影内視点第5話 生者の道
気がつくと、俺は見知らぬ場所にいた。
薄暗い空間の中で、ただ一つだけ――淡く光る存在が浮かんでいる。
その光が、まるで呼吸するように揺れながら言った。
「死者の魂が意識を取り戻すとは珍しい。
そなたは、生に執着しているのか?」
「……俺は、このまま死ぬつもりです。」
迷いはなかった。
死ぬ覚悟は、もう決めていた。
光は静かに告げる。
「ならば、このまま坂を下りていくがいい。」
言われるままに坂を下る。
すると、狼だけでなく、様々な動物たちが列をなして歩いていた。
どれも無言で、ただ前へ進むだけ。
不思議な場所だ。
俺は近くの狼に声をかけてみたが、返事はない。
その前に立ちふさがっても、俺の体をすり抜けて歩いていく。
まるで幽霊のように。
「その者は死すべき魂じゃ。触れることはできん。」
いつの間にか、光が俺の後ろにいた。
「声も聞こえないのか?」
「死すべき魂は意識を戻さぬ。
話しかけても返事はない。
お前さんが特別なだけじゃ。」
「……俺も死すべき魂じゃないのか?」
「黄泉比良坂に魂だけで来た時点で、基本的には皆そうじゃ。
じゃが、ごくまれに例外がいる。
生に強く執着する者は、意識を取り戻し、坂を上って生者の道へ戻ることがある。
そなたもそうかと思ったのじゃが……違うのか?」
「俺はもう死ぬつもりです。」
光は少しだけ沈黙し、そして言った。
「生に執着せぬ者が独力で意識を戻すことはない。
そなたを引き戻そうとする“何か”が働いているのじゃろう。」
何か――?
心当たりなど、あるはずがない。
「心当たりがないのですが。」
「……待て。
そなたに力を与えている者が、この黄泉比良坂に入ったようじゃ。
その者から、そなたへ力が流れ続けておる。」
胸がざわついた。
「それは……誰ですか。」
嫌な予感がした。
光は坂を上り始める。
「来るがいい。」
俺は必死に坂を駆け上がった。
かなり下まで降りていたので、息が切れるほど走った。
そして――
坂の途中で、俺は見つけてしまった。
志信様を。
「志信様!」
駆け寄る。
だが、返事はない。
背負おうとしても、体はすり抜けた。
「無駄じゃ。魂に触れることはできぬ。
その者は、そなたに力を与えすぎて死すべき魂となった。」
光の言葉が胸を刺す。
志信様が……死ぬ?
「志信様を助ける方法は……ないのですか。」
「ここでは何もできぬ。
そなたが坂を上り、生者の道へ戻るしかない。」
俺は迷わず坂を駆け上がった。
坂を上りきると、まばゆい光に包まれた。
次の瞬間。
「気がついたか?」
志信様の声がした。
見ると、志信様は自分の血を俺の口に流し込んでいた。
「志信様、何を――」
俺が言おうとすると、
「影内……無事でよかった。」
そう言って、志信様は崩れるように倒れた。
志信様は、自分の血で俺を救ったのだ。
何故、そんなことを。
俺はそんなこと、望んでいない。
俺は志信様の役に立ちたかっただけなのに。
志信様が死ぬなんて――最悪だ。
なら、今度は俺の血で志信様を――。
そう思って動こうとした瞬間、腹に重い衝撃が走った。
的盧だ。
四肢を部下に咥えられ、俺は地面に押さえつけられる。
「貴様、志信をたぶらかしたな。
もし、志信の身に何かあってみろ。
楽に死ねると思うなよ。
八つ裂きにしてやる。」
的盧は四肢を捕らえられて動けない俺の頭を踏みつけながら言った。
的盧は部下に命じて志信様に血を与えているようだった。
「俺の血を……志信様に捧げてください。
俺はどうなっても構いません。」
俺は、的盧に頼んでみた。
「罪狼の血など使えるか。
それに、死にかけのお前の血では途中で死なれて邪魔だ。」
的盧が言う。
俺の血で志信様を助けたい。
だが、何もできない。
俺にできる事は、志信様の無事を祈る事だけだった。
的盧は部下と交代で血を与えているようだった。
長い祈りの後――。
「志信、気がついたか。」
的盧の声が聞こえた。
「的盧様……ご心配をおかけして申し訳ありません。
影内はどうしました?」
志信様の声だ。
生きている。
本当に……よかった。
的盧は舌打ちしながら言う。
「命拾いしやがって。
志信、お前が助からなかったら、あの野郎を八つ裂きにしてやるつもりだった。」
的盧は俺を殺す気満々だ。
「影内はどこに?」
「あそこで捕えている。
だがな、志信。
あんな奴を助ける必要がどこにある?
殺した方が群れのためだ。
お前が危険を冒す必要はなかった。」
「的盧様。
影内の処遇は、俺に任せてくださるはずでしたよね?」
志信様の声は静かだが、芯があった。
的盧は渋々頷く。
「確かに任せると言った。
だがな志信。
影内はお前の命令を無視して脱獄した。
お前でも手に負えない奴を群れに置くのは危険すぎる。」
的盧は、志信様に俺を殺させたいのだろう。
「確かに……俺の命令すら聞かないですね。」
志信様の言葉が胸に刺さる。
怒っているのは当然だ。
なぜ志信様が俺の命を助けてくれたのかは分からないが、少しは優しい言葉をかけてくれることを期待していたので、志信様の言葉はショックだった。
的盧が押す。
「だから殺した方がいい。」
志信様は答える。
「影内の処分は、一旦牢に戻してから考えます。
群れに害となるなら、始末するのもやむなしですね。」
終わった。
俺は殺されるだろう。
直訴するときに、それは覚悟していた。
ただ――
志信様に嫌われたまま死にたくはない。
せめて最期に、優しい言葉をひとつだけでも。
それが、今の俺の唯一つの願いだった。
「すぐに歩いて大丈夫なのか?」
的盧の声がした。
助かったとはいえ、満足に動けない状態で志信様は歩こうとしたらしい。
「大丈夫です。
ゆっくりなら歩けます。」
志信様はそう言うと、俺のいる方に近づいてきた。
「志信様……お願いです。
どんな罰でも受けますので、何卒お許しください。」
俺は志信様の顔を見るなり、這いつくばったまま志信様に懇願した。
「影内。なぜ自決しようとした?」
志信様が聞いて来る。
「命令違反をした以上、志信様のお許しが得られなければ……自決するつもりでした。」
「分かっていて命令違反をしたのだな。」
その通りで何も反論できない。
「申し訳ありません。
どんな罰でも受けますので……何卒お許しください。」
俺は必死に懇願する。
「どんな罰でも受けると言うのなら、自決して逃げることは許さんぞ。」
志信様は、本気で怒っている。
俺はただ頭を下げるしかなかった。
「申し訳ありません……もう二度と自決はしませんので、何卒お許しください。」
俺はこう言うしかない。
志信様のお怒りを鎮めるためには、どんなお仕置きであっても、最後まで受けるしかない。
「影内。処分は後で行う。
それまでは牢に戻っていろ。」
的盧の部下が俺を引きずろうとしたとき、志信様が止めた。
「ちょっと待ってください。
既に死にかけなのです。
引きずり回したら、本当に死ぬかもしれません。」
後からきついお仕置きを受けることになりそうだが、志信様は俺を殺すつもりはないらしい。
だが、怒りはまだ消えていない。
「背中に担いで運ぶのは勘弁してください。
こいつがその気になったら首筋をかき切られかねません。」
的盧の部下が答える。
俺にはそんなつもりはないのだが。
こいつらとしては、俺の強さを知っている故に警戒しているらしい。
「それじゃあ、影内を放してやってください。」
志信様が言う。
「志信、こいつを放したりして大丈夫なのか?」
的盧が言ってきた。
「この数で囲んで、しかもこの場に的盧様もいるなら、いかに影内が暴れても取り押さえられるでしょう。」
志信様が言う。
俺はそんな気は全くないのだが。
だが、志信様は俺を最大限警戒した。
的盧に襲い掛かったことや命令に背いて牢から脱走したことで、俺の信用は完全になくなっていた。
「よし、お前達、影内を放してやれ。」
的盧の命令で俺は四肢の縛めが解かれて自由になった。
俺は本当に放して貰えるとは思っていなかったので、這いつくばったまま思わず周りを見渡した。
「影内、自分の足で牢に入ってもらうぞ。
後ろをついて行くからゆっくり歩け。
分かったな。」
志信様はそう言って俺に近づいてきた。
が、志信様は足が絡んで転んでしまう。
的盧が慌てて側に駆け寄る。
「的盧様、申し訳ありません。
足取りがおぼつかないので、誰か背中に乗せて運んでもらえませんか?」
志信様が言う。
俺は少しでも志信様の役に立ちたいのだ。
これはチャンスだと思った。
「志信様、俺の背中に乗ってください。」
俺はすぐに言った。
少しでも志信様の役に立ちたかった。
「影内、お前は死にかけだ。無理だ。」
「大丈夫です。
命に代えても、志信様を最後まで運びます。」
俺は即答した。
本当に力尽きたとしても、志信様を運ぶつもりだった。
志信様は少し考え、的盧に言った。
「影内が背負っていた方が脱走も困難でしょう。
動けるうちは影内に運ばせます。」
そして俺に向き直る。
「自分で言った以上、最後まで運んでもらうぞ。
いいんだな?」
「もちろんです。」
俺は迷わず答えた。
志信様が俺の背に乗る。
重い。
それだけ俺の体力が落ちているのだろう。
だが、絶対に落とせない。
ふらつきながらも、俺は志信様を背負って牢へ向かった。
「着きました。」
俺は何とか牢の前まで来ると、そう言って志信様が俺の背中から降りやすいように伏せの姿勢を取った。
「影内。牢に入れ。
呼ぶまで、どんな理由があっても出るな。」
志信様は労いの言葉をくれなかった。
怒っているのだ。
当然だ。
「はっ」
俺は返事をして牢に入った。
後ろで門が閉まる音が響く。
「ラージ、俺を洞窟まで運んでくれ。」
志信様の声が聞こえた。
その役は、本来なら俺がやるはずなのに。
俺はラージの奴がとても羨ましかった。




