影内視点第12話 命令に従う意味
朝日が海面を照らし始めたころ、
いよいよ本州へ渡る時が来た。
志信様は最初、
「俺は泳げる。無理をする必要はないぞ。」
と遠慮していたが、
俺は何度も頭を下げて頼み込み、
ついに志信様を背に乗せて海を渡る許可を得た。
「それじゃあ、少し乗せてもらうか。
疲れたらすぐ代わるから、無理はするなよ。」
志信様はそう言ってくれたが、
俺は迷わず答えた。
「大丈夫です。
必ず志信様を無事に向こう岸まで運びます。」
――この旅の中で、俺は命を捧げる。
その決意は揺らがなかった。
海に入ると、冷たい水が体を締めつけた。
だが、志信様の重みが背中にあるだけで、
俺は不思議と力が湧いた。
向こう岸は見えている。
距離は長いが、泳ぎ切れるはずだ。
半分を過ぎたあたりから、
体が急に重くなった。
脚が鉛のように沈む。
――まずい。
だが、ここで弱音を吐けば、
志信様は俺を褒めてくれない。
俺は志信様の役に立つために生きている。
命が尽きるまで尽くすと決めた。
「影内、疲れてきただろう。
今度は俺が代わるから無理するな。」
志信様が背中から声をかけてくれた。
優しい声だった。
だが、俺は首を振った。
「大丈夫です。泳げます。」
その瞬間――脚がつった。
激痛が走り、体が沈む。
水が口に入り、視界が揺れる。
志信様だけは沈ませてはいけない。
俺は必死に背中を反らしたが、
志信様は自分から俺の背中を離れ、
逆に俺を背中に乗せた。
「影内、命令だ。
陸に上がるまでじっとしていろ。」
その声は強く、迷いがなかった。
俺は何も言えなかった。
命令に背くことは許されない。
志信様の背中は温かく、
その温もりに包まれながら、
俺は本州の砂浜へ運ばれた。
幸い陸地はすぐ近くまで来ていたため、
問題なく本州につくことはできたが、
途中で志信様に余計な手間をかけさせてしまった。
俺は、志信様にお仕置きされることを覚悟した。
陸に上がると、
俺はすぐに土下座した。
「志信様、申し訳ありません。
どんな罰でも受けますので、何卒お許しください。」
志信様は俺の脚を見て言った。
「影内、脚は大丈夫なのか?」
「もう大丈夫です。
志信様の手を煩わせて申し訳ありません。」
志信様は短く息を吐いた。
「一旦森に入るぞ。ついて来い。
話はそれからだ。」
声がいつもより硬い。
怒っている――そう感じた。
森に入ると、俺は再び土下座して必死に謝る。
「影内。
無理なら代われと言ったよな。
なぜ俺の命令に背いた?」
胸が締めつけられた。
「志信様の手を煩わせたくなかったのです。」
「つまり、自分勝手な判断で命令に背いたんだな?」
志信様の声は冷たかった。
俺は震えながら頭を下げた。
「申し訳ありません……
どんな罰でも受けますので……」
「お前は言ったよな。
俺の命令に少しでも背いたら、
どんな罰でも文句は言わないと。」
その通りだ。
志信様と鳴海へ行くために、俺は誓った。
「はい……」
「俺の命令が聞けない者を鳴海に連れていくことはできない。
お前はこの先の厳山殿の所に置いていく。
面倒事を起こされるわけにはいかないからな。
厳山殿の縄張りでは、お前の脚を四本とも埋めていく。」
志信様からお仕置きが言い渡された。
胸が潰れた。
――志信様と離れる。
それは死よりも辛い罰だった。
「……文句などありません。」
声が震えたが、それしか言えなかった。
その日の狩り。
志信様は「ついて来い」とだけ命じた。
俺は少しでも役に立とうと、
見つけた小さな猪に飛びかかった。
牙を深く突き立て、
根性で倒した。
だが――
志信様は褒めてくれなかった。
怒りはまだ消えていない。
俺は胸が痛くなった。
やがて厳山の縄張りに入った。
志信様は交渉を済ませると、
俺に向き直った。
「影内、ここにお前を埋める。
自分で穴を掘れ。」
志信様の命令は絶対だ。
俺は必死に穴を掘った。
前に埋められた時の感覚を思い出しながら、
自分の体が入る深さまで掘り進めた。
「穴に入れ。立て。」
命令通り穴に入り、立つと、
志信様と厳山殿の部下が俺の脚を四本とも埋めた。
動けない。
逃げられない。
志信様の怒りを鎮めるための罰だ。
志信様は太い枝を俺の前に落とした。
「影内。
俺が蒼天殿の所から戻るまで大人しくしていろ。
餌を食べる時以外は、その枝を咥えていろ。
分かったな。」
「……はい。」
枝を咥えると、
牙は使えなくなる。
声も出せない。
――志信様のお怒りを鎮めるためなら、
どんな罰でも受ける。
俺は静かに枝を咥え、
埋められた脚のまま、
志信様の帰りを待った。




