第1話 オレに新たな風が吹く
開かれた窓から春の風が花の香を連れてくる。春の温もりは本を読むのに最適だろう。しかし、本棚から一冊の本を取ろうとして立ち止まった。
その横の棚を見ると、日記帳があったからだ。
こんな所に置いておくのは駄目な物なのに、オレは昨日何をしていたのか。侍従に見つかると父に渡されそうなので、机に仕舞うために日記帳を手に取る。
それは、ウェイン・イーリス、オレ自身の日記帳であり、転生者の僕、天谷奏多の記録でもあった。オレの意識が強いが、転生した僕の記憶も価値観も残っている。それを残すための日記でもある。
これは、父に鍵付きの日記を頼んだときに貰ったものだ。転生した瞬間を覚えていないからこそ、今を書いておきたくて父にせがんだものだった。
その日記帳を机の鍵がかかる場所に入れて、鍵をかけてからその鍵をいつもの場所……本と本の隙間へと仕舞う。
オレは本棚の中から一冊の本を選び、本棚と向き合うソファーに座る。
今日も、部屋は静かな空間としてここにある。
教師も、癒師も、誰も側に来ない。だって、それがオレの周りとして、正しい状態だと思っているから。ただ、そう感じているからで明確な理由なんてない。
あるとすれば、オレの存在自体を鬱陶しいと思っている人物がいて、狙われるかもしれないから。もしかしたら、記憶を失った原因もその彼女にあるのかもしれないと考えてしまう程に何故か嫌われている。
それが身内なのが、ヤバいところだろう。
そして、その人にも、誰にも、殺されたくない、そんな気持ちが心の奥底にずっといる。それは、僕が転生した時の記憶がないことに由来するのか。オレに、何かがあったのか、分からないし分からなくていいと思う。
本を開こうとした、その瞬間。外で「お待ちください!」と、言う声が聞こえた。何か、あったのか。また、アレが来るのかと身構えて、肩が跳ねた。
ふと、怖がりながらも振り向きドアの方を向いてしまう。声がして、その声が近づいてきているのがわかったからだ。
ドッカンッと大きな音を立ててドアが開いた。見慣れた、濃いめのミルクティーの髪の色と大粒のシャインマスカット。オレの、婚約者、ユースティーナ・ローズブレイド。
ユースティーナは、今日は少し眉間にシワが寄っている。それに、何だか怒っているようなオーラがある。
「なんだよ、また来たのかよ! 来るなよ」
立ち上がり、窓の方へと移動する。まだ、ここからなら外へ逃げられるだろうか。なにせ、ここは一階だ。しかし、そんな事をすれば、父から叱られる。
叱られるのは嫌だ。
だから、婚約者を帰らせようと、頭を動かす。何と言えば帰ってくれるだろうか。何と言えば、あとで父に叱られないだろうか。
そうすれば、何時もの言葉が心から聞こえるてくる。何となく、こう言えと心が訴えてくるのだ。だから、素直に口に出すことにした。そのほうが正しいと思ったから。
「ほっとけよ、好きでもない相手に好きですなんて言っても無駄だろ? 来んなよ、帰れ、バカ令嬢」
婚約者は、いつもなら「もう来ません!」みたいなことを言って、どこかに行くはずだ。何せ、僕はこいつより偉いんだから。そんな声が心から聞こえる。
ただ、今日は彼女がいつもより、足を進めた。オレの部屋には入ろうとしなかった彼女が、足を進める。
「なんですって!? そろそろ、その口調どうにかしたらどうなの? えぇ、私はもう、貴方を放っておきませんからね!」
「いや、何言ってんの? ほっとけよ」
いつもよりも強気だ。なにせ、本当に腰に手を当てて、厄介な教え子を叱るような姿勢を見せて来る。尚更、窓枠へと近づいた。高いけど、何とか逃げられるだろうか。
「ウェイン・イーリス、覚悟なさい! 絶対に、貴方を矯正してあげるわ!」
「なんだよ、意味わかんねーし! 矯正なんて、必要ねぇよ! バーカ」
彼女のマスカットの目がまるでペリドットのように輝く、まるで何か希望を見つけたようなそんな輝きだった。彼女は、ニヤリと笑ってる。
彼女の髪が春の風に揺られ、輝きを放つペリドットも相まってまるで精霊のように美しい。
その輝きに、怖くなった。
いつもならば「貴方は、私のことなんて嫌いなんだわ!」と、逃げていくはずだ。それなのに、今日はオレに向かってくる。何故か分からない。それが、恐ろしい。
逃げようと、後ろを向き、窓枠に手をかけ、力を入れて、体を持ち上げる。
窓枠に座わることができ、外へと逃げよう、そう決めた時……、オレは後ろから引っ張られた。そして、抱きかかえられた。あぁ、どうして、この人の事を忘れていたのだろう。そうだ、彼女がいるときは隠れているはずなのに。
オレを抱えたのは侍従だ、侍従のカルロスだ。
彼は、父がつけた侍従である。ユースティーナは、何事もなかったかのように、彼の横で、オレを見ている。
彼女をここまで入れたのは初めてだ。先ほどとは違って、いつもの瑞々しいマスカットの目を向けてくる。
彼女から目線を外すと、今度はカルロスが叱るようなため息をついた。
「あかんやろ、ウェイン。逃げたら、あかん」
「うっ……、カルロス」
今度は、カルロスに目を合わせられる。
淡い紫の目が、オレを射抜く。彼に目を合わせられると、なんだかすべてを見透されている気がするのだ。僕が転生した後から、何故か側にいる人物。二年間どれだけ逃げても、いつも見つけてくれる人だ。
彼は、オレを先ほどまで座っていた椅子に座らせる。隣には、いつもなら寄ってこない、ユースティーナがいた。
「ほら、ユースティーナと話しぃや、逃げたらあかんからな」
「別に、話す必要なんて、ないだろ」
ふいっとユースティーナをみないように顔を動かした。両端を押さえられているので、カルロスと目が合う。彼がニタリと笑った。
「あるわよ、私のお父さまから言われてるもの、ウェインに勉強を受けさせてって。私は、貴方が好きだもの」
「嘘だろ! 好きだなんて、どうせババァか何かに言われたんだろ!」
嘘だと、心は言う。だって、何度もひどいことをしてきた。部屋に入らせなかった、彼女が嫌いだと言っているものを用意させた、服をわざと汚した。
オレは殴ってやろうと思った。でも、僕はそれを止めた。
でも、オレはそうしないといけない気がするのだ。そうしないと、胸がざわつく、誰かに暴力を振るい嫌われていないといけない。そんな気がする。
でも、それを僕の価値観が止めて来る。だから、この程度の悪戯ですんでいる。
僕は、物語の強制力、そんな言葉を同人誌か何かで読んだ事を思い出した。それだ、それが何故か自分には掛かっている。そんな気がする。
物語の強制力って、呪いのようだと思う。だって、どんなに頑張ったとしても、決まったゴールに導かれてしまうのだから。
かと言って、物語をそのとおりに進めようとか、物語を変えようだとかそういうのは思えない。
なぜなら、僕はこの物語を知らない。分からない、だから……この言葉に従うしかなかった。なるべく、人は物理的に傷つけないようにしたい。
「……。そんな事ないわよ、私は、私の意思でここに来たもの。あなたの叔母様なんて、気にしていないわ……」
「……」
「大丈夫、あなたは優しい人になれるって、私は信じているもの。頑張りましょうね?」
「嫌だ、なってたまるか」
「あら、今の自分が優しくないって自覚はあるのね」
彼女は、オレと目を合わせるためにオレの頬に手を添えて、顔を上げさせた。優しい目がオレを見つめる。その、ぬくもりが今のオレには居心地が悪い。
「ふふ。きっと、明日の儀式で貴方の人生は変わるわ、だから、私を信じて?」
「……。変わるわけがないだろ、どうせ……。誰も、僕に関わってこないんだ」
彼女の目は真剣だった。それでも、オレは信じられなかった。
「う、嘘だったら、婚約なんか、破棄するからな!」
「嘘ではないわ、人を信じる事から始めましょうね?」
「出ていけ、このバカァ!!」
彼女が立ち上がる、そして「明日は行くのよ!!」と、声を大きくし、オレにビシッと指を突きつけてから、去っていった。何しに来たんだか、よく分からない。
ドアを睨みつけていると、絵画の生き物と目があった気がした。
空にドラゴン、海にシャチ、一枚を二つに割った絵画がある。綺麗な絵画だ。父が言うには、数百年前からあると言われるが……劣化も何もない、今も魔力が感じられるものだ。これは、普通の絵画なのか、不勉強な自分には何も分からない。
あぁ、億劫だ。ただ、自然のように自由にできればいいのに。そう思ってしまった。今の、オレに自由はない。
明日は行きたくもない、聞きたくもない。
自分の価値を指定される儀式など、行きたくもない。ギフトの価値が低くても高くても、きっと……狙われて、殺されるのだから。
それにしても、どうして殺されるなんて思うのか、さっぱりわからなかった。




