大きな街
翌朝。
柔らかな朝日が差し込む中、リコリスは静かに目を覚ました。隣には、もう起きて支度を終えたクロウがいる。
彼はいつもの無愛想な表情のまま、窓の外を見ていたが、リコリスが身じろぎすると、気配だけで気づいたように視線を向けた。
「……起きたか」
それだけの言葉なのに、胸の奥がほっと温かくなる。
「おはようございます」
リコリスが微笑むと、クロウは小さく頷いた。
それ以上、何かを言うわけでもない。けれど、同じ空間にいて、同じ朝を迎えられたことが、何よりも嬉しかった。
宿の外に出ると、すでに勇者リオン率いる一行が揃っていた。
「おはようリコリス。よく眠れた?」
穏やかな声で声をかけてくるリオン。
その隣で、ネロリがぴょんと跳ねる。
「リコちゃん!聞いて聞いて! 次に行く街ね、美味しいお菓子がいっぱいあるんだって!」
弾むような声と一緒に、ネロリはリコリスの手をぎゅっと握った。その小さな手の温もりが、胸の奥に残っていた不安を少しだけ溶かしてくれる。
「一緒に食べに行こうね!」
「ええ、ぜひ」
リコリスは微笑み返す。
ネロリの笑顔は、太陽みたいだった。
リオンは先頭に立ち、迷いのない足取りで道を進む。その背中は頼もしく、勇者という肩書きが自然と似合っていた。
後方では、クロウとアイゼンが並んで歩いている。
二人とも多くを語るタイプではないが、時折短い言葉を交わしている様子から、男性同士、通じ合う何かがあるのだろうと感じられた。
マーリンはリコリスの隣を歩きながら、穏やかな声で話しかけてくる。
「精霊使いの力はね、自然との繋がりを深めるほど強くなります。土地によって、精霊が集まりやすい場所もある。機会があれば、そういう場所を訪れてみるといいですよ。」
「……はい」
リコリスは真剣に頷いた。
精霊の力。
まだ自分でも扱いきれているとは言えない
それでも――
少しでもクロウの力になれるかもしれない。
そう思うだけで、胸が軽くなる。
道中、ネロリがリオンに話しかけたり、マーリンに質問したりと賑やかにしている隙をついて、リコリスはそっとクロウの袖を引いた。
「クロウさん……」
彼は立ち止まり、リコリスを見下ろす。
その視線は、驚くほど優しかった。
「ネロリちゃんは……本当に平気なんでしょうか。研究所のこと……」
クロウは少しだけ目を伏せ、短く答えた。
「もう、乗り越えてる」
迷いのない声だった。
「それよりも、お前が側にいてくれることをあいつは心から喜んでる。街に着いたら、いっぱい遊んでやれ。」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……はい」
私にできることを、ちゃんとやろう。
そう、心の中で誓った。
昼過ぎ。
一行は次なる目的地である大きな街へと到着した。
石畳の道。
行き交う人々。
商人の呼び声と、子どもたちの笑い声。
街は活気に満ち、戦いや魔王軍の存在など忘れてしまいそうなほど平和そのものだった。
「今夜はここで休もう」
リオンが街の中心にある大きな宿屋を指差す。
「それまでは自由時間だね。明日からは魔王軍との戦いに備える。短い時間だけど、羽を伸ばそうよ!」
リオンは想像していた“勇者”よりも、ずっと柔らかく、優しい人。
リコリスは、改めてそう感じていた。
宿に荷物を置いたあと、リコリスはネロリと手を繋いで街へと出る。
「見て見て、リコちゃん!」
ネロリは目を輝かせて、あちこちを指差す。
「あのお菓子屋さん! あっちも!!えへへ……実はね、おにいちゃんにいっぱいお小遣いもらったの。リコちゃんと遊んでおいで、って!!」
色とりどりのお菓子が並ぶ店先。
甘い香りが、通りに漂っている。
「じゃあ、少しだけ寄りましょうか。」
二人はお菓子を買い、広場のベンチに腰掛けた。
砂糖菓子を頬張るネロリの顔は、幸せそのものだ。
「おいしい……!」
「ふふ、よかったですね。」
甘い香り。
穏やかな風。
遠くから聞こえる音楽と笑い声。
それは、あまりにも平和で、あまりにも普通の時間だった。
――この日常を。
――この笑顔を。
私達で守るんだ。
リコリスは、そう強く願いながら、
ネロリと並んで笑っていた。
「ねえ、リコちゃん。ずっと一緒にいれたらいいのにね!」
無邪気な声だった。
胸が、きゅっと締め付けられる。
けれど、リコリスはすぐに微笑む。
「……ええ。そうですね。」
今は、それでいい。
先のことなんて、考えなくていい。
でも胸騒ぎが消えない。
ネロリはお菓子の袋を大事そうに抱え、ふと真剣な顔になる。
「ねえ、リコちゃん、私、リコちゃんに会えてからね、すごく楽しいんだ」
唐突な言葉に、リコリスは言葉を失う。
「おにいちゃんもにも会えたし、アイゼンもね、あんなだけど面白いし、みんな、あったかいんだ。」
ネロリはそう言って、照れたように笑った。
「だからね……私、リコちゃんに会えて、よかった!」
その言葉は、
何の装飾もなく、まっすぐ胸に届いた。
「……ありがとう」
喉が詰まりそうになりながら、リコリスはそう返した。
精霊の力も、薬の知識も関係ない。
誰かの隣にいること。
手を繋いで、同じ景色を見ること。
それだけで、人は救われることもある。
――ああ、大丈夫だ。
私はちゃんと進めてる。
そう思いたい。
風が吹き、噴水の水しぶきがきらきらと光る。
その眩しさに、リコリスは目を細める。
この時間が、
永遠であればいいのに――
そんな、叶わない願いを胸の奥にしまいながら、
彼女はネロリと並んで、もう一度笑った。
すると、ネロリが突然真剣な顔で言った。
「ねえリコちゃん。リコちゃんは、どこに帰るの?」
一瞬、言葉に詰まる。
研究所は、もう帰る場所じゃない。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの所?
なんだか違う…
リコリスは少し考えてから、答えた。
「……クロウさんのいるところ、かな。」
ネロリは満足そうに頷いた。
「じゃあずっと一緒だね!」
その一言が、胸に深く刺さる。
――帰る場所。
それは、場所じゃなく、人なのかもしれない。
だからこそ、失ったときの痛みは、きっと――




