第62章「間に合うかもしれない」
森に入った瞬間、
空気が変わった。
焦げた匂い。
血と、焼けた木の匂い。
「……近い」
ヨルが、
盾を前に出す。
木々の隙間から、
村が見えた。
半分は、
もう崩れている。
家屋。
柵。
畑。
「……遅かったか」
ミケが、
歯を噛みしめる。
「……まだや」
クロは、
地面を見る。
倒れている影。
人だ。
動いていない。
クロは、
一瞬だけためらった。
そして、
膝をつく。
杖を地面に突き、
低く言葉を落とす。
「……聞かせてくれ」
冷たい。
土の下に沈みかけた気配。
胸の奥が、
一瞬だけ軋んだ。
第二の鼓動が、
不規則に跳ねる。
視界が、
わずかに歪む。
ヨルは、
何も言わない。
ミケも、
視線を逸らした。
やがて。
――東。
声ではない。
それでも、
確かに“方向”が落ちてくる。
――逃げた。
――子供と、年寄り。
クロは、
立ち上がる。
「……東や」
「まだ間に合う」
走る。
森を抜け、
細い道へ。
やがて。
「……いた!」
ミケが叫ぶ。
十数人。
老人。
子供。
足を引きずる女。
そして。
倒れている男。
動けない。
追ってくる影。
魔物だ。
「……盾!」
ヨルが前に出る。
衝突。
盾が地面を削る。
腕が軋む。
ミケの矢。
一体、倒れる。
カイの矢が
二体目の動きを止める。
三体目が、
倒れている男へ向かう。
クロは、
躊躇わなかった。
杖を地面に叩きつける。
さきほど倒れた魔物の死骸が、
ゆっくりと起き上がる。
関節が、
不自然に鳴る。
魔物は、
魔物に組み付いた。
時間が生まれる。
「……今や!」
ヨルが叫ぶ。
人々が走る。
だが。
倒れていた男は、
動けない。
クロが駆け寄る。
「……立てるか」
男は、
首を振る。
クロは、
わずかに息を止めた。
第二の鼓動が、
また強く鳴る。
「……行け」
ヨルが叫ぶ。
クロは、
一瞬だけ空を見る。
そして、
男を抱え上げた。
背後で、
魔物の咆哮。
盾が、
もう一度衝撃を受ける。
逃げる。
全員ではない。
振り返った先、
倒れている影が、
もう動かなかった。
戦いが終わった頃。
クロは、
膝をついていた。
息が荒い。
指先が、
わずかに震えている。
ミケが水を渡す。
「……やりすぎ」
「……やらな
後悔する」
ヨルは、
盾についた深い傷を見る。
「……救えた命は
あった」
クロは、
何も言わない。
煙は、
まだ上がっている。
救えなかった命も、
確かにあった。
だが。
今、
泣いている子供がいる。
それだけは、
事実だった。
間に合った命は、
確かに存在した。
それでも。
すべてではない。




