3.夜市
本部の玄関に辿り着けば、近衛騎士の装いに身を包んだアルがいた。青と白を基調とした制服は、色素の薄い彼の容貌によく馴染んでいる。
「制服ぴったりですね。動きづらさなどはありませんか」
カルラの問いにアルは腕を回したり膝を上げたりして、問題ないと返した。
「もうすぐ団長もこちらに来るはずです。そうしたら、先ほどの話の続きをしましょう」
「ああ。【魔女の遺品】だったか。本当に俺が聞いてしまってもいい話だろうか」
アルの不安そうな問いに、カルラは良い答えを持っていなかった。全てはジェイドの判断だ。護衛を務めるのであれば耳に入れておくべき情報ではあるが、そんな事情は、アルの心配を拭いはしないのだろう。
「大丈夫ですよ。少なくとも団長はあなたに知らせると決めました。その判断に、貴方が気を揉む必要はありません」
無責任だ。これから彼を監視下に置く立場で、信用という言葉をちらつかせた。彼を安心させたいのか、無害で都合のいい存在でいてほしいのか、カルラにはわからなかった。自分の吐いた言葉の目的すらあやふやなまま、それ以上紡ぐ気にはなれなかった。手慰みに、ポケットに仕舞い込んでいた指輪を取り出す。室内で見ても、その輝きは依然として美しい。
「それは指輪、か?」
アルが興味深そうにカルラの手元を覗き込む。カルラは彼が見やすいように、指輪をそっと、アルの眼前に近づける。赤い宝石の向こうに、アルの金の瞳が透けて見える。まるで夕焼けの中に溶け消えていく太陽のようだった。
「話の流れから察するに、これが【魔女の遺品】なのか?」
アルの問いかけにカルラは小さく頷く。
「あと6個集めなければなりません」
「そうか。先は長いな」
淡々と返すアルの表情は、どこか落ち着きがなさそうだった。何か気になることでもあるのかと尋ねれば、襟が苦しいのだという。きっと堅物パーシヴァルの指示通りに着用したのだろう。
「式典というわけでもありませんし、ボタンを外して構いませんよ。楽に着こなすのも、仕事のうちです」
カルラの言葉にアルは襟元を緩める。すると途端に、穏やかな顔つきになった。その表情を見ていると、不思議とカルラも安心を覚えた。ふいにアルがカルラを見据える。けれど何を話すでもなく、視線だけを向けて来るので、自然と見つめ合う形になってしまう。ルラも気を利かせて話題を振ることができず、色のない静謐が二人の間に横たわる。その静寂を打ち破るように、硬い靴音が響いた。石畳の床を踏む、重厚な足取り。その足音のする方に目を向ければ、カルラと揃いの赤毛の男がこちらに近づいてきていた。ジェイドだ。
「待たせたね。それじゃあ、行こうか」
「市場に寄ってもいいですか。賄賂を用意したくて」
「いいぞ。僕はその間、酒でも見繕っていよう。それぞれ用事が済んだら、広場に集合だ」
「荷物持ちは任せてくれ。護衛の初仕事だ」
妙にやる気を見せるアルに、カルラとジェイドは揃って笑った。
「お前たちは何だかそっくりだな。もしかして親子か?同じ赤毛だし」
アルの頓珍漢な推察を、カルラは即座に否定する。
「兄妹です」
「僕に娘がいたら、こんなじゃじゃ馬にはならない…はずだ」
ジェイドも負けじと否定する。否定の仕方が癪に障った。カルラとジェイドの様子を見て、アルは納得したようだった。そうしてカルラたち3人は、騎士団本部を後にする。空はすでに暗く、星が輝き始めていた。
市場に着けば、多くの人で賑わっていた。これから夜食時だからだろう。客を呼び込む店主の大声や、値切りの応酬、雑踏の音が夜の街を活気づかせている。
「それじゃあ僕は酒を見て来るよ。お前はゆっくり見て回るといい」
そう言い残してジェイドは人混みの中に消えていった。とは言いつつも、騎士団の制服に慄いた市民が自然と道を空けていた。ジェイドは小さく会釈をしながら進んでいく。
「それじゃ、私たちも行きましょう。逸れないでくださいね」
アルは頷くと、おもむろに手を繋いできた。
「この手はなんですか」
カルラが怪訝に問い掛ければ、アルは真面目な表情で前方にいる親子を指さした。母親と小さな女の子が手を繋いでいる。
「逸れないようにするためには、こうするのがいいのかと思ったんだが」
「それは…」
間違ってはいない。間違ってはいないが、カルラはすぐ頷くことができなかった。幼い子供は注意散漫で視野が狭いから、手綱代わりに手を繋ぐ。けれどそれを普通の男女がしていたら?そこに保護の意味を見出す人はどれだけいる?頭の中で常識と倫理が駆け巡って、アルを諭す一撃を絞り出そうとする。それでもその逡巡の間、カルラはアルの手を振り払うこともしなかった。
「あれ、カルラじゃん。なんでお前がこんなところに?」
背後から陽気な声が飛んでくる。振り向けばそこにいたのはエインだった。勤務上がりだろうか、片手に食材の入った袋を抱えている。
「エイン。いいところに」
カルラはエインの腕を掴み、アルの手と握らせる。
「おいおいおい。どういうことだよ。なんで荷物と男の手で両手塞がれなくちゃならないんだ」
心底不満気なエインは、即座にアルの手を振り払った。アルはまたしてもカルラと手を繋ごうとする。
「そもそもなんでこんなところにいるんだよ。ここはお前みたいな身分のやつ、用もないだろ」エインの問いにアルが同意するように頷く。
「たしかに姫が自分で買い物をするのは普通ではないな」
その言葉にエインが目をむく。まるで大きな虫と遭遇したかのように。
「お前コイツのこと姫だと思ってんの!?見る目がねえ!」
エインはどこまでも失礼な男だった。
「流石に無礼だわエイン。兄さんを王子と思っていたことの方が致命的よ」
「無礼なのはお前だよ」
カルラは咳払いをして話を戻す。
「私は王族ではなくて貴族です。まあ、貴族が自分で買い物をするのも、あまりないことですが」
「エインは貴族じゃないのか」
「俺は平民。騎士団は貴族よりも、平民出身のやつの方が多いぜ」
エインはそう言いながら、買ったばかりであろうリンゴを齧り始める。カルラたちと話しているうちに、お腹が空いたらしい。
「私は手土産を買いに来たのよ。ほら、屋敷に来る商人の品には、母も目新しさを感じないでしょうから」
カルラが説明すると、エインは納得したように頷く。今度は桃まで取り出した。
「たしかにお前のお袋さんには、社交界で流行ってるものなんか大したものじゃなさそうだしな」
「ちょうどいいからエイン、案内してくれない?久々に来たから、勝手がわからないの」
「まあ、俺の買い物は済んでるし別に構わねえけどよ。そこのやつはいいの?俺にエスコートを任せても」
「ああ。ぜひ頼みたい」
「快諾かよ。そもそもお前誰?さっき門を通したのは俺だけどさ」
「アルだ。今日からカルラの護衛をすることになった。よろしく頼む」
「よろしく。じゃあ、とりあえず広場まで行こうぜ。そこの焼き菓子が美味いんだ」
エインに連れられて、カルラたちは広場へと向かう。エインの腹の虫の音を聞きながら。
エインおすすめの店には、沢山の焼き菓子が宝物のように並んでいた。スコーン、アップルパイ、クッキーにラングドシャ。甘くて香ばしい匂いが店内を満たし、夕食前の胃袋を容赦なく刺激する。社交界の要人である母は、豪奢な装飾品などよりも、素朴で温かみのあるものを好む。この店にあるものを手土産にすれば、アルの滞在についてもスムーズに話を進められるかもしれない。
「このクッキーを一箱くださいな」
「はいよ。お嬢さん、騎士を二人も連れて、両手に花…いや鷹かな。もう外も暗いから、ちゃんと守ってもらうんだよ」
朗らかな雰囲気の女店主は、カルラたちが店を出るまで手を振っていた。
「いいお店だったね。人も、お菓子も」
「だろ?騎士団の中じゃ、結構人気なんだぜ」
「そうだったの。そんな話、聞いたことないけど」
「そりゃお前貴族だもん。誰がアスターチスのご令嬢に、庶民の菓子屋を紹介するんだよ」
「あなたは紹介してくれたわ」
「美味いものを知らねえのは、貧富を問わず可哀想だろ?」
「そういう食い意地の張ったところは、あなたの良いところよね」
「さては褒めてないだろ、それ」
「カルラは褒めていると思うぞ。なんだか優しい顔をしているからな」
カルラはアルから顔を背けて話す。ついでに耳も隠した。
「アル。そういうことは、気づいても言わなくていいのよ」
アルは不思議そうな表情を浮かべた後に、申し訳なさそうに眉を下げる。
「すまない。余計だったか。でもカルラはもう少し、わかりやすく褒めた方がいいんじゃないだろうか」
「いいぞアル。もっと言ってやれ。こいつときたら、こういう偏屈なところがあるんだよ」
「兄さんの悪口はそこまでよ」
「お前のことだよ」
エインとの応酬を繰り広げていると、雑踏の中からカルラたちを呼ぶ声が聞こえた。ジェイドだ。背の高い赤毛の男が、こちらへ向かってくるのが見える。
「用事は済んだのか?」
「ちょうど終わったところです。エインのおかげで、いいものを見つけられました」
「そうか。僕からも礼を言おう。ありがとうエイン」
ジェイドの言葉に、エインは照れたように頬を掻いた後、静かに敬礼をした。
「僕の方もいい酒を見つけられた。シャムロック領の地酒だ。早く帰って飲まないとね」
酒瓶に頬擦りをするジェイドを他所に、カルラはエインに向き直る。
「エイン。今日は本当にありがとう。今度お礼に稽古の相手になってあげるわ」
「はいはい。楽しみにしてますよっと」
エインは手を振りながら騎士団宿舎の方に向けて歩き出す。カルラたちはその姿が見えなくなるまで、見送っていた。




