第81章「悪が立つ」
クロは、
杖を地面に突き立てた。
音は、なかった。
だが、
空気が沈んだ。
砦の地面が、
ゆっくりと軋む。
兵の一人が、
息を呑む。
「……何を——」
言葉は、
最後まで出なかった。
地面が割れる。
白く、
骨ばった腕が伸びる。
次の瞬間、
兵の足首を掴んだ。
「うわっ——!」
引きずり倒される。
剣が地面に落ちる音。
次々と、
地面から何かが現れる。
骸骨。
腐りかけの死体。
鎧を着たままの亡骸。
さっきまで、
ここに倒れていた者たち。
いや——
さっき、殺された者たち。
「……下がれ!」
号令が飛ぶ。
遅い。
死霊が、
兵の背後に回る。
首を掴み、
地面に叩きつける。
骨が折れる音。
悲鳴。
クロは、
動かなかった。
ただ、
杖を握り続ける。
地面に倒れた兵が、
目を見開く。
その身体が、
ぴくりと動いた。
次の瞬間、
立ち上がる。
さっきまで、
仲間だった兵。
今は、
剣を持つ死霊。
「やめろ……!」
兵士が叫ぶ。
死霊は、
躊躇しない。
剣を振る。
血が飛ぶ。
クロの足元に、
血が流れてくる。
それを、
避けもしない。
(……悪や)
クロは、
そう思った。
(……それでええ)
兵が、
数を揃えて突撃する。
盾が前に出る。
だが、
死霊は止まらない。
斬られても、
倒れても、
また立ち上がる。
腕が取れても、
噛みつく。
脚が折れても、
這って進む。
兵士の隊列が、
崩れる。
「……化け物だ」
誰かが呟いた。
その言葉に、
クロは小さく頷いた。
「……そうや」
初めて、
声を出した。
「化け物や」
杖を、
振り上げる。
地面に突き下ろす。
轟音。
砦全体が、
震えた。
地中から、
さらに死霊が溢れる。
兵を押し倒し、
武器を弾き、
逃げる者を追う。
「助けてくれ……!」
誰かが叫ぶ。
「勇者様——!」
悲鳴が、
空に裂ける。
やがて、
兵たちは崩れた。
動かなくなる者。
逃げ出す者。
地に伏したまま、
声を失う者。
数分後。
立っているのは、
クロと死霊だけだった。
血と、
肉片と、
壊れた装備。
遠くで、
まだ生きている兵が、
這うように後退している。
クロは、
ゆっくり息を吐く。
視線の先。
砦の中央。
動かない身体。
知っている背中。
クロの手が、
震えた。
だが、
涙は出なかった。
「……戻るな」
低く、
命じる。
死霊たちは、
その場で止まった。
クロは、
自分の足元を見る。
血に染まった地面。
そこに立つ自分。
英雄ではない。
守護者でもない。
ただの——
「……悪や」
そう言って、
クロは顔を上げた。
その瞬間。
遠くで、
角笛が鳴った。
重く、
澄んだ音。
英雄の到来を告げる音だった。




