第二部 第七章「言はで思ふぞ」
二〇一八年。二月一四日。
寒波が押し寄せてくるこの季節。時刻は朝の七時。想乃華はマフラーに顔をうずめて、隣を歩く想志へと尋ねる。
「しつこいようだけど、本当に受け取らなくていいの?」
「ああ、受け取るつもりはないよ。」
無機質な表情で答える。
「義理でも?」
「うん。そこは公平にしないと失礼だから。」
『変なところで律儀だなー』
想乃華は所感を口には出さず、心の奥へ追いやる。
「ほんと、女子に伝えるの大変だったんだからね!」
人差し指をピッと立てて、想志との距離を少し詰める。
「助かったよ。ありがと。」
「えー。それだけー?」
わざとらしく、ぷっと頬を膨らませる。
「わかったわかった。今度なんか奢るよ。」
「やったー。そうでないと釣り合わないもんね~。」
想志はそんな彼女の様子を見て、笑みをこぼす。それを面白がってか想乃華はなおも詰め寄る。
「なに二ヤけてるの?なんか変なのー。」
「いや、なに‥‥‥。やっぱり美鮮は頼りになるなって思っただけだよ。」
平然とした顔で大真面目に言う彼に、想乃華は頬を朱に染める。
「そう‥‥‥分かってるならいいの‥‥‥」
想志から目をはずし、俯きがちに髪の毛先をあそばせる。想乃華はこの時間がずっと続けばいいのにと、つい思ってしまう。それが、叶わないと理解していながら―――
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朝のホームルームを迎える五分前という時刻。
「想乃華ー。他の子には伝えておいたよ。」
茜は自身の椅子を後ろへ向け、想乃華へ話しかける。
「ありがとー。マジ助かる。私だけだと無理があったし。」
「いいのいいの、全然。それより‥‥‥」
茜は想志を盗み見て、想乃華の方へ視線を戻す。
「すごいね。ここまでするなんて‥‥‥」
想乃華は思わず苦笑いをしてしまう。
「そうだね。本当に‥‥‥バカが付くくらい真面目で人のことばっかり考えてて‥‥‥」
想乃華が想志から頼まれたことは他でもない。女子から想志へのバレンタインチョコを送らないようにする事だった。
『想志はバレンタインチョコは受け取らない』
この噂を流し、周知させるには相当な苦労を要した。義理であろうが何であろうが、それは関係ない。間接的にでも想いを伝える行為であるのなら、それは彼にとって拒絶しなければならないことだからだ。そもそもの発端は、今から三週間ほど前のこと。想乃華が気まぐれに想志へと尋ねたことがきっかけだった。
「想志って、バレンタインチョコは受け取るの?」
という至ってシンプルな問い。それこそが、今回の苦労を招いた。確かに、彼を想っている生徒にチョコを受け取らないという噂を広めるのは、骨が折れる作業ではあったものの、彼が望むのならと思えば、彼女にとってはさして苦痛ではなかった。
「そんなことより―――」
茜は目線を泳がせる。それは、言うべきか迷っているようで―――
「想乃華は‥‥‥送らなくていいの?」
「大丈夫だよ。アイツの傍にいるって決めた時から、こういうのは何となく覚悟してたからね。」
茜は俯き、ぼそっとつぶやくように発する。
「もっといい方法‥‥‥なかったのかな」
「‥‥‥」
想乃華自身、今回の件に限らず、こんな手の込んでいて遠回りなやり方では、いつか自分たちの首を締める時がやってくるのではないかと予感していた。彼の周囲が音を上げるか彼自身が壊れてしまうまで止まらないと―――
「それにさ‥‥‥伝えなくていいのかな‥‥‥後悔しちゃうかもだよ?」
茜の言わんとする所は想乃華とて理解している。
「いいの‥‥‥これで‥‥‥」
「想志は私が好きでいることを望んでいない。それに‥‥‥」
目線をわずかに下に向けていた想乃華は、茜をまっすぐ見据える。
「私がいなくなったら‥‥‥アイツ‥‥‥独りになっちゃうから‥‥‥」
「だから、いいの。」
「そっか―――」
降る雪は冷たく、彼と彼女の心を覆っていく。積もりはするものの、溶けることはなく。ただ、ひたすらに固い殻で埋め尽くされていく。
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「やあ、わざわざ来てもらって悪いね。」
職員室へと入ってきた想志へ、鶴岡はよっと手を上げる。想志は下校前のホームルームにて、鶴岡から呼び出しを受けていた。
「生徒会の仕事をつい任せっきりにしてしまってごめんね。」
「いえ、大丈夫ですよ。先生がお忙しいのは理解していますから。」
想志にフォローされ、鶴岡は満更でもない笑みを浮かべる。
「ありがとう。」
「想乃華君とは上手くやれているみたいだね。」
「まあ、美鮮は頼りになりますから。」
「そうか―――」
鶴岡は言葉を切ると、『んー』と唸りだした。
「まあいっか‥‥‥この際だから僕の思ってること、ハッキリ言わせてもらうよ‥‥‥」
『もちろん、叱るわけではないけど。ただの杞憂だと受け取ってほしい』
前置きをして続ける。
「君は僕たち教師と同じか、いやそれ以上に達観しているように見える。まあ、実際にそうなんだろうね。僕は君のそういう所が好きだよ。僕には、君をそこまで突き動かすものが何なのかは分からない。でも‥‥‥他人の幸せを思うのなら‥‥‥本当に、自分を犠牲にしてまで他人を助ける必要はあるのかい?」
「それをこれからも常に考え続けてくれると‥‥‥先生は嬉しいかな‥‥‥」
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Interlude
「忠告、ありがとうございます。」
彼はそう言って職員室を後にした。
「本当に中学生‥‥‥?」
「最近、大人びた生徒が多くなったような気がするなー。」
「いや―――正確に言うなら、大人にならざるを得なかった‥‥‥か。」
この十年前後でSNSがコミュニケーションツールの一つとして大きな躍進を果たした。今やそれらを開けば、世の中がどれだけ暗いものに覆われていて、それが本当のことであろうが嘘で塗り固められたものであろうが、現実がどれだけ行き詰っているのかが丸わかりだ。つまりは、夢や希望を持つことの方が困難になったと言える。世の中について知れば知るほど、個人の生き方が狭まったものになっていることは言い逃れが出来ない。
もちろん、彼がその影響を受けたのかは知りえない。だが、単純に僕は彼の行動、在り方には心の底から感心している。敬っていると言っていい。生徒会での活動を近くで見る度にそれを顕著に感じた。彼の言動に一貫していたのは、『自己を顧みずに赤の他人を手助けすること。』
今や、彼が助けてきた人たちは数えきれないほど大勢いる。教師としての立場上、その行いは称賛すべきものだ。だが、個人としては、その在り方が酷く恐ろしく、危うく感じた。
「彼女が支えてあげてくれたらいいんだけど‥‥‥」
「そうだ‥‥‥」
スマートフォンのロックを解除し、電話帳を開く。目当ての番号を見つけ、発信ボタンを押す。
数回のコール音。
「うん―――それじゃあよろしく。」
『何かきっかけが生まれるといいんだけど』




