志信視点第9話 命令の重さ
けもの道は細く、横に並んで走るのは難しい。
俺は影内に「ついて来い」と命じ、先導して走った。
まずは道央の大牙殿に挨拶する必要がある。
鳴海軍の重鎮である大牙殿の縄張りに入るのは三日目の予定だが、
それまでの道中も油断はできない。
そんなことを考えながら、一日目の行程を終えた。
餌を取るため狩りに出ると、俺は兎を仕留めた。
影内は珍しい水鳥を捕まえていた。
水鳥は俺の好物だ。
影内に半分分けてもらおうと頼むと、影内は迷いなく言った。
「半分と言わず、全部食べてください。」
その言葉に胸が少しだけ熱くなった。
代わりに兎を全部渡したが、心苦しさもあった。
――明日は俺が水鳥を捕まえて返そう。
そう思いながら、影内と背中合わせで眠った。
影内の寝顔は穏やかで、安心した。
翌日も順調に進み、狩りの時間になった。
俺は水鳥を探したが、今日はまったくいない。
近くに水辺がないのだ。
方針を切り替え、昨日と同じように兎を仕留めた。
だが、集合場所に戻っても影内がいない。
しばらく待っても戻らない。
――このままでは夜になる。
俺は遠吠えで影内を呼んだ。
影内はすぐ戻ってきたが、獲物は取れていない。
「影内、まだ獲物を取れてないのか。」
話を聞くと、影内は今日も水鳥を探していたらしい。
水鳥がいない場所で探しても無駄だ。
俺は影内の分も取ってくることにした。
影内は「俺も探しに行きます」と言ったが、
いない獲物を探すだけ時間の無駄だ。
「水鳥は日が暮れると動かない。
お前はここで待っていろ。一歩も動くな。分かったな。」
そう命じて、俺は獲物を探しに行った。
夜になり、獲物探しは難航した。
そのとき、影内の遠吠えが聞こえた。
――呼んでいる。
俺は急いで戻った。
影内が熊に吹っ飛ばされていた。
「影内、大丈夫か!」
影内の背中には深い傷。
俺が熊を威嚇すると、熊は兎を咥えて逃げていった。
影内は息を整えながら言った。
「急に呼び出してしまって申し訳ありません。
熊に吹っ飛ばされましたが、命令通り一歩も動いてません。
匂いで確認してください。」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。
――俺の命令を、言葉通りに守ったのか。
確かに俺は「一歩も動くな」と言った。
だが、それは「殺されそうでも動くな」という意味ではない。
影内は、俺が戻るのが遅れていたら――
本当に殺されていたかもしれない。
影内は以前、俺が「全部食べろ」と言っただけで糞まで食べた。
命令を「絶対」として受け取りすぎている。
なぜ、この可能性を考えなかったのか。
自分の浅はかさに胸が痛んだ。
だが、今は影内の傷が先だ。
「伏せて背中を見せてみろ。」
影内は命令通り伏せた。
背中の傷は深く、血が滲んでいる。
「背中から血が出ているじゃないか。」
俺は影内の傷を舐めた。
気休めにしかならないが、何もしないよりはいい。
影内は言った。
「この程度、大したことないです。」
大したことがないどころか大怪我だ。
このまま旅を続ければ、傷口が開く可能性もある。
一度戻って、命の泉で回復させるべきだな。
そんなことを考えていると、
「餌を奪われて申し訳ありません。」
影内はさらに言っってくる。
確かに熊に獲物を奪われたが、そんなことはどうでもいい。
影内の傷の方がはるかに重大だ。
影内は俺の命令に忠実すぎて、命令の出し方を誤れば影内を死なせかねない。
だからこそ、俺は命令を守ったときは褒めることにした。
影内が「命令を守ること」に喜びを感じるなら、
それを利用して安全に導くしかない。
「俺の命令通り、一歩も動かなかったのだな。
えらいぞ。」
影内の頭を軽く撫でると、
影内はこれでもかというくらい尻尾をぶんぶん振って喜んだ。
その表情は、演技ではなかった。
純粋な喜びだった。
――この忠誠心は、本物だ。
だが同時に、命令の重さを痛感した。
俺の言葉ひとつで影内は死ぬ。
影内の命は、俺の言葉に完全に預けられている。
だからこそ、慎重に命令を出さなければならない。
「影内、今日はこのまま寝るぞ。
獲物は明日だ。」
影内は命令通り寝る体勢を取った。
俺は影内の背中を守るようにして眠った。
眠る姿勢のまま、俺は考えた。
影内は俺の命令だけには忠実だ。
的盧様に突進した前科がある以上、
鳴海で暴走されれば群れが滅ぶ。
だから、命令で縛るしかない。
そして――
俺自身が命令の出し方に細心の注意を払わなければならない。
影内を死なせないために。
影内を暴走させないために。
影内の命は、俺の言葉ひとつで左右される。
その重さを、俺はようやく理解し始めていた。




