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第二部 第八章「救い」

 翌日。想志と想乃華は鶴岡の誘いで、丘の上の教会へと歩いていた。

「せんせー。何がどうしたら、こんな事になるんですかー?」

 想乃華は心底、面倒そうに尋ねる。

「いやー、なに。二人に会ってほしい人がいてね。」

 教会の姿かたちが見えるや否や、想志は真顔で質問する。

「宗教勧誘ならお断りですけど‥‥‥。」

 二人の反応に、鶴岡はため息をつく。

「あのなー。僕はいつからそんなに信用されていなかったんだい?」

「そもそも、信用してないでしょ‥‥‥。胡散臭いし。」

「はいはい。無駄口叩いてないで、とっとと行くよー。」


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 教会の入り口には神父服の姿をした男が立っていた。看板には『相田教会』という文字。

 男はこちらに気づくと、手をスッと上げた。

「こんにちは。久しぶりだね、鶴岡君。」

「久しぶり。悪いね、急に時間をつくってもらって。」

「構わないよ。なんせ君のお願いだからね。それに、迷える子羊を放っておくなんてのは、この立場上できないよ。」

 鶴岡は想志と想乃華の方を向く。

「この人は相田教会の神父さん。彼に君たちの事について少し相談しているうちに、直接君らと話をしてほしいと思ってね。」

 想乃華は反射的に反論する。

「ちょ、なに勝手に私たちのこと話してんですか‥‥‥。」

「あー、いやー。」

 困ったなと言わんばかりの態度をとる鶴岡。

「ま、たまにはこういうのもいいんじゃないか?」

「それに、大の大人がわざわざ俺たちのために時間をつくってくれていることに違いはない。なら、ここはおとなしく話でもさせてもらおうぜ。」

 想乃華は不満そうではあったものの

「想志が良いなら‥‥‥いいけど‥‥‥」

 あっさりと引き下がった。

『うん、うん』と鶴岡は満足そうにうなずく。

「それじゃあ、後は三人でごゆっくり。僕は先に帰らせてもらうよ。」

 鶴岡は足早に来た道を戻っていった。

「初めまして、私はここの神父を務めている『相田』と言います。鶴岡はあんな感じですが、君らのことを心配していることは確かですよ。」

「さあ、こちらへどうぞ。」

 相田と名乗る男は柔和な笑みを浮かべ、中へと手招きする。

 室内には誰もいないものの、厳かな雰囲気に包まれていた。中にはベンチタイプの椅子がいくつも並べられていた。また、身廊の先には祭壇が設置されており、教会はステンドグラスに覆われている。そこからは、神聖な雰囲気が漂っている。二人はその空間に圧倒されながらも、神父の後をついていく。

「どうぞ、適当に腰かけてください。」

 想志と想乃華は二センチほどの間隔をあけて座る。

「君たちのことは鶴岡からよく聞いています。とても面白い方々ですね‥‥‥特に、君は‥‥‥」

 相田神父は想志をじっと見つめる。

「まさかっ、それは買いかぶり過ぎですよ。」

 想志は笑って誤魔化す。

 神父は微笑みを湛え、なおも語りかける。

「そんなことはありませんよ。君は他人を助けるためだったら、自己の犠牲は厭わないそうですね。」

 反射的に想乃華は神父を睨みつける。無理もない。彼女にしてみれば、会ったばかりの他人に彼の踏み入った事情に土足で入られたのと同じことなのだから。

 それに気づき、神父は想乃華をなだめようとする。

「ああ、誤解しないでくださいね。今のは彼をとても高く評価して言っただけなのですから。」

 神父はこほんと一つ咳払いをする。

「『面白い人だ』とさっき言いましたが、それはあくまで珍しいタイプの人だなと思っただけです。まあ実際のところ、他人のために自己を捨てるという行為を迷わずできる”ニンゲン”などそうはいません。」

 想乃華は警戒を少し緩める。だが、彼と出会ってからは油断ならない人物だという予感を抱いていた。今もそれは変わらない。

「想志君には自己の安全を優先するという、動物として本来備わっているはずの機能が欠如しています。」

「それはとても危険な状態です。そのようでは、自身の幸せのために生きていく事は決してできないでしょう。そんなものは‥‥‥とても人間の生き方とは言えない。」

 神父は二人に背を向け、祭壇まで歩いていく。

「私は君の在り方が恐ろしいと同時に、悲しいと思えたのです。」

 想志は彼の背中をじっと見つめ、はっきりと確かな想いを口にする。

「心配してくれてありがとうございます。でも‥‥‥大丈夫です。俺はただ自分のやりたいことをやっているだけなんです。」

「鶴岡先生も神父さんも『他人のために』と仰ってくれましたけど、実際はそんな綺麗なものではありません‥‥‥。」

 想志はゆっくりとまぶたを閉じる。

「単に自分のためにやった事が、たまたま相手にとってもプラスになることだったというだけで、別に特別なことは何もしていません。」

「そうですか‥‥‥。自分のために‥‥‥ですか。」

 想乃華はつい、口に出してしまいそうになるのを必死にこらえる。

「行き過ぎた謙遜も考え物ですね‥‥‥。」

 不本意ではあるが、今回ばかりは彼女も神父の意見に同意する。

「想志はそう思っていたとしても、アンタがやっている事は感謝されるべきものだよ。それに‥‥‥その気持ちをちゃんと受け止めるべきだと思う。」

「でなければ、助けられた人たちはいったい誰に感謝して恩返しをすればいいって言うの‥‥‥?どこに、その感謝の気持ちを持っていけばいいって言うの?」

 想乃華は唇をきつく締める。神父には、その姿が過去を悔いているように見えた。

「そうですね。想乃華さんの言う通りだと思います。」

「そもそも自己犠牲というのは物語の中でのみ許される行為です。現実には、助けられた者たちのことを一切考慮していない、ワガママそのもの。」

「自己満足でしかないって事は理解しています。ただ‥‥‥」

 一瞬の沈黙。しかし、想乃華にはそれがとても長い時間のように思えた。

「だからといって、目の前で助けを求めているかもしれない人を放っておく理由にはなりません。」

「仮に、それで誰かを傷つけてしまったのなら‥‥‥どんなことをしてでも責任を取ります。」

 ―――自己満足だとしても、放棄する理由がない。そして、見過ごしてはいけないと誓ったから行動し続ける―――

 本来、彼がそこまでして他人のためを思って行動しなくてはならない理由はない。その人に迷惑をかけた訳でも、傷つけた訳でもない。ただ単に

『一度見てしまったら見なかった事にはしない』

 というだけのこと。

 彼がそんな人間であるという事は彼女自身、この数年で身をもって痛感していた。だからこそ、そんな在り方を憐れんでしまう。

 彼のことを尊重するのであれば、彼女がここまでする道理はないだろう。だが、彼女にはそれができない。『関わり続ける』と覚悟を決めたからには、自分から引くことなど出来やしない。

 ―――それはいったい、何のための、誰のための覚悟なのか―――

 想乃華は今しか問い詰めるチャンスはないと直感し、彼へ畳みかける。

「あなたは負わなくていい責任まで背負ってる。そんなの、責任とは呼ばない‥‥‥ただの責任感‥‥‥。それらは決して、履き違えてはいけないもの。」

 隣に座っている彼の手を強く握る。

「アンタがやっていることは、自分の将来とか幸せを捨ててまで赤の他人を助けてるってことなのっ‥‥‥!」

 声には怒気のようなものが混じっていた。当然、それが誰に対してのものなのかなど、彼女自身理解している。

「好きな人のためだったならまだ理解できる。でも、顔も名前も知らない誰かのために、そんな負わなくていい責任感のために‥‥‥そこまでする理由なんて‥‥‥ないでしょう?」

 彼女の一挙一動は彼の本心を、胸の内を聞かせてほしいと懇願しているようだった。

「‥‥‥」

 再度の沈黙。しかし、それは長くは続かない。ゆっくりと、確かに彼は紡いでいく。

「誰様だって思われるのはわかってるけど‥‥‥俺は今まで多くの人を見捨ててきた‥‥‥。

『助ける』なんてのは思い上がりだけど、手を差し伸べるくらいのことはできたはずだった。」

 それは、助けられなかった誰かへの懺悔なのか、あるいは自身へのものなのか。

「もう見て見ぬふりはしない‥‥‥これまで見捨ててきた多くの人たちのためにも。」

 彼女は唖然とする。震える拳をギュッと押さえつけ、一つの疑念を吐露する。

「そんなにも、呪いのようにアンタを縛り続けているのは自分にその在り方を強制しているから?」

「それとも、『困っている人がいたら誰でも助ける』だなんて、出来もしない理想を追い求めなきゃいけないっていう義務感なの?」

 彼女にはそれが分からなかった。彼に溢れる感情の根源を理解することなんて出来るはずがない。

「さぁ‥‥‥どっちなんだろうね‥‥‥」

 言葉を区切る。それは不安定な形のない『何か』に新しいカタチを与えるかのように、確かに言葉にする。

「そんなもの‥‥‥俺には分からないよ‥‥‥。ただ一つ言えるのは、それらは他人から与えられた物ではないという事だけ。」

「責任も後悔も、想いも。それは自分が背負うべきものだと、頭じゃなくてココロで理解できているから‥‥‥そうするだけなんだ―――」

 彼女の諦観したような表情に陰りが差す。それは、彼には窺い知れるものではない。

「たとえそれが、自己を喪失する生き方でも‥‥‥?」

 想乃華は目に大粒の涙を湛え、想志の身体を震える手で抱きしめた。普段は、大きくてとても遠いように感じるその背中が、今はとても小さいように感じた。

 想志は少し目線を上げる。

「あぁ。仮に自分が幸せになったところで、その後悔が有り続ける限り、俺は自分自身を許すことはできない―――」

 神父は見ていられないとでも言うかのように、彼らに背を向ける。

 時計の針は緩やかに。それでいて規則的に―――『何か』の終わりへのカウントダウンは着実に進んでいた―――


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 Interlude


『これは、あくまで推測に過ぎない』

 前置きを挟み、思考を重ねる。生じてくるのは一つの疑問。そして、一つの懸念。

「彼は他人のためにやっていたことを、『自分のために』と偽ることで、どうにか自分というカタチを保っていたのではないだろうか?」

「顔も名前も知らない赤の他人のために、自分の人生を捨ててまで関わろうとする人間はいません。それは彼自身、理解していたでしょう。」

『まあ、あそこまで達観していますからね』

 理由付けを同時に行う。

「だからこそ、自分が異質な存在であり、どこか壊れていることにも気付いていた。そして何より―――」

「彼女も言っていたが、そうまでして相手を助けるという行為は、助けられた側にいくつかの感情を抱かせる。つまりは、『助けられた側が呵責に苛まれる』という事態が起こるのは必然だということ。なぜなら、彼は自身の命を懸けてでも手を差し伸べようとするのだから‥‥‥。」

「その行為は救われた側に、感謝と罪悪感を生じさせてしまう。だが、それでは彼がそうまでして助けた意味を失ってしまう。」

「なぜなら‥‥‥『悲しんでいる顔をさせたくない』という願いのために行動したはずが、結局は相手に罪悪感を生ませてしまっては本末転倒だからだ。」

「だから‥‥‥彼はそんな優しい嘘をつき続けたのだろう‥‥‥。それは彼自身が幸せになるという事を諦めているという事に他ならない。」

「他人を幸せに出来るのは幸福の在り処を知っている者だけ。彼のやり方では、彼自身が救われないばかりか、誰一人として助ける事なんて出来やしない。それに―――」

「彼が助けたはずの人たちが、その姿を痛ましく思うだろう。それでは、誰も幸福になる筈がないし、何より彼の願いすら果たす事が出来ない。」

 深いため息をつく。

「彼の理想のためと思うのなら、ちゃんと問うべきだろう‥‥‥。」

 思考をめぐらせる。正しい行いをするために。間違えないために。

「神父としてやるべきことは、懺悔をする人々の罪を『赦す』ことだ。」

『もう苦しまなくていい』

 そう伝えることが、彼にとっての一番の仕事だ。そもそも、誰もが自身の罪を神に懺悔しているわけではない。その行為を行うことで、苦しみから解放されるためにやっているだけのこと。もちろん人に寄りけりではあるが、多くの人の根底にあるのはそのような想いだ。

 では、彼はどうだ―――

 彼は重荷を軽くしてほしいとお願いしたわけではない。何があったとしても全てを背負うと決めた”ニンゲン”だ。

 であるならば―――「私にできる事は何もない。あるとしたら‥‥‥それは‥‥‥彼がその重荷を下ろす時まで、見守り続けることだけだ。」

 生気を失ったように見える彼と、秘めたる想いをひたすらに胸の奥底に抱いている彼女を見やる。

「ああ、どうか―――」

「彼らに幸あらんことを―――」


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