4話:次回から五万円
鹿島先輩は俺に背を向け、シーツを胸元まで引き上げている。
行為を終えたばかりの寝室には、まだ昼の光が差し込んでいた。汗の残る肌へ当たるエアコンの風が気持ちいい。
先輩はさっきからほとんど喋っていない。呼吸を整えて平静を装っているつもりらしいが、乱れた髪と赤い耳で台無しだ。あれだけ声を聞かせておいて、終わった途端に大人しくなるのだから面白い。
キスはしなかった――買ったのは鹿島先輩の時間と身体であって、恋人の真似をするつもりはないからだ。その線引きに気づいたのか気づかなかったのか、別にどうでもいい。俺は存分に楽しんだからな。
さらに言うならテクニックについてだ。我ながらかなり上達したとは思う。前世も含めて抱いた女の数はそれなりだが、自分自身で散々に試した経験が大きい。力の加減、触れる順番、呼吸が変わる瞬間――知識だけではなく生きた経験となっている。
鹿島先輩は声を出せば何かを認めることになるとでも思っていたのか、最初は唇を噛んで息を潜めていた。しかし次第に呼吸は乱れ、途中からは隠す余裕までなくなり、ずいぶん素直に声を聞かせてくれたものだ。
『金のために来たのに、身体は正直ですね』
そう耳元で指摘してやると、俺を睨んだものの押し退ける力は弱い。むしろ自身の変化を認めるように目をつぶる姿に激しい興奮を覚えたものだ。
まるでゲームのように女の反応を一つずつ攻略する――これも女を抱く楽しみの一つだろう。
「――鹿島先輩」
背中へ呼びかけると、シーツの中で肩が揺れる。
「なに?」
「どうでした?」
「……今、それを聞くの?」
「今だから聞くんですよ」
鹿島先輩はゆっくり寝返りを打ち、シーツを身体へ巻きつけたまま枕へ頬を押しつけるようにしてこちらを向く。
この容姿や身体が好みで買ったわけだが、その反応も含めた上でまた買いたいと思う。鹿島先輩の評価は完全に上方修正だな。
「どうって言われても……分からない」
「分からない? まあ、いいでしょう。私が楽しむために買ったわけですからね。では、商談の続きです。次回から五万円で手を打ちますがどうですか?」
そう言うと、たちまち先輩の目が据わる。いっぱいいっぱいで継続の条件について忘れているなこれは。
「いきなり半額って、どういうこと?」
「十万円は初回価格って言ったでしょう? 次からは相場と私の満足度で決めます」
「……そういえば、ずっと十万円ではないと言ってたわね」
鹿島先輩はしばらく黙った末、額へ手を当てる。
「終わった直後に値下げ交渉されるとは思わなかった……」
「交渉というより、次回以降の条件提示ですね。嫌なら断って構いません」
「そういうところは本当に変わらないのね」
声には呆れが滲んでいるが、怒ってベッドを出ていく様子はない。
「今の女は一昔前と比べれば安売りされているんです。その相場で考えれば素人の鹿島先輩に五万円も払うのは、かなり気前がいいでしょう?」
「自分も女なのに、よくそんな言い方ができるわね……」
「自分が女かどうかと相場は関係ありませんよ。相場は相場です」
「最低……」
「前にも聞きましたし、否定もしません」
最低だろうがなんだろうが、金銭のやりとりをするからには絶対に引くべき線がある。そういう意味での回答だが、鹿島先輩は枕へ顔を埋めた。
怒ったか? ――と思ったが、すぐにくぐもった笑い声が聞こえてくる。
「もう、どこから突っ込めばいいのか分からない……」
本気で困っているらしい。なら、こちらは話を進めるだけだ。
「それなら話を進める方が建設的ですね。私の提案は一週間に一回。応じてくれるのなら平均月収は二十万円を超えます。しかも不特定多数ではなく、相手は私だけ。移動時間も短く拘束時間もそれほどではない。かなり割のいい副業では?」
「こんな形で安全性のアピールをされるとはね」
「そりゃしますよ。私の宣伝ではありますが嘘はついていません。労働条件は提示するものでしょ?」
枕から顔を上げた先輩が、困ったように俺を見る。
「……誠実なのね。この話をしだした時から、ずっとそう」
「表立って言えない案件だからこそ、より誠実でないといけません。取引相手に嘘をつくと長続きしませんから」
「長続きさせるつもり……あるんだ」
「今日の結果を見れば、それなりに」
そう答えると、鹿島先輩の頬が赤くなった。
「結果って、私が途中から――」
「よく鳴くようになったことですか?」
「言わなくていい!」
シーツの中から手が伸び俺の肩を叩いた。避けるほどの力でもないのでそのまま受けておく。
「興奮していたことも含めて、私は高く評価していますよ」
「それも言わなくていいから!」
「感想を伝えただけなのに」
鹿島先輩はシーツを頭まで引き上げる。シーツの中から何やらぶつぶつ聞こえるが内容までは分からない。
気にせずに待っていると、しばらくして目元だけが現れ恨めしそうな視線を寄越してくる。
「それが柚木ちゃんのスタンスなのね」
「何がです?」
「何でも金額と条件にして、分かる形にすること」
「曖昧な関係より健全だし、それに何より楽でしょう?」
金は人を汚くもするが、逆に誠実にもする。前世で嫌というほど見てきたことだ。鹿島先輩にはまだピンと来ないらしいが、そのうち分かるだろう。
俺の言葉に鹿島先輩はすぐには答えず、じっと俺の顔を見つめている。ただ、シーツを握る指からは少しずつ力が抜けていった。
「最低だけど……分かりやすくはあるわ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めてない」
そう言いながらも五万円という条件を断る言葉は出てこない。
なら、継続する可能性はある。俺としてはそれで十分だ。
◇
週が明けると、鹿島先輩は部活に顔を出した。
「お、今日は行けるんですか先輩?」
中島が片手を上げ、鹿島先輩も普段どおりの笑顔を返す。
「ええ。バイトは少しだけ減らしたからね」
あの十万円があれば何日分かのシフトを減らす余裕はできただろう。やりたくもない仕事をやらないで済むのはいいことだ。
「これならチーム戦をやれるな。上のランクを目指して頑張るぞ!」
本気で上を目指しているわけでもないのに部長が急かしてくる。鹿島先輩は俺の隣へ座って端末を立ち上げた。いつもの日常が戻ってきただけなのだが……肩が触れそうな距離を妙に意識する。
ただ、ゲームに入り込んだ鹿島先輩には雑念はないようだ。ある意味で俺よりも割り切りができている。思っている以上に心が強いのかもな。
なら俺も気にするべきじゃない。今はゲームに集中しよう。
◇
特に何事もなく、金曜日を迎えた。マンションへ帰った俺は制服を脱ぎ、ソファに腰を下ろす。
夕食にはまだ早い。ゲームでも始めようとコントローラーへ手を伸ばしたところでテーブルに置いたスマートフォンが震える。
画面に表示された名前は――鹿島先輩。
『明日、空いてる?』
メッセージを開く。俺が返事を考えるより早く次の一文が届いた。
『この前の、五万円の話。まだ有効だよね?』
――もちろん有効だ。
こうして俺は鹿島先輩を一回につき五万円で買うことになった。傍から見れば最低だろうし、自分でも否定する気はない。
恋愛なんて面倒な手順をすっ飛ばし、俺が欲しい身体と先輩が必要な金だけを交換する。そんな関係は――やはり心地のいいものだ。




