第4話 第三皇女様は、俺とお揃いの贈り物を選びたいらしい
雑貨店の奥へ進むにつれ、外の喧騒は少しずつ遠ざかっていった。
通りへ面した窓から差し込む昼前の光が、棚に並んだ小瓶や硝子細工を淡く照らしている。壁際には細い鎖の首飾りや色鮮やかな髪留め、木彫りの置物、刺繍入りの小袋などが丁寧に並べられ、天井から吊るされた小さな風鈴が、扉の開閉で入り込んだ風に揺れて澄んだ音を立てていた。
店内には花と乾いた木を混ぜたような、どこか落ち着く香りが漂っている。
皇城の宝物庫や、貴族向けの商会に並ぶ品々と比べれば、ここにある物は決して高価ではない。
だが、一つひとつに作り手の温かみがあった。
手に取る者の暮らしを思い浮かべながら作られた品なのだろう。棚の前で足を止めている客たちも、値段ではなく、贈る相手の顔を思い浮かべながら品を選んでいるように見えた。
ソフィアはそんな店内を、空色の瞳を輝かせながら見回している。
「素敵なお店ですね」
「気に入ったか?」
「はい。お城へ来る商人の方々が持ってくる品とは、少し違います」
「こういう店は初めてなのか?」
「皇女として訪ねたことはありません。お忍びでも、これほどゆっくり見たことは……」
ソフィアは言いかけて、少しだけ言葉を濁した。
以前にも何度かカイと城下へ出たことはある。
しかし、どれも急な思いつきから始まったものだった。
市場の視察。
菓子店巡り。
平民の暮らしの調査。
護衛として同行したカイは、常に周囲へ気を配り、何か問題が起きないかと神経を張り詰めていた。ソフィアもまた、自分が皇女であることを忘れられず、長く一つの場所へ留まることはなかった。
今日は違う。
婚姻準備という名目がある。
恋人という設定もある。
何より、カイと二人で選びたい物があった。
「こちらへどうぞ」
先を歩く女性店員が、店の奥にある小さなカウンターへ二人を案内した。
年齢は二十代半ばほどだろうか。柔らかな茶色の髪を後ろでまとめ、白い前掛けを身につけている。笑顔は穏やかだが、先ほどからカイとソフィアを交互に見る目には、明らかな好奇心が混ざっていた。
カウンターの前には椅子が二脚並んでいる。
店員が勧めるまま、ソフィアが片方へ腰掛ける。カイはその後ろへ立とうとしたが、ソフィアがすぐに隣の椅子を指差した。
「カイも座ってください」
「俺はここでいい」
「一緒に選んでくださるのでしょう?」
「そうだが」
「では、隣へ」
有無を言わせない口調だった。
ただし、皇城にいる時のような威厳はない。
むしろ、隣に座ってほしいと素直に頼めず、少しだけ拗ねているように見えた。
カイは仕方なく隣の椅子へ腰掛ける。
椅子と椅子の間隔は思っていたより狭い。座った途端、ソフィアの肩とカイの腕が触れそうな距離になった。
少し離れようと身をずらす。
だが、椅子の端には限界がある。
これ以上動けば落ちる。
「近くないか?」
「恋人なら普通では?」
「そういうものなのか?」
「そういうものです」
ソフィアは自信ありげに答えた。
しかし、耳が赤い。
おそらく本人も慣れてはいない。
それでも離れようとしないのだから、恋人設定を随分と真面目に守ろうとしているらしい。
「お二人は本当に仲がよろしいのですね」
向かい側で準備をしていた店員が、楽しそうに笑った。
「いえ、俺たちは――」
「はい」
カイとソフィアの声が再び重なる。
否定したカイと、肯定したソフィア。
店員は二人の顔を見比べ、ますます楽しそうな笑みを浮かべた。
「なるほど」
「何がなるほどなんです?」
「いえ。よく分かりました」
「何も説明していませんが」
「男女の間には、言葉にしなくても伝わることがございますから」
「そういうものですか」
「はい。彼女さんの方が、少し大変そうですが」
「店員さん」
ソフィアが穏やかな笑顔で呼びかける。
声は優しい。
だが、なぜか店員の背筋が伸びた。
「はい、何でしょう?」
「商品の説明をお願いできますか?」
「もちろんです」
それ以上は触れない方がいいと察したらしい。
店員はカウンターの下から細長い箱を取り出し、二人の前へ置いた。
箱を開く。
中には、様々な形をした装飾品の見本が収められていた。
細い鎖の首飾り。
小さな飾りを取りつけられる耳飾り。
革と金属を組み合わせた腕輪。
簡素な指輪。
他にも、衣服へつける留め具や、鞄に吊るす小さな飾りまである。
「当店では、お客様にお好きな形の装飾品をお選びいただき、そこへご希望の石を埋め込んでおります」
店員は説明しながら、さらに別の箱を取り出した。
今度の箱には、色とりどりの小さな石が並んでいる。
赤。
青。
緑。
黄色。
紫。
透明。
乳白色。
どの石も宝石と呼ぶほど高価な物ではないが、磨かれた表面は光を受けて美しく輝いていた。
「お選びいただいた石は、職人が一つずつ形を整え、装飾品へ埋め込みます。完成には通常三日ほどいただいております」
「完成したら、こちらへ取りに来ればいいのですか?」
ソフィアが尋ねる。
「はい。ご希望でしたら、帝都内へお届けすることもできます」
「取りに来ます」
即答だった。
カイは隣を見る。
「届けてもらった方が楽じゃないか?」
「また来たいのです」
「気に入ったんだな」
「はい」
ソフィアは嬉しそうに頷いた。
ただ店を気に入ったというより、もう一度カイと来る理由ができたことを喜んでいるようにも見えた。
もちろん、カイはそこまで深く考えない。
「それで、こちらの商品には少し特別な意味がございまして」
店員が声を弾ませる。
「恋人同士で一つずつ石を選び、それをお互いの装飾品へ入れるのです」
「互いの装飾品へ?」
カイが聞き返す。
「はい。例えば、男性が青い石を選び、女性が白い石を選んだとします。男性が選んだ青い石を女性の装飾品へ、女性が選んだ白い石を男性の装飾品へ入れるのです」
「なるほど」
「互いが選んだ石を身につけることで、離れていても心は繋がっている。そうした願いを込めた商品で、最近は若い恋人たちの間で人気なのですよ」
店員は二人へ微笑みかけた。
「名前は『愛の絆』と申します」
カイは商品名を聞いて固まった。
隣ではソフィアが興味深そうに箱の中を見つめている。
「愛の絆」
「はい」
「とても素敵ですね」
「ありがとうございます」
「待ってくれ」
カイは慌てて会話へ割り込んだ。
「今日選ぶのは、ソフィーが婚約者へ贈る物だよな?」
「そうです」
「なら、婚約者本人が石を選ばないと意味がないんじゃないか?」
当然の疑問だった。
互いに選んだ石を交換する。
それが商品の趣旨であるなら、カイが選ぶのはおかしい。
ソフィアの婚約者が誰なのかは知らないが、少なくとも今この場にはいない。
「問題ありません」
「どうして?」
「婚約者の好みは、私がよく知っていますから」
「そうなのか?」
「はい。長い付き合いですので」
ソフィアはカイの顔をじっと見ながら答えた。
長い付き合い。
その言葉が、カイの胸に小さく引っかかる。
婚約者とは以前から交流があったらしい。
幼い頃から付き合いのある貴族かもしれない。
皇族同士の交流で知り合った他国の王子という可能性もある。
ソフィアが相手をよく知っているなら、政略だけで決められた婚姻ではないのだろう。
それは喜ばしいことのはずだ。
それなのに、なぜか素直に安心できなかった。
「カイ?」
「何でもない」
「変な顔をしています」
「相手の好みを知っているなら、俺が選ぶ必要はないんじゃないかと思って」
「カイが選んでください」
「だから、なぜ?」
「私がそうしてほしいからです」
ソフィアはまっすぐ言い切った。
理由を説明する気はないらしい。
カイはしばらく見つめ返したが、折れる気配のない空色の瞳を前に、先に諦めた。
「分かったよ」
「本当ですか?」
「ただし、婚約者が気に入らなくても責任は取れないぞ」
「必ず気に入ります」
「随分と自信があるんだな」
「ええ。私以上に、カイが選んだ物を気に入る人ですから」
「俺の知り合いか?」
「知り合いどころではありません」
「誰だ?」
「秘密です」
また秘密。
ソフィアは婚約相手について、驚くほど詳しいことを話そうとしない。
先ほどから、聞けば分かりそうなところで必ずはぐらかされる。
「いつか紹介してくれるんだろうな?」
「もちろんです」
「いつ?」
「婚姻式までには」
「遅くないか?」
「大丈夫です」
「何が大丈夫なのか、全然分からない」
カイがため息を吐くと、ソフィアは楽しそうに笑った。
向かい側の店員は、先ほどから何か言いたそうに二人を眺めている。
だが、商売人として余計な口を挟まないよう耐えているらしい。
それでも、カイと目が合った瞬間、何とも言えない憐れむような笑顔を向けられた。
「何ですか?」
「いえ。お幸せにと思いまして」
「俺ではありません」
「そうでございますか」
口では否定しながら、まったく信じていない顔だった。
「まずは装飾品の形をお選びください」
店員が話を戻す。
ソフィアは並べられた見本を一つずつ手に取った。
最初に指輪。
細い銀色の輪に、小さな石を一つ埋め込む形である。
「指輪はいかがでしょう?」
「婚約指輪と重なるだろう」
カイが答える。
「婚約者なら、正式な指輪を別に用意するはずだ。普段使いには向かないんじゃないか?」
「なるほど」
ソフィアは少し残念そうに指輪を戻した。
次に首飾りを手に取る。
「こちらは?」
「夜会や式典では、衣装に合わせた首飾りをつけることが多いだろう。毎日身につけるなら、少し不便かもしれない」
「では、耳飾りは?」
「同じ理由で難しいな。それに、片方だけ失くしたら困る」
「髪飾り」
「男は使えないだろ」
「そうでした」
ソフィアは真剣に悩んでいる。
その横顔を見ながら、カイも見本を手に取った。
最後に残ったのは腕輪だった。
細い革紐を編み込み、中央へ銀色の金具を取りつける形。金具部分へ小さな石を埋め込める。
装飾は控えめで、男女どちらでも身につけられそうだ。
「これがいいんじゃないか?」
カイが腕輪を持ち上げる。
「腕輪ですか?」
「これなら服装を選ばない。手袋をつけても邪魔にならないし、剣を振る時も問題なさそうだ」
「剣を?」
「ああ。婚約者が王族や貴族なら、剣術を嗜んでいる可能性もあるだろう」
「確かに、剣を使います」
「やっぱり騎士なのか?」
「似たようなものです」
「近衛騎士?」
「とても近いです」
ソフィアの答えは曖昧だった。
だが、相手が剣を使う人物なら腕輪は向いている。
「それに、ソフィーも普段からつけられる」
「毎日でも?」
「ああ。婚約者とお揃いなら、身につけていた方が相手も喜ぶだろう」
「カイも喜びますか?」
「なぜ俺が?」
「一般的な男性なら、という意味です」
「そうだな。自分が贈った物を大切にしてもらえたら嬉しいと思う」
「では、ずっと身につけます」
ソフィアは大切な約束をするように答えた。
「お風呂へ入る時も」
「革が傷むから外した方がいい」
「眠る時も」
「寝具に引っかかるぞ」
「では、それ以外はずっと」
「好きにすればいいが、無理はするなよ」
「はい」
ソフィアは腕輪を胸元へ抱き、幸せそうに微笑んだ。
その姿だけを見れば、本当に婚約者から贈られた品を手にしているようだった。
「お二人とも腕輪でよろしいでしょうか?」
店員が確認する。
「はい。同じ物を二つお願いします」
ソフィアが答えた。
「俺の分も?」
カイは思わず聞き返す。
「二つで一組の商品でしょう?」
「そうだが、もう一つは婚約者の分だろ?」
「そうです」
「なら、俺の分ではないよな」
「今はカイの腕に合うよう作ってもらいます」
「なぜ?」
「婚約者と体格が近いからです」
「会ったこともないのに?」
「私は会っています」
「俺が、だ」
「カイもよく知っています」
「誰なんだ、本当に」
首を傾げても、ソフィアは微笑むだけで答えない。
自分と同じくらいの体格。
剣を使う。
カイもよく知っている。
長い付き合い。
条件を並べれば、近衛騎士団の誰かだろうか。
だが、皇女の婚姻相手になれるほど高い身分を持ち、カイと親しい人物など多くない。
皇太子付きの近衛騎士に、侯爵家出身の男がいたはずだ。
それとも、第二皇女の婚家にいる若い将軍だろうか。
考えても分からない。
「では、腕周りを測らせていただきます」
店員が柔らかな布尺を取り出した。
「まずは彼氏さんから」
「彼氏では」
「カイからお願いします」
ソフィアが店員の言葉へ重ねる。
否定を最後まで言わせてもらえなかった。
カイは渋々右腕を差し出す。
店員が手首へ布尺を巻き、寸法を書き留める。
次にソフィア。
細い手首へ布尺が巻かれる様子を見て、カイは自分との違いに改めて驚いた。
「細いな」
思わず呟く。
「そうですか?」
「ああ。少し力を入れたら折れそうだ」
「折らないでください」
「折るわけないだろ」
「カイなら守ってくれると信じています」
「当然だ」
即答した。
ソフィアは嬉しそうに目を細める。
店員はそのやり取りを聞きながら、ついに堪え切れなくなったように笑った。
「何です?」
「本当に、お似合いだと思いまして」
「だから俺たちは――」
「石を選びましょう」
またソフィアに遮られる。
「ソフィー」
「何ですか?」
「何でもない」
今さら訂正を重ねても、店員は信じないだろう。
今日だけの設定だ。
恋人に見える必要がある。
そう割り切ることにした。
店員が石の箱を二人の近くへ寄せる。
「こちらはすべて帝国内で採れた天然石でございます。色や模様は一つずつ異なりますので、同じ物はございません」
ソフィアは身を乗り出した。
「石には、それぞれ意味があるのですか?」
「言い伝え程度ではございますが、ございます。赤は情熱、青は誠実、緑は安らぎ、黄色は幸福、紫は信頼、白は純粋、黒は守護を表すとされております」
「守護」
ソフィアの視線が、黒い石へ向いた。
真っ黒ではない。
光の加減によって、深い青にも見える石だった。
表面には銀色の細かな筋が走っている。
「こちらが気になりますか?」
店員が尋ねる。
「はい」
「夜空石と呼ばれる物です。暗い場所では黒く見えますが、光を受けると青く輝きます。大切な人を暗闇から守り、帰る場所へ導くという言い伝えがございます」
ソフィアはその石を指先でそっと持ち上げた。
窓から差し込む光へ翳す。
黒く見えていた石の奥に、深い青色が浮かび上がった。
「カイみたいです」
「俺?」
「黒い髪に、暗い色の瞳。でも、光の下では少し青く見えます」
「考えたこともなかった」
「私は、昔から知っています」
ソフィアは石を見つめながら、小さく微笑んだ。
「暗い場所で、私を見つけてくれましたから」
七年前の森。
誘拐されたソフィアを見つけた時、辺りはすでに夕暮れだった。
人攫いたちの目を盗み、縄を切り、震える小さな手を引いた。
その記憶を思い出し、カイは少し照れくさくなる。
「あれは偶然だ」
「偶然でも、助けてくれたことは変わりません」
「そうだな」
「私は、この石にします」
ソフィアは夜空石を大切そうに掌へ乗せた。
「カイに贈る石です」
「婚約者に、だろ?」
「……カイが選ぶ方の腕輪へ入れる石です」
「分かりづらい言い方だな」
ソフィアは頬を膨らませた。
だが、すぐに視線を石へ戻す。
夜空石。
守護。
大切な人を暗闇から守り、帰る場所へ導く。
ソフィアが婚約者へその石を贈りたいということは、相手を心から大切に思っているのだろう。
胸の奥がまた少し重くなる。
カイはその感覚を無視し、石の箱へ目を向けた。
「次はカイが選んでください」
「ソフィーに似合う物を?」
「はい」
色とりどりの石が並んでいる。
青い石へ自然と目が向いた。
ソフィアの瞳の色。
今日の服の色。
いつも身につけているドレスにも、青が多い。
「青がいいんじゃないか?」
「私が青い石を好きだから?」
「それもあるが、ソフィーの目に似ている」
カイは一つの石を手に取った。
淡い空色の石。
透明感があり、光へ翳すと奥に白い雲のような模様が見える。
「これだな」
「どうして、この石を?」
「見た瞬間、ソフィーを思い出した」
カイは何気なく答えた。
隣から返事がない。
顔を向ける。
ソフィアは目を大きく開き、頬を赤くしていた。
「どうした?」
「……もう一度」
「何を?」
「今の言葉を、もう一度言ってください」
「見た瞬間、ソフィーを思い出した」
「もっと自然に」
「注文が多いな」
「お願いします」
真剣な顔で頼まれ、カイは困ったように石を見た。
「この青い石が、ソフィーの目に似ていると思った。明るくて、澄んでいて、見ていると落ち着く」
言葉にしてから、少し気恥ずかしくなる。
何を言っているのだろう。
ただ石を選ぶだけなのに。
ソフィアは両手で顔を覆った。
「やっぱり熱があるのか?」
「ありません」
「顔が真っ赤だぞ」
「今日は暑いのです」
「店の中は涼しいが」
「私には暑いのです!」
強い口調で押し切られた。
店員は、完全に笑いを堪え切れなくなっている。
口元を手で隠しながら、肩を震わせていた。
「この石は、空雫石と申します」
何とか落ち着きを取り戻した店員が説明する。
「誠実な心と、変わらぬ想いを表す石です。離れていても、相手を想う心が曇らないようにという願いが込められております」
「変わらぬ想い」
ソフィアが顔を上げる。
まだ赤い頬のまま、カイの選んだ石を見つめる。
「これにします」
「俺が選んだ物でいいのか?」
「カイが選んでくれた物がいいのです」
「婚約者の好みは?」
「絶対に気に入ります」
「また言い切ったな」
「はい」
夜空石と空雫石。
黒に近い青と、淡い空色。
二つの石がカウンターの上へ並べられる。
カイは何となく、それらが互いを補うような色に見えた。
「では、夜空石をこちらの大きい腕輪へ。空雫石を小さい腕輪へお入れします」
店員が確認する。
「反対です」
ソフィアがすぐに訂正した。
「夜空石を私の腕輪へ、空雫石をカイの腕輪へお願いします」
「ソフィー?」
「互いに選んだ石を交換するのでしょう?」
「そうだが」
「私が選んだ夜空石は、カイを思って選びました。だから私が身につけます」
「逆じゃないのか?」
「カイが私を守るという意味の石ですから、私が持つのです」
「空雫石は?」
「カイが私を思い出して選んだ石です。だからカイが身につけます」
理屈が合っているような、合っていないような。
店員も少し考えてから、柔らかく笑った。
「決まりはございません。お二人が大切だと思う形で身につけていただくのが一番です」
「だそうです」
ソフィアは勝ち誇ったようにカイを見る。
「だが、これは婚約者へ渡す物だろ?」
「完成するまでは、カイの腕に合わせる必要があります」
「完成した後は?」
「その時に考えます」
「絶対、何か誤魔化しているよな」
「気のせいです」
またそれだった。
カイは追及を諦める。
「最後に、金具の裏側へ短い文字を刻むこともできます」
店員が小さな見本板を取り出した。
そこには、名前や日付、短い言葉が刻まれた金具が並んでいる。
「恋人同士でしたら、お互いのお名前や、出会った日を刻まれる方が多いですね」
「名前」
ソフィアの瞳が輝く。
カイは嫌な予感を覚えた。
「婚約者の名前を刻むんだな」
「はい」
「俺は知らないから、ソフィーが書いてくれ」
「分かりました」
店員が小さな紙とペンを差し出す。
ソフィアは迷いなく筆を取った。
一つ目の欄へ文字を書く。
カイ。
その名が見えた瞬間、本人は固まった。
「待て」
「何です?」
「なぜ俺の名前を書く?」
「大きい腕輪につける方です」
「大きい腕輪は婚約者の分だろ?」
「今はカイの腕に合わせています」
「だからといって、名前まで俺にする必要はない」
「お忍び用です」
「何のお忍びだ?」
「店員さんに不自然に思われないためです」
カイは向かいの店員を見る。
店員は微笑んでいる。
すでに十分すぎるほど二人を恋人だと思っている顔だった。
「今さら不自然も何もないだろ」
「恋人設定を最後まで守らなければなりません」
「誰も疑ってないぞ」
「なら、なおさら問題ありません」
ソフィアは二つ目の欄へ、自分の名を書いた。
ソフィー。
本名ではない。
今日だけの愛称だ。
「大きい腕輪にソフィー、小さい腕輪にカイと刻んでください」
「逆じゃないんですか?」
店員が尋ねる。
「贈る相手の名前を身につけたいので」
「なるほど。素敵ですね」
「ありがとうございます」
「待ってくれ」
カイは話についていけない。
「俺がソフィーの名前をつけた腕輪を身につけるのか?」
「恋人設定ですから」
「店を出た後は?」
「護衛の証として」
「どんな証だ?」
「私から離れないという約束の証です」
ソフィアは笑顔で言った。
昨日、手を繋ぎながら交わした約束を指しているのだろう。
婚姻式までの専属護衛。
ソフィアから離れない。
それを証明する腕輪。
そう考えれば、騎士として身につける理由はある。
だが、そこへソフィーという名が刻まれる意味までは分からない。
「婚約者へ渡す物とは別に、俺たちの護衛用として作るということか?」
カイが確認する。
ソフィアは一瞬黙った。
「……そのように考えていただいて構いません」
「最初からそう言えばいいのに」
「言っても、カイは断ったでしょう?」
「断るに決まっているだろ。私的な贈り物を主君から受け取るわけにはいかない」
「これは任務に必要な物です」
「本当に?」
「はい」
「陛下や団長の許可は?」
「あります」
「いつ取った?」
「昨日です」
準備が良すぎる。
どうやらカイが断ることを見越し、先回りして許可を取っていたらしい。
「そこまでして、お揃いの物が欲しかったのか?」
何気なく尋ねた。
ソフィアの表情が止まる。
空色の瞳が揺れる。
「……欲しかったです」
小さな声だった。
いつもの強気な命令口調ではない。
一人の少女が、ずっと言えなかった願いを打ち明けるような声だった。
「駄目ですか?」
見上げる瞳に不安が浮かんでいる。
カイは返事に詰まった。
七年。
出会ってから、ソフィアは多くの物を与えてくれた。
生きる場所。
学ぶ機会。
騎士になる道。
名前しか持っていなかった少年を、今の自分へ導いてくれた。
そのソフィアが、婚姻前の思い出として、護衛の自分とお揃いの物を欲しいと言っている。
断る理由などなかった。
「駄目ではない」
「本当に?」
「ああ。婚姻式まで、護衛の証として身につける」
「婚姻式の後は?」
すぐに聞き返された。
「任務が終わっても、大切に保管する」
「身につけてはくれないのですか?」
「婚約者が嫌がるだろ」
「嫌がりません」
「また言い切った」
「絶対に」
「なら、壊れない限り身につける」
カイが答えると、ソフィアの顔に笑みが広がった。
「約束ですよ」
「ああ」
「外してはいけません」
「風呂と訓練の時は外す」
「……仕方ありません」
「眠る時も外すぞ」
「腕へつけたまま眠ってください」
「寝具に引っかかると言っただろ」
「なら、枕元へ置いてください」
「分かったよ」
「必ずです」
「はいはい」
あまりに真剣なので、カイは笑いながら頷いた。
ソフィアは満足そうに胸元へ手を置く。
「では、その内容でお願いします」
「かしこまりました」
店員は注文内容を紙へまとめていく。
「完成は三日後になります。お受け取りの際には、こちらの札をお持ちください」
小さな木札が差し出される。
ソフィアが受け取ろうとしたが、カイが先に手を伸ばした。
「俺が預かる」
「なぜです?」
「失くしたら困るだろ」
「私が失くすと思うのですか?」
「以前、菓子店巡りの時に財布を失くしかけた」
「落としてはいません」
「俺が気づいたからな」
「今回は大丈夫です」
「婚姻準備の補佐役は俺だ。こういう物を管理するのも仕事だろ」
カイは木札を上着の内側へしまった。
ソフィアは少し不満そうにしていたが、すぐに表情を緩める。
「では、三日後も一緒に来てください」
「任務ならな」
「任務です」
「分かった」
「二人で」
「団長たちは周囲にいるだろう」
「すぐ傍は二人です」
「今日と同じなら」
「恋人設定も同じです」
「またやるのか?」
「お忍びですから」
ソフィアは当然のように答えた。
その嬉しそうな顔を見ていると、断る気は起きなかった。
「お会計はこちらになります」
店員が金額を伝える。
カイは自分の財布を取り出した。
「カイ?」
「半分は俺の腕輪だろ。自分の分は払う」
「私が贈る物です」
「だが」
「私が贈りたいのです」
「それなら、ソフィーの分は俺が払う」
「え?」
「互いに贈り合うんだろ?」
カイとしては自然な提案だった。
一方的に受け取るのは落ち着かない。
ソフィアの腕輪を自分が贈るなら、公平になる。
「俺が選んだ石も入る。なら、俺からソフィーへの贈り物ということでいい」
ソフィアは目を見開いたまま動かない。
「嫌か?」
「いいえ」
声が震えている。
「嬉しいです」
ソフィアは胸元で両手を重ね、目を細めた。
「とても」
その笑顔があまりに柔らかく、カイは一瞬見惚れた。
だが、すぐに視線を外し、店員へ代金を支払う。
店員も微笑ましそうに二人を見ていた。
「では、彼氏さんから彼女さんへの腕輪と、彼女さんから彼氏さんへの腕輪ですね」
「はい」
今度はソフィアだけでなく、カイも否定しなかった。
今日だけの設定。
店員に説明するのも面倒だった。
それだけの理由である。
しかし、ソフィアはそのことを知らない。
否定されなかったことが嬉しくて、頬を赤らめながら笑っていた。
「三日後のお越しをお待ちしております」
「ありがとうございます」
ソフィアが丁寧に頭を下げる。
カイは先に立ち上がり、椅子を引いた。
「どうぞ」
「カイ?」
「恋人らしく、だろ?」
広場で観察した男たちの振る舞いを思い出したのだ。
ソフィアは驚いた後、嬉しそうに立ち上がった。
「よくできました」
「子供扱いするな」
「褒めているのです」
「褒め方が上からなんだよ」
「私は皇女ですから」
「今はソフィーだろ」
「そうでした」
二人は笑いながら店の出口へ向かう。
カイが扉を開けると、銀色の鈴が軽やかに鳴った。
外には昼の光が満ちている。
大通りから聞こえる商人の声。
焼きたてのパンの香り。
遠くで鳴る鐘。
ソフィアが店を出たところで立ち止まり、カイを振り返った。
「カイ」
「何だ?」
「手を」
白い手が差し出される。
先ほどよりも自然だった。
カイも今度は迷わず、その手を取る。
「次はどこへ行く?」
「お腹が空きました」
「もう昼だからな」
「恋人たちは、どのような場所で食事をするのでしょう」
「さあ。高級な店か?」
「お忍びで高級店へ入れば目立ちます」
「なら、屋台で何か買うか」
「一緒に食べたいです」
「分かった。座れる場所を探そう」
歩き出そうとしたカイを、ソフィアが引き止める。
「どうした?」
「腕輪、楽しみですね」
「ああ」
「三日後も、必ず来てください」
「約束しただろ」
「私から離れないという約束も、忘れていませんか?」
「忘れてない」
「婚姻式までですよ」
「分かっている」
「その後も」
「その後?」
カイが聞き返す。
ソフィアは一瞬だけ迷い、やがて小さく笑った。
「腕輪を大切にしてくださるという約束です」
「ああ。壊れない限り、ずっと持っている」
「絶対ですよ」
「絶対だ」
ソフィアは満足そうに頷き、今度こそ歩き出した。
繋いだ手が揺れる。
その少し後ろ。
通りの反対側では、変装したマリアたちが二人の様子を見守っていた。
「腕輪を贈り合ったぞ」
女性騎士の一人が、信じられないものを見る顔で呟く。
「カイの方から、ソフィア様の分を払うと言った」
「進展では?」
「いや。本人は護衛の証だと思っている」
「どうして、あれで気づかないんだ?」
「分からん」
マリアはこめかみを押さえた。
恋人同士として手を繋ぎ。
互いを思わせる石を選び。
名前を刻んだお揃いの腕輪を贈り合う。
ここまでしてなお、カイはソフィアの婚約相手が自分である可能性を少しも考えていない。
「姫様も大変だな」
「団長、助けなくていいんですか?」
「何をどう助けろというのだ」
「カイへ真実を教えるとか」
「それをすれば、姫様に斬られる」
「団長でも?」
「笑顔で処刑を命じられるだろうな」
女性騎士たちは揃って黙った。
十分あり得る。
「それに」
マリアは、手を繋いで歩く二人の背中を見る。
「姫様は、カイ自身に気づいてほしいのだろう」
「気づきますかね?」
「……婚姻式までには気づいてもらわなければ困る」
声に自信はなかった。
むしろ、帝国の未来を憂うような深刻さが滲んでいる。
その頃、当のカイはソフィアと共に屋台を見て回りながら、婚約者への贈り物選びがうまくいったことに安堵していた。
自分の名が刻まれること。
自分の腕に合わせて作られること。
婚姻式の後も身につけるよう求められたこと。
いくつもの不自然な点があった。
それでもカイは、ソフィアが婚姻前に世話になった騎士へ思い出の品を贈りたいのだろうと、都合よく納得していた。
隣を歩くソフィアが、どれほど嬉しそうに繋いだ手を見つめているかにも気づかない。
「カイ、あれが食べたいです」
ソフィアが指差したのは、焼きたての薄いパンへ肉と野菜を挟んだ屋台料理だった。
「分かった。買ってくるから、ここで待っていてくれ」
「一緒に行きます」
「人が多いぞ」
「離れないと約束しました」
「俺が離れない方だった気がするが」
「同じことです」
手を繋いだまま、二人は屋台へ向かう。
春の陽光の下。
誰が見ても仲の良い恋人同士にしか見えない姿で。
第三皇女ソフィアのお忍び婚約準備は、本人だけが望む通り、少しずつ形になり始めていた。
ただし。
その婚約相手であるはずの騎士だけが、今日も何一つ分かってはいなかった。




