ともだち
恋をしてみたかった。
漫画やドラマでよく見る、胸がドキドキするような恋。
一度だけ、近いような感覚を持ったことはある。
だけど、それが恋なのかを確かめる前に事が起きてしまった。
あの日、きっとこれから、もう二度と誰かに恋をすることはできないのだとわかっていた。
理解していた。自身の将来を手放すということは、命を失うとか病に侵されるとかそういった明確なものだけではなく、感覚や感情を喪失する可能性だってあり得るということを。
思えば、あの日から涙を流すことはなくなった。あったとしても、それは演技によるものだけ。完全に感情が表出しないわけではないが、明らかに起伏は小さくなった。あるいは、諦念によるもの。
何より、自分は今楽しいはずだから、楽しいに違いないのだから笑顔を浮かべなければならないという思考が自然に生まれてしまったことが、人間らしさを喪失したガラクタであることを象徴している。
最近、笑うことが多くなった気がする。もちろん、「喜」「楽」ではなく自嘲によるもの。誰にも涙してほしくないと願った人間が誰よりも大切な友達を踏みにじったことへの皮肉。
あの日以前の自分が消え去ったわけではない。ただ、その振る舞いは誰かを勘違いさせてしまうものだから抑え込んだだけ。目の前で泣いてほしくない人が泣いているという事実に耐えられなかった。真っ先にその人の味方をしたかった。泣き喚いたっておかしくないぐらい辛い目に遭っているのに、そういう奴に限って唇を噛みしめて歯を食いしばって我慢しているのが許せなかった。お前は一人ではないのだと、ここに味方はいるのだと大声で伝えたかった。一時でも安心感を与えるためなら、ぎゅーもよしよしも躊躇することはなかった。だって自分が本当に辛い時には誰かに寄りかかりたいものだから。
赤の他人ではなく、大切な友達を傷つける。思い出すだけで、その代償が今も胸に重くのしかかる。
ただ、異性だったから。傷つけなければならない理由はそれだけだった。それだけで事足りてしまった。どれだけ仲良くなってもどれだけ同じ時間を過ごしても、異性であるという事実の前には意味をなさなかった。
勘違いされる『かも』しれない。
あくまで可能性の話でしかなくとも、一%でもそれがあるのなら、同じことを繰り返さないと心に決めたのなら取るべき行動は一つしかなかった。
だけど、そう簡単にあいつらを拒絶することなんてできなかった。頭ではわかっていても、言葉が出てこなかった。お前のことが嫌いなのだと、たった一言を伝えるだけなのに、無言で抵抗することしかできなかった。それほどまでに、大切な友達だったということ。
嫌われなければいけないのにそれができない。焦りは募るばかりで日ごとに辛さが増していく。
そうして一週間ほど経った頃、ふと思いついた。
今の自分があいつらを傷つけることができないのなら、もう一つの器を、人格を用意し、徹底的に演じきることでそれが叶うのではないかと。
だから偽りの自分を作り上げた。あいつらのことが嫌いで嫌いで仕方ないという自分自身を。
二人のことが憎くて憎くてしょうがないと言い聞かせた。実際のところは、感謝こそすれど憎むことなど一度足りとも無いというのに。
そうしたら簡単だった。それまで言えなかった言葉が淀みなく出てくるようになり、距離ができ、いつしか関わることはなくなっていった。やっと突き放すことができたのに、心の中でブチンと何かが切れるような感覚があったのを今でも憶えている。病に侵され始めたり何も感じなくなったりしたのはその日からだった。
ただ、地獄はこれで終わりではなく始まりに過ぎなかった。興味を持たれないために、距離を置いてもらえるように終始バカな自分を演じていた。同性からは好かれるように、異性からは疎まれるように印象を操作した。本当は異性に対してもスキンシップを取ることに何も抵抗がないのに、女の子のことが苦手なのだと認知してもらえるようにやれることをやった。もっと簡単な方法があるはずなのに、その答えがわからなかったから自分にできる事なら何でもした。もう記憶はつぎはぎだらけだけど、高校を卒業した時に、三年間誰にも素を見せず演じきれたことに達成感のようなものがあった。だけど、本当はわかってた。達成感すらも演技でしかなくて、心の中にはずっと『もっと良い方法がなかったのか。誰も傷つけずに距離を置く方法はなかったのか』という疑念で満ちていた。
この三年間を通してやっと実感できた。
人ひとりにできることなどたかが知れているということ。
みんなの味方はできないのだということ。
自分が加担した方しか助けられないのだということ。
何かを切り捨てなければ、誰かを助けるなどという綺麗事はそもそも成立しないのだということ。
それから一年が経ったある日、あの日あの時の夢を見てふと思った。誰かにフラれるというのはいったいどれだけ辛い事なのだろうかと。
あいつは泣いてた。でも笑顔だった。泣きながら笑ってた。俺にはわからなかった。自分の大切な想いが大好きな人に拒絶されたのにどうして笑っていられるのかって。
知らなくてはいけないと思った。相手の想いを受け入れないということがどれほど辛い事なのか。どれほど苦しくて悲しい事なのか。知らなかったからと無知を言い訳にして棚上げするのは子供にしか通じない。傷つけてしまったと身をもって理解したのなら、それがどういうものだったのかを知らなくてはいけないと思ってしまった。
だから、演じた。自分は誰かを好きになることができる人間なのだと言い聞かせることにした。自分は今ドキドキしているのだと偽った。どれだけ言葉を交わしてもハグをしても元はそれが当たり前だったというだけで、服の擦れ、肌の摩擦程度にしか思えなかった。それでも自分を大切な友達を騙し続けた。こんなの三年前と同じだ。まるで同じ映像を見せられているみたいだった。でも、一つたったひとつだけ過去とは違うことがあった。それは、彼女はきっとどうあっても俺を好きになることはないという確信めいたもの。だから安心できた。だから恋をする自分を演じきることができた。ちょっぴり辛かったけど、自分を偽って騙して誰かになりきるのは得意になれたから、うまくやりきれたと思う。
ね、俺はみんなを騙すことができたかな。
漫画やドラマで見るような、好きな人にフラれるっていう役者になりきれたかな。
恋に恋をするのは卒業できたかな。
ほら、信頼できる友達に恋愛相談をするのって夢だったんだよ。どうしたら好きな人に気に入ってもらえるのか、相手の好きなタイプと好みは何なのかとか考えて悩んでたりするのって楽しそうだなってずっとずっと思ってた。
でも、ドキドキすらしていないのに、願ったものは手に入っていないのに、結局は友達に迷惑をかけてるだけだった。他の誰かではなくて自分の望みを優先しようって決めたからこうしてきたのに、最後の最後まで友達に負担かけてばっかりだった。
三年前。あの日に起きた体への亀裂はあくまで微弱なもので、精神的な負荷が大きかったけれど、今回ばかりは違う。あの三年間で心は壊しきってしまったから、代償として差し出せるものは体しかなかった。。
確かに、胸が痛くて苦しくて、手に力が入らなくなって辛いことが多いけど、体に負荷がかかっている時はあの頃を鮮明に思い出せるから、むしろ嬉しいまである……かも。
後悔をした。何度も何度も後悔した。でも、今この瞬間に悔いは何一つない。苦しくて悲しくても、あれをいつか後悔と思わないために六年間走り続けた。その結果がこれだ。結局傷つけてばかりで誰の味方もできなくなって全部取りこぼした。大切な友達も大切な想い出も全部抜け落ちていった。
六年前のあの日。俺はあいつにひどいことをしたんだってことをこの一ヶ月でやっと実感できた。フラれるって思ってたよりずっと心に重くのしかかってきて、心の奥底にまで苦しいものがじんわりと広がっていく感じがした。演じきれてよかった。きっと告白を断ってくれるっていう信頼は間違ってなかった。すごいよね、演じてたら本当に苦しくて辛かったんだもん。こんなの自分がわかんなくなっていっても仕方ない。というよりは、完全に壊れ切ってることに気づくのが遅すぎたのかも。まあ、こうなることも覚悟してたから別にいいんだけど。
ありがとう。
いつか、誰よりも大切な友達が胸を躍らせるような恋ができますように。




