影内視点第14話 命を賭ける理由
鳴海に着いた瞬間、俺は空気の違いを感じた。
数は三十匹ほどと少ないのに、ひとりひとりの気配が濃い。
ここが蒼天の本拠――志信様が「全国の群れを取りまとめている勢力」と言っていた場所だ。
「蒼天殿、影内を連れてきました。」
志信様が前に進む。
その前に立つ大型の犬――蒼天は、ただそこにいるだけで空気が張り詰めるほどの威圧感を持っていた。
「よく来たな。瑞希、前へ。」
呼ばれて出てきたのは、蒼天に似た若い犬。
まだ成犬になりきっていないが、目だけは鋭く、芯の強さを感じる。
「君が影内さんだね。待ってましたよ。」
待っていた?
どういう意味だろう。
俺は志信様の方を見る。
すると――
「影内。お前を瑞希殿に預けることにした。
これからは瑞希殿の命令を守って、鳴海で生活するんだ。」
……え?
頭が真っ白になった。
預ける?
鳴海で生活?
つまり――志信様の側から離れるということか。
俺は捨てられたのか。
忠誠心が足りなかったのか。
志信様に迷惑ばかりかけたからか。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
「申し訳ありません……!
どんな罰でも受けますので、それだけは……それだけはお許しください……!」
俺は地面に頭をこすりつけて懇願した。
声が震えていた。
だが――
「だめだ。
落ち着くまでは俺も鳴海に残るが、瑞希殿の許可なく俺の前に現れることは許さん。」
最後通告だった。
志信様は俺の懇願を振り返ることなく、蒼天と奥へ歩いていった。
胸が締め付けられる。
息が苦しい。
世界が遠ざかる。
志信様がいない場所で、俺はどう生きればいい?
「影内さん、大丈夫?」
瑞希が近づいてきた。
優しい声だったが、俺には届かなかった。
志信様のお怒りを鎮めるには――
もう俺の命を捧げるしかない。
志信様は「瑞希殿に従え」と命じた。
ならば、瑞希様の命令を遂行するために命を使う。
それが志信様への忠誠になる。
「瑞希様……俺に何なりと命令をください。」
「そんなにかしこまらなくていいよ。
まずは仲間を紹介するね。」
違う。
そんなことではない。
俺は命を使いたい。
志信様に認めてもらうために。
「俺の命はどう使っていただいても構いません。
命に代えても遂行します。何でもお命じください。」
瑞希様は少し困ったように笑った。
「それじゃあ、仲間のところに着いて来て。」
逆らえない。
瑞希様の命令だから。
瑞希様の後ろを走っていると、慌てた犬が駆けてきた。
「瑞希、大変だ!
ヒロのところのテルが澤の川に落ちた!
このまま流されたら滝に落ちる!」
犬は蒼天へ知らせに走っていった。
――これは、チャンスだ。
志信様に捨てられた俺が忠誠を証明できる唯一の機会。
「影内さん、急ぐよ!」
瑞希殿が走る。
俺も続く。
川に着くと、子犬が流されていた。
「僕に捕まって!」
瑞希殿が体を伸ばすが、子犬は掴めず流されていく。
その瞬間――
俺の体は勝手に動いていた。
川へ飛び込む。
「影内さん!危険だ!
この先は滝だ!岩もあるんだぞ!」
瑞希殿の声が聞こえたが、もう関係ない。
俺は子犬に追いつき、抱きしめた。
「おじさん、こわいよ……!」
「俺が守る。絶対に離れるな。」
滝の音が近づく。
流れが速くなる。
――これでいい。
俺が死ねば、子犬は助かる。
瑞希様も、志信様も、俺の忠誠を認めてくれる。
俺は子犬を抱えたまま、滝へ落ちた。
気づくと、滝の近くで誰かに背中を押されていた。
水を吐き、息を吸う。
助かってしまった。
「大丈夫か。」
大型の犬――ヒロ殿が声をかけてくる。
「息子を助けてくれて感謝する。」
子犬も「ありがとう」と言ってくれた。
助けられたのは嬉しい。
だが――俺が生きてしまった。
これでは忠誠を証明できない。
瑞希様が駆け寄ってきた。
「影内さん、無茶しすぎだよ!
滝の下の岩に当たっていたら死んでたんだよ!」
死ぬつもりだった。
だが、それは言えない。
「瑞希様……次の命令をください。」
「無茶だって。まずは休んで。」
「大丈夫です。命に代えても使命は果たします。」
瑞希殿はしばらく考え、俺に聞いた。
「影内さんは……志信さんに会いたいの?」
胸が締め付けられた。
「はい。
瑞希様のお許しを得るためなら何でもします。
どうか命令をください。」
瑞希殿は俺を見つめ、静かに言った。
「分かった。
志信さんに会えるよう頼んでくる。
だから、それまではここで大人しく待っていて。」
「その間に、少しでも瑞希様の役に立ちます。」
「だめ。
会う事が決まった時に影内さんがいないと困るから、大人しく待っていて。
分かった?」
瑞希様がそう言うので、瑞希様の命令であれば俺は従うしかなかった。
待っている間、ヒロ殿の家族が心配してくれた。
だが、俺の心は志信様のことでいっぱいだった。
許してもらえるか。
捨てられるか。
罰を受けられるか。
死ぬべきか。
そのとき――瑞希殿が戻ってきた。
「志信さんが会ってくれるって。」
胸が熱くなった。
瑞希様に連れられ、志信様の前へ行く。
蒼天もいた。
俺は地面に頭をこすりつけた。
「志信様……どんな罰でも受けますので、何卒お許しください……!」
志信様は静かに聞いた。
「影内。
お前は俺の側にいたいのか?」
「いたいです……!
どんな罰でも受けますので、側に置いてください……!」
「ずっと俺の側にいることになっても後悔しないな?」
「しません……!
志信様のためなら何でもします……!」
蒼天が志信様に問う。
「志信殿。腹は決まったか?」
志信様は迷いなく答えた。
「はい。
俺は影内を一生側に置きます。」
「ほんとですか……?」
俺は思わず顔を上げた。
志信様は優しく言った。
「辛い思いをさせてすまなかったな。
もう絶対にお前を離さない。安心しろ。」
世界が光に満ちた。
「ありがとうございます……!
志信様に一生忠誠を尽くします……!」
蒼天と瑞希様に礼を述べ、
志信様は言った。
「俺は影内を連れて知床に帰ります。」
本当に。
本当に俺は志信様の側にいられるのだ。
俺は胸が熱くなり、
涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
志信様と一緒に帰れる。
それだけで、俺の命には意味がある。




