第56章「残る理由」
朝。
砦の中庭に、
薄い霧が残っている。
井戸のそばで、
水を汲んでいる男がいた。
ロクスだった。
腕の傷には、
まだ包帯が巻かれている。
「……寝とらんのか」
ミケが、
あくび混じりに言う。
「……眠れました」
ロクスは、
桶を持ち上げる。
少しだけ、
よろける。
それでも、
こぼさない。
フェイが、
その様子を見る。
「無理、
せんでええよ」
「……いえ」
短い返事。
クロが、
近づく。
「……昨日の話、
考えたか」
ロクスは、
うなずく。
「……砦は、
安全です」
「……でも、
守られ続ける
場所じゃない」
クロは、
否定しない。
「……分かっています」
ロクスは、
桶を置いた。
「……ここで、
少しだけ
立ち直る時間が
欲しい」
霧が、
ゆっくり流れる。
「……逃げたまま、
先に進みたくない」
ミケは、
何も言わない。
ヨルが、
門の内側から声を出す。
「……前に立たなくて
いい」
「……後ろを
支えれば
十分」
ロクスは、
盾を見る。
昨日、
その前で
命が止まった。
「……水も、
薪も、
見張りも」
「……できることを
やります」
クロは、
しばらく見ていた。
そして、
一度だけうなずく。
「……それでええ」
ロクスは、
深く頭を下げた。
荷は、
まだ解かれていない。
だが、
置いたままだった。
砦は、
また一人、
“残る理由”を
受け入れた。




