↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/19

15.男の意地

 市長のいる庁舎は街の中心部にある。広場の噴水を臨む大きな建物がそうだ。玄関口に立っている衛兵は店主の姿を認めると、訳も聞かずに道を開けてくれた。どうやら彼らもまた、傭兵団から派遣された人間であるらしい。カルラたちは店主の後に続く形で、市長の執務室を目指す。建物の内部の掃除は行き届いているものの、ところどころ老朽化しているようだった。歴史を感じさせると言えば聞こえはいいが、近年の魔獣対策費用に圧迫され、修繕まで手が回らないのかもしれない。執務室の前に辿り着くと、店主が粗暴な動作でドアをノックした。すると部屋の中から入室を促す声が返ってきた。ぞろぞろと中に入っていけば、部屋の奥に一人の男がいた。年頃は中年で、茶色い髪にところどころ白銀が入り混じっている。素朴な造りのデスクの向こうで、訪問者を待ち構えているようだった。

「おい、ウィリアム。俺たちがここに来た理由、お前ならもう見当がついているよな」

店主は目の前の男に問い掛ける。ウィリアムと呼ばれた男─市長は、大人数で詰めかけたカルラたちに臆するでもなく、静かにこちらを見据えていた。

「ああ、わかっているとも。まずは諸君、席に着きたまえ」

ウィリアムはそう促すと、手ずから紅茶の用意を始めた。茶葉の馥郁とした香りが、執務室の張りつめた空気を解していくようだった。しかしそんな効果はブリジットには効かなかったらしい。彼女は両者を隔てるテーブルに例の資料をどさりと置いた。その質量に、木製のテーブルは悲鳴を上げている。ブリジットはウィリアムを鋭い目つきで見据えていた。

「これは中央政府から騎士団に降ろされた情報のすべてだ。騎士団はこれを参照し、討伐部隊の編成を行った」

一拍、永遠にも思えるような数秒を挟み、ブリジットは重々しい声色のまま話を続ける。

「しかし、実際に被害の様子を聞いてみれば、この資料とは大きく異なる現状が明らかになった。私はあなたが意図的に情報を操作したと踏んでいるが、どうだろうか」

ブリジットの直球的な問いに、店主はただ静かに成り行きを見守っていた。部屋の空気が一段と重くなる。エインだけでなくアルまでもが、険しい表情を浮かべていた。

「ああその通りだ。弁明はしない。全てを話そう」

そう言ってウィリアムは棚から古びた羊皮紙を取り出した。テーブルの上に広げられたそれは、トーリアの街の地図のようだった。街の東には森が広がり、地図上の東の端にオルテンシア魔法大学の文字が見える。街から森を抜けて大学まで至る道筋が、太い1本道として描かれている。ウィリアムはその道を指でなぞる。

「この森の道こそ、この街の傭兵が守るべき学徒の道にして、ペイルランスが出没する危険地帯だ」

そう語り始めるウィリアムの表情は暗い。地図かの縮尺から考えると、森の中を通る道はかなり幅が広いようだ。学生の行き来以外にも、物流なども盛んだったのかもしれない。

「実際問題としては、傭兵団にとどまらず市民や学生にも被害が及んでいる。先月はついに死者が出た。そこで私は2か月前、中央政府に被害状況を報告した。実際よりも被害を軽く伝えたのだ」

ウィリアムの答えはここに来るまでにある程度予想できていたものだった。被害の様子をこと細やかに話してくれた店主。彼が市長にそれを伝えたというのだから、どこかで情報に作為が生まれるとすれば、市長の関与を考えずにはいられなかった。

「何の為だ」

ブリジットが射貫くような眼光を飛ばす。ウィリアムはそれに動じない。

「もし被害を正確に伝えていたら、騎士団の到着はもっと遅れていたでしょう。そうなれば、この街の人々にどれほどの被害がもたらされたかもわからない」

ウィリアムの言葉を、誰も遮ることができなかった。彼の懸念は、騎士団の現状を明確に映し出すものだったからだ。ここにいる最低限の戦力すら、到着まで2か月を要した。より大規模な編成や上級士官への任務要請をしていたとすれば、より多くの調整を要したはずだ。ウィリアムの懸念を杞憂と切り捨てることは、この場にいる誰にもできないのだった。重い沈黙が部屋の中に横たわる。その圧を緩めるように、店主がウィリアムに語り掛けた。

「おいウィリアム。それじゃあ、これからどうするつもりなんだよ。戦力が足りないなんてことは、初めからわかっていたんだろ」

店主の言葉に、ウィリアムは無言のまま頷くだけだった。

「すまない、ゴルディアス。お前が命がけで得た情報を握りつぶしたこと、弁明のしようもない」

「おいおい、ふざけるなよ。謝るべきは俺じゃなくブリジット達にだろうがよ。だいたい、謝れば何か解決すんのか。」

語気を強める店主─ゴルディアス。

「そうは言っていない。ただのけじめ、その第一歩だとも」

そう語るウィリアムは、執務用デスクの引き出しから紙の束を取り出した。それはカルラたちが騎士団から渡されたものと比べるとずっと薄かった。しかしところどころに付箋が貼られていたり、書き込みがされていたりしている。ウィリアムはかなり綿密にこの資料を読み込んだのだろう。書類の束をブリジットが見やすいように差し出すと、紙面に視線を落とすこともなく語り始めた。

「これはつい先週大学から送られてきた、アキレア学部長らによる独自調査の結果だ。3ページ目を開いてほしい」

ウィリアムに促されるまま、ブリジットはページをめくる。その表情は極めて厳しかった。直接資料を見ていないカルラでさえ、胸の内で不安と焦燥がくすぶっている。また新たな事実が判明するのかもしれない。それは決して良い報せではないのかもしれない。ただでさえ戦力不足という窮地に立たされているのに、これ以上の不安要素は抱え込みたくない。おそらくはきっと、ブリジットも同じ考えだろう。カルラはブリジットの横顔を盗み見る。すると突然、彼女の空色の瞳が驚きに見開かれた。

「これは….そんなことが、できるのか」

驚きはあれど、そこに絶望の色はない。むしろその声色には、僅かに歓喜すら滲んでいた。

「私も驚いたよ。この資料に記されているのは、二度目の現地調査に基づくデータだ。どうにも最初の調査とはアプローチを変えたらしい」

ウィリアムが語るところによれば、最初の調査では森全体に異変が起きていないかということを重点的に調べていたそうだ。二度目の調査ではペイルランスそのものに焦点を当てて、より事件解決に踏み込んだ調査を行ったらしい。ちなみに二度目の調査は、傭兵団による討伐作戦よりも前に行われたのだとか。この調査でもペイルランスが豹変した原因は判明しなかったものの、とある発見があったのだ。

「ペイルランスは弦楽器の音に顕著な反応を示す…か」

「この街は音楽が盛んなようだしな」

ブリジットの呟きに、珍しく口を開いたアル。別にトーリアは音楽で有名な街ではない。カルラは話の腰を折らないように、アルの口を片手で塞ぐ。アルは何か言いたげな視線を向けてきたが、作戦会議の方が重要だった。後でちゃんと話を聞くからと、小さく耳打ちをして、ブリジットの方に視線を向け直した。ブリジットもまたカルラを見据える。

「カルラ。お前に任せたいことがある」

カルラは二つ返事で頷いた。もはや不安や迷いはなかった。それを見届けてブリジットは話を続ける。

「調査結果によると、ペイルランスを竪琴の音色でおびき寄せることは理論上可能だそうだ」

ことのあらましはこうだ。ペイルランスの調査に区切りをつけた学者たちは、森の出口付近で野宿を決行したらしい。やや危機感に掛ける行動だが、おそらくはそれも調査のうちだったのだろう。やがて一人の学者が愛用の竪琴を弾き始めた。どうやら闇夜に響く梟の鳴き声に怖気づいたらしい。恐怖を紛らわせようと無心になって奏でていると、森の中からペイルランスがゆっくりと出てきた。学者たちはすぐさま逃げようとしたが、琴を弾いている学者だけは、接近に気づかず動かなかった。他の学者らが茂みの影から様子をうかがっていると、ペイルランスは臆病な学者の前で静かに立ち止まった。しばらく待ってみてもペイルランスが暴れる気配はなく、むしろ竪琴の音に聞き入っているようだった。そこで学者たちはある可能性を導き出した。ペイルランスは竪琴の音色につられて、森から出てきたのではないか、と。学者たちはある実験を試みた。竪琴を街からかき集め、様々な旋律、多様な音階で、ペイルランスを誘導できないか、と。結果から言えばそれは成功した。とある古い楽譜のメロディを─偶然にも臆病な学者が弾いていた─を奏でると、ペイルランスは奏者に寄ってくることがわかった。ただ一つ問題なのが、演奏を止めた途端に襲い掛かられるという点だ。

「というわけでだな、カルラ。お前には竪琴を弾きつつペイルランスを誘き寄せてほしい」

どうやらペイルランスは個体差の激しい生き物らしい。琴の音に吸い寄せられるのは三田がいないそうだが、その移動速度には大きなばらつきが生じるらしい。

「お前がペイルランスを引き付けている隙に、私とエインがそれを叩く。これで当初の予定通り、単独撃破を想定した布陣が組めるぞ」

ペイルランスの特性を利用し、カルラに肉薄した個体から順次倒していく作戦だ。得意げに口角を上げるブリジットに、エインは力強く頷いている。作戦に光明が差して、手段が明確になったのだ。これほどやる気になる理由はそうそうない。しかしそこで、ウィリアムが制止をかける。皆が一斉に彼の方を見遣れば、ウィリアムはいつの間にか竪琴を手にしていた。

「作戦が決まったところで悪いがね。竪琴で引き付ける役目は、どうか私に任せてほしい」

「危険だ。一般人である貴殿にそのようなことはさせられない」

即座にウィリアムの申し出を切り捨てるブリジットの眼光は鋭い。しかしウィリアムは泰然とした態度で受け流す。

「落とし前をつけたいんだ。君たちに嘘の情報を流し、混乱させ、今まさに危険にさらそうとしていることに」

ウィリアムの瞳に迷いは感じられない。本気で自ら死地に立とうとしている。皆がウィリアムを説得しようと思考を巡らし、部屋に沈黙を落とす。その静けさに耐えかねてか、ウィリアムは竪琴を大事そうに撫でてこう言った。

「こう見えても竪琴の腕には自信があってな。その昔、妻に愛の歌を捧げたものだよ」

うっとりとした様子のウィリアムに、ゴルディアスが食って掛かる。

「馬鹿かお前。ただでさえこいつらに迷惑かけてるってのに、この期に及んで死体を増やす気か」

「死ぬつもりはないさ。就任以来の大仕事に胸が高鳴っているくらいだよ。それにね、ここでただ大人しく待っているだけなんて、それこそ死んだようなものだ」

ウィリアムの言葉に、誰かが息を呑む音がした。

「ここはトーリア。傭兵と学生の街だ。その市長たる僕は、臆病であることを選べない」

そう言ってウィリアムは、夢を追う少年のように笑うのだった。

「良い感じに言っても駄目なものは駄目だ。街で待っていろとまでは言わないが、作戦には参加させられない」

ブリジットの剣幕に、やはりウィリアムは怯まない。もしかして只者ではないのかもしれない。やがてウィリアムは小さく溜息を零した。ようやく諦めたかと思ってみていれば、ウィリアムはどこからか羊皮紙を取り出した。まだ白紙の羊皮紙だ。

「この大惨事に何もしなかったとなれば、私はもう大手を振って歩けまい。ああ、聞こえる。私を指さして謗る市民の声が」

ウィリアムの口調は芝居がかっていた。エインは吹き出しそうになるのを必死にこらえている。

「ここに一筆したためよう。我が嘆きのひとひらを。では聞いてください『ああ、無念~ヴェルディによせて~』」

そしてウィリアムはポロロンと竪琴を弾き始めた。どうやら遺書代わりのつもりらしい。恐る恐るブリジットの方を見れば、そのかんばせには青筋が立っていた。無理もない。ブリジットにしてはよく耐えた方である。いまこうして竪琴を弾いているのが近衛兵の誰かであったなら、とっくに息の根ごと止められていただろう。エインはすでに耐えられなくなって、部屋の隅で震えている。笑っているのだ。アルはこの状況に困惑しているようだった。縋るようにカルラの制服の袖を摘まんでいる。ゴルディアスに至っては両手で顔を覆って立ちすくんでいる。もう何も見たくないのだろう。カルラとしてはウィリアムの心情もよく理解できた。問題を解決する手段がわかっているのに何もできないことほど、歯痒いことはない。その無力さが、市長としての誇りをどれほど傷つけているか。

「ウィリアムさん、お気持ちはわかります。ですがここは私たちに任せていただけませんか。必ずこの街に平穏を取り戻すと約束します」

彼の心情に心を寄せたとて、その要求までのむことはできない。そもそもカルラに決定権はないが、それ以前にやはり危険なのだ。傭兵団ですら重傷を負っている事態の中、先頭に不慣れであろう彼を前線に置いておくなど考えられない。ウィリアムはカルラをじっと見ている。その眼差しからは不安とも疑念とも取れる色が滲んでいる。何度目かの沈黙が部屋の中に染み込んでいく。誰もが議論の行方に固唾をのんでいたその時、アルのやわらかな声が静けさの中に投げ入れられた。

「ところでウィリアム市長。その竪琴はありふれた品なのだろうか。この街ではその音色に似た音がずっと聞こえるから」

ウィリアムは大きく角度を変えた話題に戸惑いつつも、ゆっくりをかぶりを振った。

「いいや、これは僕のお手製でね。若いころに丸太から削り出したものだよ」ウィリアムは不思議そうに首を傾げては「街中で音楽なんて、聞こえないと思うよ。鳥の鳴き声や、蹄の音と勘違いしたんじゃないかな」と言った。カルラはまたアルが妙なことを言っていると思った。窒息しそうなほどの沈黙を破ってくれたのはいいとしても、話の腰を折らないでほしかった。

「ウィリアムさんの言う通り、きっと何かと聞き間違えたのよ」

カルラがそう言って治めようとすれば、アルは珍しく不満そうな表情を見せた。

「カルラ。俺だって動物の鳴き声と楽器の音を間違えはしないぞ。少しでいい、話を聞いてくれないか」

いつになく真剣な眼差しだった。金色の瞳が午後の光を受けて、きらきらと蜜のように煌めく。大きな手が、カルラの両手を包み込むように握っていた。思い返せば、カルラは先ほどアルの話を保留にしていた。いつもカルラの指示を大人しく聞いてくれているアルが、こうも退かないのだ。それならば、自分は彼の言葉に耳を傾けるべきだろう。

「ごめんなさいアル。私が悪かったわ。街で聞こえていた音について、詳しく聞かせて?」

「私たちにも聞かせてもらおうか」

割り込むように響く凛とした声は、ブリジットのものだった。部屋中の視線が集まる中、アルは静かに口を開いた。


 「どう?何か聞こえる?」

カルラの問いかけに、アルは緩やかに頷いた。二人は今ヴェルディ森林の入り口に立っている。先ほどアルから聞いた話によると、この街ではそこら中から琴の音色が聞こえるらしい。アル以外でそんな音を聞き取ったものはいなかったが、アルがあまりにも真剣に伝えてくるものだから、とりあえず調査をしてみることにした。

「ここから聞こえる音は、街のものよりも大きい気がする。もしかすると、ここから聞こえているのかもしれない」

そう言ってアルは森を指さした。一見して特に変哲のない森だ。入り口は馬車が通るには十分な広さが確保されている。森林を割るように続いている道は樹々の影にならず、遠くまで見通せるほど明るい。当然ながら人影はない。今のところペイルランスの姿も見えない。静かな、本当に静かな場所だった。

「それじゃあ、一度役所に戻りましょう。隊長たちにこのことを報告しないと」

「音の正体を確認しなくても良いのか」

「うん。皆を待たせているし、音を調べるかどうかは隊長の決めることだから」

本当ならこの場で怪音の正体について探りたいが、そんな独断専行は許されない。本当は調べたいけれど。少しばかりの疑念に後ろ髪を引かれつつも、二人は静寂の森を後にするのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。