第202話 宙に歌を、君に決意の表明を
「3人目ねー,厄介なのは認めるけど,でもあーしに勝てる程じゃないっしょ?」
そう言い放つ眼前の暗殺者,シャラの言葉は概ね正しいだろう。
ノアとベステの元に現れた応援は本来ラスト諸国連合に潜入していたはずのSクラスのクラスメイト,ノエル・フランソワ。
彼女がここにいる,ということは,ラスト諸国連合での問題が片づき,何らかの方法で戻ってきたことは確定だろう。
その何らかの方法とやらは色々と気にかかるが,今この時においては些末事である。
目下重要なのは,今目の前にいる相手,シャラに勝ち得るか否か。
もし仮に,ノエルがラスト諸国連合で新たなる力に目覚めたというのなら,大きな期待を寄せることもできただろう。
ただ,残念なことにノアの感じ取れるノエルの魔力量はノアやベステのそれより低い。
今までの彼女の戦いぶりからして,ノエルは相手の攻撃を引きつける,所謂タンク役。
そういう意味では中衛のノアや後衛のベステとは相性も良かろうが──
「は,速すぎて目に追えないや……」
「ノエルさん!?」
既に幸先は不安である。
実際,彼女の動きはノアどころかベステから見ても遅いため,それ自体は無理もないことなのだが,いかんせんこの場面でのお役立ち期待度は高く見積もれない。
いよいよラスト諸国連合で何か切り札となる魔術を習得していることに賭けたくなるノアの気持ちも察せるというもの。
「ノエルさん,避けて!」
「えっ? ってあっ!」
ノアの声で正面上方から迫るシャラに気づいたはいいものの,ノエルは足を滑らせ転倒する。
とはいえ,これに関してはノエルの不注意というだけではない。
シャラの得意技『爆脚』は足に魔力を収束し,爆発させる魔術。
任意タイミングでの爆発も可能な技だが,シャラの性格上の問題もあって,基本的には何かに触れた時,が爆破のトリガーとなる。
それ故,空振った『爆脚』が結果として何を齎すのかは想像に難くない。
穴だらけになった孤児院跡は,最早普通に歩くのにすら難儀する有様だ。
咄嗟のことで足を動かしたなら,ついその足を取られることもあるだろう。
「あ,はは……あたし,ドジっちゃった……」
次の刹那には,シャラの蹴撃がノエルの両足を消し飛ばしていた。
「やっぱり口程にもない──」
「なんてね!!」
最早定例になりつつあるノエルの『死んだふり大作戦』。
彼女の魔術適性『分裂増殖』によって生み出される分身体はかなりの高精度で,その真贋を見分けることは容易ではない。
まして,戦闘の最中となればその難易度は至難を極める。
陰から飛び出したノエルの腕には短剣が握られており,その刃先は吸い込まれるようにシャラへと迫る。
しかし,そこは仮にもゴールドコースに分類される暗殺者,足を回してその刃を腿で受ける。
「ちょちょっ!? 今の人体が出していい音じゃないって!?」
金属同士が激突したかのような音に驚くノエルへと,ノアも内心で激しく同意する。
ノアも初めてその事象に直面したときは理解が追いつかなかったのだから。
そして,シャラは短剣を受け止めたのとは逆の足を振り抜き,ノエルを振り払う。
「危なかった……て,短剣折れてるんだけど!? 予備がなかったらヤバいどころじゃないって!」
「折れた短剣ってきみの作った複製体じゃない?」
「あー,それ分かっちゃうんだ。参ったなぁー」
ひらひらと掌を揺らして,ノエルはそうボヤく。
「自信あったのに,なくしちゃうなぁー」
「自信をなくす必要はないよ。あーしがめっちゃ強いだけだから」
軽快に言葉を返すシャラに,彼女の足元がトラバサミのように作動する。
「あ,あっぶないなー,両腕の次は両足って? 流石のあーしも足が使えないと戦えないからって卑怯!」
「戦いに卑怯も何もないと僕は思うんですけどね」
「それで見も蓋もなくこんなエゲツないことするんだ?
あーしが思うに,君本来のスタイルは初めて戦った時のだよね?
いやー説得力あるある」
「何とでも。僕たちに勝ちを譲る気はないですから」
──その様子を,再び柱の影に隠れながら見守る少女が1人。
名をベステ・エルマス。魔術適性は『盛福呪歌』。歌を歌うことで様々な効果を発揮する魔術適性だ。
だが,彼女は歌えない。歌うことができない。
(……あぁ,なんで歌えなくなったんだっけ)
「凄い,凄いじゃないかベステ! パパ,こんなに凄い歌を聞いたのは生まれて初めてだ!」
「えぇえぇ,凄い,凄いわ。きっとベステなら,世界一の歌手になれるわ」
これは日本に渡る前の話。
ベステが日本に渡り,表園学園へと入学したのは初等部,つまりは小学生に相当する年齢のことであるため,これはそれよりも前の話だ。
「わたし,すごい?」
「あぁ,凄かった,最高だよ!」
別に,両親が極度に甘かった訳ではない。
特段親バカということもなく,良いことをしたら褒めるし,悪いことをすれば叱る。
そんな一般的な両親だった。
だが,思えばこの日の両親は,否,周囲の者全員様子がおかしかった。
それでも,両親が,先生が,大人たちが満面の笑みで褒め称えてくれるというのは幼いベステにとってかつてない程の肯定だった。
己の道を定める程に,その衝撃は強大なものだったのだ。
その思い出があまりにも眩しくて,自分の道はこれしかないと信じて,ベステは歌に没頭した。
──誰よりも練習した。
少なくとも,周囲の子供たちとは比べものにならない熱量と時間を注ぎ込んだのは事実だろう。
両親は,歌を歌うことを愛し,それでいて周囲を魅了する歌声を持つ娘のため,「習い事」としてベステに教師をつけた。
当然,家庭教師のような大それたものではない。
近所の小さい合唱教室。その幼児向けのクラスに彼女は通うようになっていたのだ。
その日々は幼いベステにとって幸せでとても充実した日々であることに間違いはない。
迎えた再びの音楽会で,誰よりも上手に歌って見せて,彼女の自信はより強固なものになった。
そうして,努力を積み重ねていくにつれて,ベステは次第に技量というものを感覚ではなく知識・論理という形で捉えるようになっていった。
──そして,ある時,彼女は気づいてしまった。
自らの技量が,自分の周りにいる幼い星たちより遙かに劣っているということを。
だが,その頃には既に後戻りできない程に,ベステの周りには彼女が幼い歌姫として羽ばたくことを期待する大人ばかりになっていた。
誰にも打ち明けられない話。
否,彼女は打ち明けた。だが,その言葉への返答は揃ってその言葉への否定。
即ち,歌姫としてのベステ・エルマスの肯定だった。
誰も気づけない。ベステしか認識できない。
彼女の技術の拙さを誰1人指摘できない。
それでも,彼女の歌は人の心を掴んでいた。それこそ,彼女の先輩にあたる者たちに比べても遜色ない程に。
子供故の別基準ではなく,純粋な歌の評価としてそうなのだから,その現実は理解の及ぶものではない。
正しき評価を下すことすら妨げる自身の歌に,彼女は人知れず恐怖するようになったのも無理はないことだ。
自他の認識の矛盾に苦しむようになったある日,1人の男がベステの元にふらりと現れた。
「嬢ちゃん,その悩みが何なのか,俺には分かる」
徐に口を開いたその男の言葉に,ベステの思考は凍りつく。
「お,おしえてください! わたしのこれは──」
「おいおい,落ち着けって。まぁ,無理はないわな。こんな状況だ。だが,まずは自己紹介といこうか」
「あ……」
「俺の名前はバルザ。嬢ちゃんはベステだろう? 嬢ちゃんは有名だからなぁ」
「……」
「ともあれこれでお互いしっかり名前は知れたんだ。もう他人じゃない。俺が相談に乗ってやる理由は十分さ」
ベステの理性はこの男が不審だと告げている。だがその一方で,今の状況を打破できるならと本能が叫ぶ。
結果として,ベステは縦に頷く選択を取った。
──取ってしまった。
「そう言ってくれると思ってたぜ。なら,順に説明しよう」
男が意気揚々と語り出した時には既に手遅れ。
「嬢ちゃんの力は悪い悪い魔女の力なのさ」
悪意に塗れた男の声を撥ね除けるには,ベステは無垢で幼過ぎた。
それからはベステも何があったかを正確には理解していない。
気がつけば両親からは引き離され,失意のまま日本に渡り,たまたま日本にいた親戚の元に預けられ,なし崩し的に表園学園への入学することになった。
新天地でなら自身の歌に酔わされない人がいるのではないか,という彼女に残された最後の希望も絶たれ──
──あぁ,何を恐れていたんだろう。
全ては,ベステという少女が臆病だったせいだ。
逃げ続けたが故なのだ。
ベステ・エルマスは逃げた。正しく技量を評価されない自身の歌から。
それは,周囲の言葉に抗うことを諦めたことだ。
それは,見知らぬ男の口車に乗ったことだ。
それは,数多くあった立ち向かう機会を捨ててきたことだ。
そして,今までに積み上げられた過去から逃げ続けたことこそ,彼女最大の過ち。
幼稚園・保育園に通うような頃には登るのに難儀していた階段も,中学,高校と時を重ねれば,なんでもなく登ることができるようになる。
それが成長というものだ。
だが,成長した後で挑戦しなければ,その階段は巨壁として記憶の中に立ちはだかり続ける。
むしろ,ベステの記憶の奥底に,歌という記憶は肥大化するトラウマとして刻まれてしまった。
故にこそ,魔術を知り,学ぶことができるようになった時点で克服されるべき障壁は,取り払われることなく,今の今まで残存してきた。
(今は,もっと恐ろしいことだってある……なのに,こんなことで躓いている暇なんてない──)
目の前には,立ち塞がる障害に立ち向かう2人の姿。
今はシャラの相手がノアだけでなくノエルの2人になったことによって均衡状態に近づいているが,少しでも連携にヒビが入ればアウト。
当然,ベステの魔術に効果の穴が生じてもアウトだ。その先にはデッドエンドしか残されていない。
ノアは奮戦しているが,彼の戦い方──いわばお行儀の良い戦い方では限界がある。
ベステにはそうと断ずる程の眼を持ち合わせていないが,それでも彼1人では届かないだろうということぐらいは読み取れる。
ノエルに関しては動きが悪い。元からシャラの動きに遅れを取りがちだったが,分身体が撃破されてからその動きはさらに鈍っている。
いずれにせよ,戦況の維持が精々だ。
そして,継戦に必要な体力の差でSクラス側が不利でもある。
だが,この状況をひっくり返すことが,今のベステにはできる。
今こそ,己を包んでいた殻を破るべき時。
(私なら,きっと……!)
正直なところ,今もまだ身体が震えている。
平気だ,と胸に刻んでも,長年に渡って蓄積された“トラウマ”は伊達ではない。
それでも,自分を変えると,自分が変わると決意したなら──
「……!!」
その瞬間のことは,きっと生涯忘れられないだろう。
そう,その場の誰もが,ベステを含めてそう思った。
「────! ──────! ────!」
歌声が空気を包んだその瞬間は,まさにその場の誰もが心を奪われた。
強く明るく,未来を謳おう。
心のままに,明日を願おう。
これは後に【序曲:輝かしき明日の夢】と名のついた,ベステが自らの力で紡ぎ上げた初めての魔術だ。
(ここからが本当の,反撃開始です……!)
たった1つ,魔術の術式が展開されただけだというのに,Sクラス3人に最早敗北のビジョンはなく,勝利への筋道が光り輝いているかのようだった。




