9.書庫⓵
水底から浮き上がるようにカルラは目覚めた。今日の予定は特にないが、日課の鍛錬をしなければならない。まだ日も登り始めたころ。軽装に着替え、簡単に髪を結う。鏡で確認することもなく、木刀を片手に部屋を後にした。階段を下り、玄関を出て、修練場に向かう。修練場と言っても、屋根も柵も道具もない。一面の緑を臨むだけの草原だ。ジェイドやカルラを鍛えるために、父が用意したものだった。修練場に着くと、そこにはジェイドがいた。いたというよりは、寝転んでいる。まだ酔いが抜けていないのだろうか。豪快に寝息を立てるジェイドを他所に、カルラは素振りを始めた。
「飲むべきか、飲まざるべきか、それが問題だ」
ジェイドの寝言だった。
「水がなければお酒を飲んだらいいじゃない」
ジェイドはまたしても意味不明な寝言を零しながら、こちらへコロコロ転がって来る。思わず素振りを止め、ジェイドの横転コースからそれる位置に移動した。うっかり蹴り飛ばしそうだった。この兄は何をしにここへ来たのだろう。そもそもどうやって来たのだろう。あの泥酔ぶりでは、自力でここまで来られるとは思えないが。カルラは思考を振り払うように、素振りを再開する。100回振り終えたところで、アンドロメダが修練場にやってきた。朝食の用意ができたらしい。カルラはジェイドに声をかけるが、応答はない。念のため肩を揺するが生返事が零れるばかり。諦めたカルラはジェイドを置いて屋敷に戻ることにした。
朝食の前にシャワーを浴びて、ドレスに袖を通す。ダイニングに近づくにつれ、美味しそうな匂いがだんだん強くなる。焼けたベーコンの香ばしさ。焼き立てのパンの香り。匂いに導かれるように扉を開ければ、ジェイド以外の全員が揃っていた。カルラはアルの横に座る。
「おはようございます、アル。昨日はよく眠れましたか?」
アルはまだ眠そうな表情のままカルラを見る。
「おはよう。ベッドがすごく柔らかくて、ふわふわで、自分でも驚くぐらいよく眠れた」
カルラは紅茶にレモンを入れながら、良かったですね、と短く返した。
「そういえばカルラ。あなたしばらくお休みなんでしょう?クロムから聞いたわ」
そう切り出したのはステラだ。母は騎士団にとって部外者ではあるが、カルラの休暇くらい把握していても問題はない。ステラに呼応するように、クロムも割り込む。
「昨晩戻ってきたばかり、というのもあるが、まずは例の物の鑑定をしなければならないからな。そちらに進展があるまでは、通常業務に就いてもらう」
ステラはこちらを見つめて、ゆっくりするのよ、と言った。
「今日は非番だから、しばらく書庫に籠る。調べたいことがあるの」
「あらそう。後でお菓子を持って行くわね」
上機嫌な母に微笑み返し、カルラはアルを見遣る。
「アルは自由にしていて構いません。せっかくだから、屋敷の中を見て回るのもいいかもしれないですね」
カルラの提案に、アルにしては珍しくすぐに頷きはしなかった。
「護衛なのに、それでいいんだろうか」
「ここは私の家だもの。張り付いている必要はありません」
カルラの返しにアルはそうか、と短く呟く。しかしそこに割り込む声があった。
「それなら一緒に書庫へ行ったらいいじゃない。屋敷の案内も。これから一緒に任務をするのでしょう?それなら、こういうときにこそ、お互いのことを知ろうとしなくちゃね」
ステラの提案に、カルラは首肯する。特に反論がなかったからだ。
「そういうことでアル。屋敷を見て回った後、いっしょに調べ物をしましょう」
「もちろん構わない。よろしく頼む」
アルの快諾を受け取るように、カルラは紅茶を飲み干した。




