影内視点第4話 最後の願い
次の餌は日暮れのはずだ。
そのとき、入り口を塞ぐ岩が動く。
その一瞬の隙を逃さずに脱出して、志信様に直訴する――。
そう決めてから、俺はずっと日暮れを待っていた。
胸の奥はずっとざわついていた。
怖い。
でも、このまま朽ち果てるよりはましだ。
日暮れ。
いつものように牢の門が開き、餌を持った狼が入ってくる。
そいつは前の餌を探すため、俺の目の前まで来た。
その瞬間、俺は坂を駆け上がり、開いたままの門をすり抜けた。
「おい、影内が脱走したぞ!」
「急いで的盧様と志信様に報告を!」
背後で声が上がる。
だが、振り返る余裕はない。
止まったら終わる。
早く、志信様を探さないと。
まずは志信様の洞窟へ向かう。
ここから遠くない。
「大変です!影内が脱走してこちらに近づいてきます!」
洞窟に着くと、門番が俺を見つけて叫んだ。
その声が洞窟の奥へ響く。
「志信様、大変です。影内が脱走したそうです!」
……いた。
志信様は、この洞窟の中にいる。
門番も部下も、俺を恐れて近づいてこない。
その隙に、俺は洞窟の中へ入った。
正面に、志信様が立っていた。
「影内。牢から勝手に出たら許さんと言ったはずだな。」
怒っている。
声の温度で分かる。
怖い。
でも、引くわけにはいかない。
「志信様……お願いです。
俺を鳴海に連れて行ってください。」
俺は志信様の前で土下座した。
頭を地面に押しつけながら、震えが止まらなかった。
「牢から出るなと言ったのに無視したな。
命令を無視するような奴を連れていけると思うか。」
反論の余地はない。
分かっている。
それでも――。
「申し訳ありません……。
どんな罰でも受けます。
どうか……お許しください。」
声が震えた。
許されないなら、殺されてもいいと思った。
「だめだ。
何をしでかすか分からない者を連れては行けない。
お前たち、影内を捕らえろ。牢まで引きずっていくぞ。」
志信様の命令で、部下たちが俺を囲む。
じりじりと距離を詰めてくる。
このままでは――戻される。
志信様に拒絶されたまま、朽ち果てる。
「……っ!」
思わず、近くの狼に向かって唸った。
俺の強さを知っているからか、部下たちは怯んで後退した。
だが、それは何の解決にもならない。
むしろ、状況を悪化させるだけだ。
「何のつもりだ。」
志信様が構えた。
完全に俺と戦うつもりの姿勢だ。
終わった。
何もかも終わった。
この事実はどうやっても変えられない。
今更ここで暴れようが、志信様がお怒りになることはあっても、お許しになることはないだろう。
俺は失敗したときはどうするかを思い出す。
許されなかったら、自決する。
脱走するときに、そう決めていた。
俺は迷わず舌に牙を立てた。
噛み切るには至らなかったが、深く貫けば十分だ。
牙を抜いた瞬間、口の中に鉄の味が広がり、血が溢れた。
「……何のつもりだ。」
志信様の声が揺れた。
驚いているのが分かった。
これでもう、俺は助からないだろう。
最後にひとつだけ願いが叶うなら――
志信様の胸の中で逝きたい。
そう言おうとした。
だが、拒絶されるのが怖くて言えなかった。
血を流しながら、俺は志信様を見つめた。
最期くらい、優しい言葉のひとつでもかけてくれないだろうか。
そんな淡い期待が胸に灯った。
志信様は黙って俺を見ていた。
その沈黙が、逆に俺の胸を締めつける。
そして突然、志信様が俺に飛びかかってきた。
――怒っているのだ。
そう思った瞬間、俺は目を閉じた。
噛まれる覚悟を決めた。
だが。
俺の体が、ふわりと持ち上がった。
「……え?」
思わず目を開く。
志信様が俺を背中に担いでいた。
そのまま洞窟の外へ運び出そうとしている。
志信様は、俺をどうするつもりなのか。
俺はもう助からないのに。
志信様は部下に何かを命じていたが、
意識が薄れていく俺には何を言っているのかは分からなかった。
視界が揺れ、暗くなっていく。
その中で、志信様の温もりだけがはっきりと伝わってきた。
温かい。
志信様の体が、温かい。
志信様の温もりを感じながら逝ける。
それだけで――俺は幸せだった。




