29話:誰も譲らない
「二人を呼んだの、お前か?」
俺が尋ねると、小春は繋いだ手を離さないまま悪びれもせずに頷いた。
「はい。昼に別れたあと連絡しました。英子先輩と私の関係について話したいなら、夜にこの公園へ来てくださいって」
「勝手なことをするなと言ったよな」
「写真を送りつけるのはやめました。だから今度は、顔を合わせて話そうと思ったんです」
そういう問題じゃない。
写真に限った話ではないと、あの時はっきり言ったはずだ。小春も分かっているからこそ、そんな誤魔化しをする。
もう扱いやすい後輩ではないと分かってはいるが、同じことをもう一度やるとはいい度胸じゃないか。
「小春ちゃんから、聞きたいことがあるなら来いって言われた」
ベンチから立ち上がった真琴の声は軽い。ただ、小春へ向けた目はまったく笑っていない。
「私もよ。ずいぶん思い切ったことをするのね、初瀬さん」
「お二人とも来たじゃないですか。気になっていたんでしょう?」
莉理さんは否定せず、真琴も肩をすくめるだけだった。
運河から吹き上がる風が足元の枯れ葉を転がしていく。冬の夜に好き好んでベンチへ座る人間は少なく、ほかの人影は声が届かないほど遠い。
喧嘩を売る場所まで選んだのか、こいつは。
「私を無視して勝手に話をするな。真琴と莉理さんをこんなところに集めて、何を話すつもりなんだ?」
「英子先輩が、どれだけ酷い人かって話です」
「なんだそれは……私を前にしてそんなこと話すのか?」
「英子先輩と関係を続けるなら知っておく必要がありますよ。私はずいぶんと傷つけられましたからね」
言葉とは裏腹に小春は俺の腕へ身体を寄せた。甘えるような仕草と、口から出てくる話がまるで噛み合っていない。
「四月から夏休みまで、先輩は何度も私を買いました。遊びに連れていって、食事を奢って、家へ泊めてくれて。本当の恋人みたいに扱っておきながら、新学期になったら飽きたからって放置です……あの頃は私が連絡しても、ずっと断っていましたよね」
「言い方に悪意があるぞ。買ったのは事実だし飽きたのも否定しないが、捨てた覚えはない」
「確かに英子先輩の理屈ではそうですよね。私たちは別に恋人じゃないですから。だから自分が楽しむだけ楽しんで、興味が薄れたら会わなくなる。何も問題はない」
図星というわけじゃないが、それは俺がこれまで使っていたロジックだ。
契約した上での話なんだから問題であるはずがない――それが間違いであると、小春は隣から俺の顔を楽しそうに覗き込みながら言った。
「でもそれって、普通はやり捨てって言うんじゃないですか?」
「……」
これはもう、理屈じゃなくて感情の話だ。小春がそう考えているなら俺から話してもただの水掛け論にしかならない。
しかし、言葉の通じない女なんて切ればいい――俺がそう考える人間だと小春は分かり切っているはずだ。
それでも小春の挑発的な視線は変わらない。嫌われるのを恐れて引く様子もなく、俺を言い負かすだけが目的とも思えない。
――こいつは、これから何を話すつもりなんだ?
「まあ、私の捉え方は別として、重要なのはそこじゃないです。私は今日これで買ってもらいました」
小春は俺の腕から片手を外し、財布から一円玉を取り出した。街灯の下で摘まみ上げ、二人へよく見えるように掲げる。
「私がただでも一円でもいいと言って、英子先輩は本当に一円を払ったんです。それでも朝から迎えに来て、手を繋いで、イヤリングを選んで、夕食まで予約してくれました」
小春は俺から顔を背け、真琴と莉理さんを見ている。
表情は見えないが、一円玉を自慢げに掲げているのは勘違いじゃないはずだ。
「――そしてこのあと、抱いて貰う予定なんですよ? さて、お二人はどう思いますか?」
挑発的な言葉が夜の公園に響き渡る。
真琴は目だけじゃなく、顔全体から笑みが消える。
莉理さんは表情を崩さない。それでも何か計算でもしているのか、視線は一円玉へ向いたままだ。
「それ、もう値段じゃないじゃん」
真琴の鋭い視線が俺を刺す。そこには俺を責めるような感情が見て取れる。
俺の中で筋が通っていれば、相手にも通じるわけじゃない……ということか。
「そうですよ。お金で身体を買われただけなら、こんな一日にはなりません。英子先輩って根が真面目なんですよね。だから本気で私を楽しませようとしてくれて、私も先輩のことを思えばそれに応えてくれる……」
小春は掲げた一円玉を大切にまた財布にしまう。そして二人に宣言する――
「私は英子先輩が好きです」
再び俺の腕に抱きつきながら、これまで溜めてきた感情を吐きだし始めた。
「女癖が悪くて、自分勝手で、気が向いた時だけ優しい。人を楽しませるのは上手なのに、自分自身はどこか空っぽ。人生を楽しんでいるのに、本気になって生きてはいない。改めていいますけど英子先輩はクズです。最低とまでは言わないけど、真面目に付き合っても決して人を幸せにできる人じゃありません。でも……そんなところまで知ったうえで、ずっと好きでいられるのは私だけです」
小春にそこまで言われても、俺は否定できない。
むしろ「その通り! よく見ているな!」なんて、他人事のように小春を称賛している俺もいる。
しかし、それでも思わざるを得ない。なんで小春はこんな俺を好きだと言えるんだろうか?
「小春ちゃんってさ、少しばかり入れ込みすぎじゃない?」
真琴が一歩――こちらへ近づいた。こいつも同じ疑問を抱いたのだろうか。
「英子がクズなのは知ってるよ。今さら小春ちゃんに教えてもらわなくてもね。で、それが何? というか私は違う。友達であって恋人なんかじゃない」
「なんですかそれ? 友達なら私より英子先輩に近いって言うつもりですか?」
「ただの友達じゃない。高校へ入ってからずっと一緒にいる親友――英子が何を嫌がるかも、どこまでなら許すかも、小春ちゃんより分かってる」
真琴はそこで俺を見た。俺が否定するはずはないと信じ切っている目だ。
「恋人? 結構じゃん。でも、そんな名前だけで英子を繋ぎ止めておけるって、本気で思ってる?」
「……私は二人がどんな関係でも気にしないわ」
真琴の宣言に割って入ったのは小春ではなく、穏やかな声の莉理さんだった。
「親友でも恋人でも、お好きなだけどうぞ。私は英子ちゃんと今までどおり一緒にいられるなら、それでいいもの」
俺へ向けられた微笑みは柔らかい。
でも、真琴と小春に対して今の関係を決して譲る気がないことだけははっきり伝わってくる。
「英子ちゃんもそうよね? この前は朝まで楽しんだ仲だし、うるさいことを言わず、無理に関係に名前をつけなくても一緒にいられるのは私だけじゃないかな」
真琴が莉理さんを見据え、小春が俺の腕を掴む力も強くなる。
なんだってんだこれは……まるで恋愛物の修羅場のようじゃないか……
「勝手に私を……賞品みたいに扱うなよ」
苛立ちを込めて声をあげるが、小春はこちらへ向き直らずに言った。
「始めたのは英子先輩ですよ」
小春は俺から手を放して、相対するように位置を変える。
改めて見えた小春の表情は、嬉しそうにも、悲しそうにも見えた。何かを訴えたくても、どう言葉にしていいのかわからないような、そんな顔だ。
「……お金で買えば、全部きれいに片づくと思っていたんですよね? でも、そんなことありませんでしたね」
咄嗟に言い返しかけて……やめる。小春だけじゃない。真琴と莉理さんも一言で片付けられない感情を浮かべながら俺を見ているからだ。
真琴は親友のまま特別になりたがり、莉理さんは名前のない関係を続けたがっている。小春に乗せられたとはいえ二人とも譲るつもりはないように思える。
面倒になったとか、そういう問題をとうに超えている。いままで目を逸らしていた結果がこれか……
また勝手な真似をすれば切ると思っていたくせに、まだ小春の話を聞いている。小春にかき回されている。ここまで付き合ったのが失敗だったのか?
でもここで小春を切って、それで残る二人まで元に戻るのか? むしろ小春がいなくなった分、自分ならどうだと詰めて来るんじゃないのか?
小春が恋人役を欲しがっているからこそ、二人は自分ならそんなものはいらないと言っている。なら、問題はあっても小春を側に置いておくほうが、一対一で答えを迫られずに済むんじゃないのか?
考えが堂々巡りになる中で、妙な理屈が固まっていく。
とにかく、収拾をつけられないのなら今の状態でロックすればいい。我ながら都合のいい話だが、奇妙な三竦みになった現状には価値がある。
そんな俺の思考を知ってか知らずか、小春はさらに主張を続ける。
「私を選んでなんて口が裂けても言えません。最初にお金で繋がったのは事実ですから。でも、簡単に逃げられるとは思わないほうがいいですよ」
そこで小春はまた俺に近づいてきて、その手を俺の襟元へ伸ばした。
――何をする、と問いかける暇もない。
顔を引き寄せられ、唇を押しつけられる。人目のある公園でやるとは思わず、反応が一瞬遅れる。
なんとか反応して、小春の肩を押して引き剥がす。
「お前、何するんだ!?」
「今日はこのあと、する予定だったじゃないですか。少しでも気分を高めておかないと損ですよ」
叱られた直後とは思えない顔で、小春は唇を舐めた。
「ほら、お二人を見てください。恋人なんてどうでもいいと言いながら、ちゃんと気にしていますね」
「……小春ちゃん、いい加減にしなよ」
「なら、霧島先輩もしてもらえばいいじゃないですか」
小春は俺の腕へ再び絡みつき、真琴だけでなく莉理さんも一緒に見回した。そして俺に顔を向けて言い放つ。
「今なら私を選ぶだけじゃなくて、お二人を買うこともできるんじゃないですか? 私は今日、朝から英子先輩にエスコートしてもらって、十分に楽しみました。夜くらい譲ってあげても……ね」
小春にとっては今日一日を俺と過ごしたことのほうが価値が高い。だから譲ると言いながら、ひどく勝ち誇った顔をしているんだ。
「私は売らないよ。英子がしたいならお金なんかいらないし」
真琴が即座に言い返す。
「私も、今日は五万円なんてなくていいよ」
莉理さんまで、ごく自然に続けた。
視線が再び俺に集まる。俺の選択を三人は待っているんだ。
でも、だからなんだ? 俺には俺の意思がある。結局のところどこまでこいつらとの関係が進んでも、それは変わらない。
「勝手に話を進めるな。今夜を誰と過ごすかは、私が決めることだろ」
はっきりと宣言してやるが、それでも三人の視線は変わらない。
金を払えば条件が決まり、条件が決まれば関係は分かりやすくなる。そう思って女を買ってきたはずなのに、ここには値段をつけられるものが一つもなかった。
三人とも、俺との関係を今より自分に都合よく変えたいわけだ。この場には善意などなく、あるのはそれぞれの欲望だけ。
なら俺も、自分の欲望を優先するだけだ。決してだれかの思い通りになんて、動いてやるものか――




