9話:週二回なら歓迎です
鹿島先輩はすぐには返事をせず、俺の顔をじっと見ている。
「……具体的には、何をするつもり?」
「まず、家を含めた資産と、すぐに使えるお金を分けます。全部合わせて今どのくらい残っているんです?」
鹿島先輩の指が、胸元のシーツを握り直した。
「どうしてそこまで柚木ちゃんに話さないといけないの?」
当然の警戒だ。ついさっきまで身体を買っていた後輩が今度は家の資産を教えろと言っている。言葉にすれば信用できる要素が何一つない。
「警戒するのは正しいですよ。では、先に私のほうから見せましょうか」
「何を?」
ベッド脇に置いていたスマートフォンを取り銀行のアプリを開く。口座番号や入出金履歴は隠し、残高だけを表示した画面を鹿島先輩へ向けた。
そこには二千八百万円を少し超える数字が並んでいる。
「……これ、柚木ちゃんの口座?」
「私が生活費や遊びに使っている口座です。配当金収入が主ですね。一学期にそこそこ使いましたが、まだこのくらい残っています」
鹿島先輩は画面と俺の顔を見比べ、もう一度、端から桁を数えた。
「これが全部じゃないの?」
「投資用は別です。数億円なら私の裁量で動かせますし、柚木家全体ならもっとですね」
柚木家の資産額は百億を超えるが、流石にそこまで話さなくてもいいだろう。高校生には少々刺激が強すぎる。
そしてこの考えは正しかったようだ。俺にとっては大したことない残高だが、先輩は俺のスマートフォンの画面に釘付けになっているからな。
「……だから、私を毎回五万円で買えるのね」
「払えるかどうかと、誰に払うかは別ですよ。五万円出せる女なら、誰でもいいわけではありません」
「今の、口説いてる?」
「事実確認です。それより、私が先輩の家の金を狙う理由がないことは分かったでしょう?」
「お金目当てじゃないことだけはね。別の意味では全然信用してないけど」
「それで十分です」
鹿島先輩は俺の目を真っすぐに見つめてくる。こちらも目をそらさず見つめ返すと、先輩はひとつ息を吐き、自分のスマートフォンを俺へ向けた。
「……分かった。ざっくりとした説明になるけど、今は――」
そこから先は、先輩の口から出てくる数字を頭の中で並べ直す。
資産はマンション込みで約六千万円。そのうち三千万円がマンションの評価額で、現金は両親が亡くなった直後の三千五百万円から三千万円まで減っている。後見人は、今後の減り方を年間百万円程度だと見ているらしい。
遺族年金などもあるらしいからな。単純計算なら三十年は持つ。ところが鹿島先輩は弟妹の進学や病気、マンションの修繕に備える金を先に除外して自由に使えるのは千万円程度だと考えていた。先輩の中では、わずか十年で尽きる金というわけだ。
後見人の見立てがおかしいとは思えないし、俺も数字だけなら簡単に生活が破綻する家ではないと思う。……これ、家計より鹿島先輩の気持ちの問題じゃないのか?
「先輩はお金が足りないことより、残高が減っていくこと自体が怖いのかもしれません」
そう言ってやれば、鹿島先輩は自分のスマートフォンへ目を落とした。
「……否定はできないわね。両親が亡くなる前に管理していたのは自分の口座くらい。それが多少減っても気にならなかった。でも、家の口座となると勝手が違うのよ……」
家計はキャッシュフローが大切だからな。減っていくだけの口座を見続けていると気が滅入るのは理解できるさ。後見人が『三十年は持つ』と断言したところで、先輩には三十年を切り崩す話に聞こえるわけだ。
「家計簿と、後見人から渡された資料は残っていますか?」
「あるけど……それを見て何が分かるの?」
「去年出ていった金と、今年出ていく金、これからも毎年出ていく金を分けます。先輩が確保したがっている金額についても、本当に必要になる時期ごとに並べたいですね」
「それで、大丈夫だって分かる?」
「資料が揃っていれば、おおよそは。本当に足りないなら足りないと伝えますよ」
「一人で悩んでいても仕方ない……か。柚木ちゃんなら信用できるかな?」
「さあ? それは鹿島先輩が決めることです。私は提案しているだけですよ」
「……そうね。決めるのは私、か」
今の鹿島先輩は一家の主だからな。そこは自分で決めてもらわないと困る。そして俺にできるのは提案だけ――となれば、さらなる提案もここではありか?
「話を少し変えます。残高を戻すのではなく、家の口座から出ていく金を減らすなら他に効率のいい方法がありますよ」
「どんな?」
「もっと私に身体を売ればどうですか?」
鹿島先輩の表情が固まり、こいつ何言ってんだ? みたいな目線を向けられるがこちらは大真面目だ。
「週二回くらいなら歓迎ですよ。一回五万円なら月に四十万円前後。年にすれば五百万円近い。今のバイトを増やすより、よほど効率がいいでしょう?」
「柚木ちゃん、それ本気で言ってる?」
「本気です。放課後に一発やりたい時もありますからね」
枕が飛んできて俺の顔に直撃し――そのままベッドへ落ちた。
鹿島先輩は胸元のシーツを押さえながら俺を睨んでいる。耳まで赤いところを見るに本気で怒ったというより、何かを想像してしまったらしい。
「最低! 人が真面目に悩んでるのに!」
「私も真面目に提案しています。先輩は金を増やせる。私は先輩を抱ける。双方に利益があるでしょう?」
「結局自分がしたいだけじゃない!」
「当たり前ですよ。私に利益がなければ取引にならないじゃないですか」
鹿島先輩は投げた枕を乱暴に引き寄せて抱え込み、顔を半分埋めたまま黙り込む。
しくじったか? そう思った。けど、拒絶の言葉は出てこないどころか――
「……放課後って、ここに来るのよね?」
「学校から近いですからね」
「週二回なら、本当に家のお金は減らなくなる?」
「後見人の見立てどおりなら、数字の上では。ただし、私がいつまで先輩を買うか分からない金です。家族の将来を決める収入として数えるのは勧めませんけど」
「そこまで提案しておいて、急に冷たいことを言うのね」
「私の欲求はまた別の話ですから。でも、身体を売って安心を買いたいなら私は歓迎します。その上で家計が本当に持つかどうかは資料を見て考えましょう」
俺の性欲を鹿島家の恒久的な収入源にされても困るからな。単年度の生活費の補填ならともかく、弟妹の進路を含めた生活設計は別会計だ。
鹿島先輩は枕から片目だけを出して俺の顔を窺い、やがて小さく息を吐いた。
「……週二回の話は、考えておく」
「どうぞご自由に」
「家計簿も資料も、全部うちにあるわ。明日の放課後ならバイトもないけど……颯太と美羽もいるわよ」
「構いません。必要な資料をまとめておいてください」
「二人には部活の後輩が遊びに来るって話すことになるからね。絶対に変なこと言わないでよ」
「弟さんと妹さんの前ではただの礼儀正しい後輩で通しますよ」
「……その言葉、信じるからね」
鹿島先輩は疑いの残る目で俺を見ているけど、家族の前で尊厳を傷つけるようなことなんてしないさ。俺はそこまで外道じゃない。……いやまあ、碌な人間じゃないって自覚はあるけどね。
「分かった。明日、部活が終わったら一緒に帰りましょう」
「ええ」
「本当に、家計を見るだけだからね」
「任せてください。ただし家計に余裕がないと分かったら、放課後の一発に誘導するのでお気をつけて」
抱えていた枕をもう一度投げつけられたが、今度は避けた。
こっちは誠意をもって話しているというのに、照れ隠しがずいぶんと激しい人だな、まったく。




