ」
息が、うまく吸えない。
リコリスは急いでリオンたちの部屋を訪ねたが、誰もクロウの行き先を知らなかった。
「旅に危険は付き物だ。だからクロウは、きっと自分を守るために去ったんじゃないかな?」
リオンの寂しそうな声。
……分かる。
理屈では、分かってしまう。
でも…
「……そんなの、嫌です!」
声が、震えた。
「やっと……私にも、力があるって分かったのに。クロウさんの力になれるかもしれないのに…」
胸に芽生えた、わずかな自信。
隣に立っていいと思えた、あの時間。
それを、全部置き去りにされるなんて。
クロウのいない世界で、安全に生きる意味なんてあると思えない。
「……身を引いたんじゃないかな。君を想って。」
「それでも、間違ってます!」
リコリスは、はっきりと言った。
「私は……追いかけます!」
視線を上げ、まっすぐに告げる。
「クロウさんがどこへ行こうと……一緒にいます!」
リオンはしばらく黙り込み、やがて静かに頷いた。
「そうだよね。僕たちも探そう!」
その言葉に、胸が熱くなる。
だが、宿を出ようとした一行をアイゼンが静かに遮った。
「クロウは探させません。」
冷たい目。冷たい声。
やはり彼は何を考えているのか分からない。
「うーん…アイゼン、話聞いてた?みんな困ってるんだけど?てか、おにいちゃんを探させないってどういうこと?」
ネロリが詰め寄る。
「言えません。『男と男の約束』とはそういうもの、らしいです。」
頑ななアイゼンの態度に、ネロリはため息をついた。
「そっかぁ…ねえアイゼン…『男と男の約束』って何か分かってて言ってる?」
「いいえ。先ほどクロウに教えてもらいました。」
「そっか…じゃあ獣人族だけに伝わる裏ルールは知らないんだね!」
「はい。知りません。」
アイゼンの返事を聞いたネロリは、にこっと笑う。
「獣人族がする『男と男の約束』ってね、相手の妹が“破れ”って言ったら破らなきゃいけないんだよ!」
「……そうなんですか?」
「そうなの。獣人族って変でしょ?」
ネロリの暴論。それに淡々と返すアイゼン。
こんな時に何をやっているんだろう…?
一刻も早く、クロウさんを探しに行きたいのに。
こんな時に、遊んでる場合じゃないのに。
リコリスは焦燥感に焼かれ、おかしくなりそうだった。
一拍置いて、ネロリがアイゼンの肩を叩く。
「じゃあ……アイゼン、約束破ろっか。」
こんなので彼は説得できるの…?
リコリスの心配をよそに、アイゼンはあっさりと口を開いた。
リコリスと旅を始めてから、
人間への恨みなんてどうでもよくなっていた。
今の旅はただただ、楽しかった。
薬の副作用で、もう長く持たない。
次で終わる。いや、次もないかもな。
彼女が知れば、自分を責めるだろうから、
絶対に知られたくない。
本当は見送るだけでなく、
難癖つけて一生となりにいるつもりだった。
――それは、叶わないから。
だから置いていく。
ここなら安全だから、もうリコリスは傷付かない。
本当にいい女だった。人外の俺なんかよりも、アイツを幸せにできる男はいくらでもいる。
……アイゼン、お前は絶対に手を出すなよ。
アイゼンの口からクロウの言葉が、淡々と語られる。その意味も、隠された感情も理解せず、ただ淡々と、言葉が続いていった。
「……クロウさん……」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「おにいちゃん……めっちゃリコちゃんのこと好きじゃん!!絶対に見つけ出してやるんだから!!」
震えるネロリの声がする。
目には涙を浮かべ…でもネロリは泣いていない。
彼女は、もう十分強い。
「アイゼン。クロウを探すのを手伝ってくれる?」
「……わかりました」
リオンが手を差し出し、アイゼンはそれにかえした。
「私たち、意外といい仲間でしょう?」
マーリンが、静かに笑う。
「リコリスも、クロウも……大切な仲間ですからね」
置いていかれたまま、終われるはずがない。
こうして、一行は再び宿を出た。
だが――
広大な街の中に、クロウの姿はない。
人混みの中。
リコリスは必死に、あの背中を探し続けた。
祈るように。
縋るように。
まだ、生きていて。
まだ、間に合って。
まだ、終わらせないために。




