志信視点第11話 命令では止められない
旅は順調に進み、四日目。
ついに大牙殿の縄張りへ入る。
今回の目的は、鳴海軍総大将・蒼天殿に
景虎の反乱の顛末を報告し、
これまで通り知床の領有を認めてもらうこと。
俺達の群れは知床半島の一部にすぎない。
対して鳴海軍は幹部の大牙殿だけでも北海道中央部を支配し、百匹規模の戦力を持つ。
俺たちの群れは鳴海軍に従属する形で友好関係を続けてきたが、縄張り内に命の泉を抱えるため、
野心的な相手であれば景虎の反乱をきっかけに「知床を奪う口実」になり得る。
だからこそ、蒼天殿への正式な報告が必要だった。
とは言え、交渉相手は鳴海軍の総大将である蒼天殿である。
大牙殿は幹部の1匹に過ぎない。
失礼のないように挨拶をして通過させてもらえればいい。
そして――
影内が何か問題を起こさないかが最大の懸念だった。
影内は俺の命令には忠実だが、
判断力に難がある。
鳴海軍の誰かに襲い掛かれば、
交渉どころか群れが滅びる。
前日の夜、俺は影内に念押しした。
「明日から鳴海軍の縄張りに入る。
絶対に敵対行為はするな。
俺の許可がない限り、牙を向けることは許さん。」
影内は素直に頷いた。
「向こうから襲ってきたら、どうすればいいでしょうか?」
「まずは逃げる。
それが難しければ……時間を稼いでくれ。」
影内は迷いなく答えた。
「分かりました。決して攻撃しません。」
物わかりが良い――
だが、それが逆に怖い。
影内は「命令」を絶対視しすぎる。
「交渉は全部俺がするから、黙って聞いていてくれ。
影内は、護衛として最悪の場合に俺が逃げられるようにさえしてくれればいい。」
俺は説明を終えて、影内と背中合わせで眠った。
影内の寝息は静かで、俺は少し安心した。
翌朝。
大牙殿の縄張りに入ると、門番の犬が三匹現れた。
「何者だ? ここが大牙様の縄張りと知ってのことか?」
「知床の的盧の使者、志信と申します。
鳴海軍に挨拶に伺いました。」
影内は黙って後ろに控えている。
命令通りだ。
案内された先には、百匹近い犬が整然と並んでいた。
その規模だけで、俺達の群れの総数を超える。
――これが鳴海軍の一部にすぎないのか。
大牙殿は堂々とした体躯で、
その場の空気を支配していた。
「私は、知床の的盧の使者で志信と言います。
この度、鳴海軍総大将である蒼天様へ挨拶に伺う予定です。
まずは、北海道の盟主である大牙様の下を伺った次第です。」
俺は、挨拶を始める。
「俺の所にわざわざ挨拶とは殊勝な心掛けだな。
的盧殿の群れでは諍いがあったと聞いたがそうなのか?」
大牙殿が聞いてくる。
「一度問題は起こりましたが、内部で解決済みです。
以前と同様、ボスである的盧を中心に纏まっています。
今後も大牙様にご迷惑をおかけするようなことはありません。」
俺は答える。
「そうか。
それならば良かった。
それで鳴海の総大将、蒼天殿には、どのような用件なのだ?」
大牙殿が交渉の趣旨を聞いてくる。
「はい。
この度の問題の一連の経緯の報告とこれまで通りの知床の縄張りの安堵の確認です。」
俺は答える。
「そうか。
総大将、蒼天殿であれば、問題なく認めてもらえると思うが、状況は伝えておいた方がいいだろう。
先ほどは的盧殿を中心に纏まっているという話であったが、吹雪殿や景虎殿はお元気かな?」
大牙殿が聞いてくる。
「父吹雪は1カ月ほど前に他界しました。
ここにいる影内の父景虎は、ボスである的盧に反乱を起こし戦死しました。」
俺は事実を答える。
「志信殿は吹雪殿のご子息だったか。確かに面影ある。
そして、景虎殿が反乱を起こしたのか。
無事解決して何よりだが、実力者2匹の抜けた穴は大きかろう。」
大牙殿が答える。
「私が、父の後を継いで何とかやっている次第です。」
「後ろの影内殿は景虎殿のご子息とのことだが、幹部ではないのか?」
大牙殿が聞いてくる。
「影内は戦闘力は高いのですが、統率力は厳しいので、私の護衛をしてもらっています。」
俺は答える。
「そうか。
的盧殿の群れが以前通り纏まっているのであれば問題はない。
鳴海は遠い、気を付けて参られよ。」
大牙殿との謁見が無事終わり、俺達は大牙殿の縄張りを通過した。
とは言っても、2日は大牙殿の縄張りの中にいたので、その間は大牙殿の配下にも護衛について貰い、餌の確保の融通もしてもらえた。
影内は終始黙って控えていた。
命令通り、何も問題を起こさなかった。
俺は胸を撫で下ろした。
数日後の夕方。
海の向こうに本州が見える場所まで来た。
今日は渡らず、早めに餌を取って休むことにした。
そこで――
影内が水鳥を見つけた。
俺の大好物だ。
影内は全力で追い、
崖際まで走り込んで仕留めた。
だが勢い余って、そのまま崖下へ転がり落ちた。
幸い命に別状はなかったが、
落ち方によっては死んでいた。
それなのに影内は水鳥を咥えたまま、
尻尾をぶんぶん振って俺に差し出してきた。
「志信様の大好きな水鳥を仕留めましたよ。」
俺は褒めざるを得なかった。
「よくやった。えらいぞ。
……だが、無茶はするな。」
影内は真顔で答えた。
「大丈夫です。
志信様のためでしたら、俺はいつでも命を捧げます。」
胸が冷えた。
影内は本気だ。
冗談でも誇張でもない。
俺のためなら死ねる――
本気でそう思っている。
命令で止められる種類の危険ではない。
その夜。
俺は影内の寝息を聞きながら考え続けた。
影内は俺の命令には忠実だ。
だが、忠実すぎる。
命令を守るために死ぬ。
俺が喜びそうなことを命がけでやる。
これは、命令の問題ではない。
影内の心の問題だ。
俺が慎重に命令を出せば事故は減る。
だが、影内は命令されていない場面でも
俺のために命を張る。
――俺がそばにいる限り、影内は危険を選ぶ。
ならば、影内の安全を確保するには
俺が影内のそばに「いない」方がいいのではないか。
だが、群れに戻れば影内は恨みを持つ者に殺される。
的盧様は理解を示してくれたが、
「面倒を見られないなら殺処分しろ」と言うだろう。
周義だけでは影内を守れない。
群れの中では現実的に不可能だ。
――どうする?
俺はふと思った。
鳴海軍の蒼天殿に相談できないだろうか。
鳴海軍は影内と接点がない。
恨みも偏見もない。
蒼天殿なら、何か知恵を貸してくれるかもしれない。
影内を仲間として認めてもらうのは難しいだろう。
だが、影内の扱いについて助言を得ることはできるかもしれない。
ただし――
影内がいる場では相談できない。
理由をつけて影内と別行動をし、
その間に蒼天殿へ相談する。
俺は静かに決めた。
影内を守るために、
影内から一時的に離れる必要がある。
命令では止められない危険を、
どうにかして抑えなければならない。




