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第二部 第十一章「最大多数の最大幸福」

 輝井想志は中学の時から徹底した功利主義者だった。もちろん、彼は元からそれを意識していたわけではない。彼の行動があまりにも最大多数の最大幸福を突き詰めたようなものだったから、そう感じて後付けただけのもの。特に、中学での生徒会の活動がそれを顕著にしていた。

 例えば、生徒総会。とある議題についての討論が全校生徒で行われていた。多数派と少数派のどちらにも気を配った意見が出ることはなく、時間だけが押していた。そうして、終了間際に、多数派の意見を採用して強引に討論を収束させた。

 その躊躇いの無さに、教師らは唖然としていた。そしてその場で、とある教師が『今の生徒会長の発言は取り消します。後日、今回出た意見を生徒会側で吟味し、再度お知らせします。』と言った。

 私はその教師に怒りを覚えた。確かに、多数派の意見を採用して、少数派を切り捨てるという判断を強引に行った彼に落ち度がないわけではない。『少数派の意見も大事にするべきだから、むやみに意見をまとめるべきではない』という教師らの見解は理解できる。だが、彼に与えられた仕事は、この時間内に意見をまとめ上げること。後日、検討するなどという選択肢は元より与えられていなかった。その場で、彼のやり方に生徒らから不満が出たこともあった。だが、彼の毅然とした態度、少数を切り捨てる事は確かに心が痛むが、それでも構わないという瞳を見れば、不満は霧散していた。そのやり方に、彼自身が傷ついていたかなど尋ねるまでもない。なぜなら、その時の彼の表情は、あの時の公園で見せたものと何ら変わりなかったのだから。自身から生じる感情全てを押し込め、目的を遂行する機械のような振舞い。彼がそうまでしているにも関わらず、彼の気持ちを踏みにじった教師を許すことはできなかった。


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 もう一つは、生徒会でのレクリエーション企画。私と茜、そして彼も通っていた創唯中学校は小中一貫校だ。正確に言えば、創唯学園の中等部に在籍していた。この学園では、毎年、年に一回の小中合同のレクリエーションが生徒会主催で行われることが恒例だ。私と想志が生徒会に居た時も例に漏れず、開催されることとなった。

 企画は全て生徒会が行う。小学生と合同で行う以上、安全面については特に配慮しなければならない。ボール遊びなど以ての外だ。また、小中学生同士での交流を図ってほしいという学校側の意思も汲み取らなければならない。そのような諸々を考慮しているうちに、どう考えても中学生が楽しめるようなレクリエーションになることは無いと誰もが理解していた。怪我をせずに、半日ほど時間が潰せるような遊びとなれば、小中二つの校舎を利用した宝探しをするしかないという案が出ていた。交流を図るために、小中学生でグループを作り、中学生に先導してもらいながら校内を巡っていく。小学生が怪我をしないように、中学生に常に見守ってもらう。再三になるが、これは小学生だけが楽しめるような企画で、彼等には半日、御守を任せているようなものだ。中学生の生徒らから不満が出ても、なにもおかしくはない。

 ただ、学校という構造上、小学生の方が圧倒的に生徒数が多い。加えて、彼等よりも年齢が大きく下回っている。であるならばと、想志は給食時間などに中等部の全クラスを巡り、『小学生が楽しめるように、一緒に協力してほしい。サポートしてほしい。君等にとっては何の面白みもない行事ごとだけれど、良ければ手を貸してほしい』とお願いして回った。

 結果的に、怪我人を一人も出さずにレクリエーションを終えることができた。中等部の生徒は非常に協力的で、運営側からしてみれば感謝してもしきれないほどだった。

 繰り返しになるが、小学生の方が生徒数が圧倒的に多い。多くの人を幸福にしたいのなら、少数である中学生に、このレクリエーションを楽しむという事を切り捨てた。より多くの幸福を考えて、望んだ上での結果なのかは私にはわからない。


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 そして、何より―――

 女子生徒を拒絶したこと。彼が助けて、助けられなくて、傷つけて、傷ついてしまった成れの果て。今思えば、彼は異常なまでに男女隔てなく、困っている人を助けていた。どこかの誰かさんのように、そんな彼のことを想ってしまう女子生徒は、両手では数えきれないほどにまで達していた。その手の話を何度も友達から聞かされた。そして、彼がその想いに報いることはないであろうことも分かっていた。今思えば、彼の中には、誰か一人を選ぶなんて事がそもそもとして選択肢に無かったように思える。それが何を意味するのかなど、わかるはずがない。

 助けることが余計に傷つけてしまうのならと、誰の感情にも与せず、機械的に判断し続けてきた。彼がやっているのは客観的に見れば、『手を差し伸べる・支える』という行為が、結果的に幸福量を減らすことに繋がるのならと考えた上での行動だ。だからこそ、功利主義の上では、その在り方は正しい。


 功利主義。それは結果主義(帰結主義、目的論)、公平性、幸福主義、最大多数の最大幸福を目指す考え方のこと。それらの中で良い行為とされるのは、行為の結果に関わるすべての関係者が選択上で序列をつけ、多くの人が望んだ選択肢が実現することを指す。もちろん、幸福という物は人や時代によって変化するものだ。だからこそ、それを一律に計算することはできないという問題もある。だが、それ以上に一般的とされる幸福を手に入れるのなら、最大多数の最大幸福を目指すべきだという考え方。

 彼の在り方はまさにそれだ。本来、人間はその在り方を体現することは限りなく不可能だ。なぜならば、必ず自己の欲求というものが働くからだ。

『こうしたい。ああしたい。』

 そういった自己がその在り方を侵食していくのが一般的であろう。だが、なぜか彼にはそれが無かった。元からあったのか、消失してしまったのかどうかは私にはわからない。ただ、人形のように、機械のようにそれをこなしていた。彼の中にあるものなど、彼以外にはわからないだろう。いや、彼自身、それを理解しているのかすら怪しい。

 だから、今日のグループディスカッションでの彼の発言には特に驚きはなかった。ただ、『やっぱり変わっていないんだ』という諦めにも似た何かが生じたのみだった。

 私には、彼を変えることなんて出来ない。他の誰だったら、できるのか教えてほしいくらいだ。本当に‥‥‥どうしようもない。


「誰よりも優しくて、誰よりもバカな人」

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