28話:恋人役を二人に見られて
初瀬小春は、俺の顔を見るなり右手を差し出してきた。
「今日は恋人みたいにエスコートしてくれるんですよね?」
「その条件でお前を買う約束だからな」
差し出された掌へ、一円玉を載せる。
「その前に代金だ。受け取れ」
「……本当に一円なんですね」
口では呆れたように言いながら、小春は妙に嬉しそうだった。
一円玉を指で摘まみ、失くさないよう財布の小銭入れへ収めている。安く買われたことを不満に思うどころか、ようやく俺との取引が成立したとでもいう顔だ。
……分かってはいたが、本当にそれで喜ぶのか。
金が目当てではないことは、あの喫茶店で思い知った。それでも口で言ったとおりに受け取るのか、この目で確かめたくて一円にしたのだが……
その結果はこの笑顔――安く済んだと喜ぶ気にはなれないな。
しかし、今さら取り消すつもりはない。少々意地の悪い試し方とはいえ本性を見せろと言ってきたのは小春のほうだ。ならこいつ相手に遠慮をする意味はない。
「それで、その手は代金を受け取るために出したんじゃないのか?」
「違います。繋ぐために出したんです」
小春はもう一度、空になった右手を俺へ差し出す。
土曜の朝、隣町へ向かう駅前は休日を楽しむ人間で混み合っていた。小春は膝丈のコートに細身のパンツを合わせ、俺より背の高い身体を少しだけ屈めて待っている。
面倒な条件まで承諾した以上、手を繋ぐ程度で渋る理由もない……か。
「お手をどうぞ、お嬢様」
「もっとちゃんとしてください」
「注文が多いな」
それでも手を下から取り、指先へ軽く口づける真似までしてやる。小春は満足そうに笑うと、すぐに指を絡めてきた。
「合格です。今日は一日よろしくお願いします、英子先輩」
「そこまでやらせたんだ。あとで話が違うとは言うなよ?」
「言いません。先輩こそ、途中で手を抜かないでくださいね」
繋いだ手を引かれ、改札へ向かう。俺が買う側なのに主導権を握られている気もするが、俺から誘った手前、気を掛けるのがこちらになるのは当然だな。
電車を使って隣町の煉瓦倉庫街に到着する。
ここでは冬のクラフト&アンティーク市が開かれていた。地元ではそれなりに大きな催しらしく、古書や古道具を扱う露店の間を近隣の学生や家族連れが行き交っている。
小春の目当ては装飾品だった。
「これ、どっちがいいと思います?」
耳元へ当てたのは、青いガラスと赤い石のイヤリング。
「青だな。お前は背が高いし、そっちのほうが落ち着いて見える」
「可愛いほうじゃなくて?」
「可愛いだけなら他で足りる。小春は綺麗に見せたほうがお得だろ」
鏡越しにこちらを窺っていた口元が緩む。
「じゃあ、青にします」
「買ってやるよ」
「今日の一円とは別ですか?」
「エスコートの出費ってやつだな。お前に払わせたら私の格好がつかないだろ?」
我ながら詰まらないプライドだと思う。でもまあ、こうしてデートっぽいことをするのは別に嫌いじゃないからいいけどな。
小春を試すためとはいえ本当に一円だけで一日連れ回し、最後に身体を差し出させるというのは何か違う。
だから引き受けたエスコートは全力でするつもりだ。今夜の店も昨夜のうちに予約してある。
会計を済ませ、紙袋も俺が持つ。小春はますます機嫌をよくし、次の店へ向かう足取りまで軽い。
古書の区画では俺のほうが足を止めた。古い戦史資料や複製地図が並んでおり、戦線の動きを示した図にはどうしても目を奪われる。
「英子先輩、こういうの本当に好きですよね」
「人がどこで判断を間違えたのか見るのは面白いからな。結果を知っている側からなら、いくらでも賢ぶれる」
「買います?」
「いや、状態のわりに高い。見るだけで十分だよ」
小春は興味のない棚の前でも急かさず、俺が満足するまで隣にいた。
自分だけ楽しませろという要求ではないらしい。こういう付き合い方をされると自然と俺まで楽しくなってくる。
途中で食事を取ってからさらに市を回る。昼を過ぎて人通りが増えると小春は何度も手を握り直し、最後には指まで深く絡めてきた。
「そこまでしなくてもはぐれないぞ」
「私がしたいんです。嫌ですか?」
「嫌ではないけどな」
「なら問題はないですよね!」
小春がそう結論づけて歩き出したところで、聞き慣れた声に呼び止められた。
「英子?」
振り返ると、真琴が女友達二人と立っている。
驚いた顔はすぐ笑顔へと変わったが、視線は俺ではなく小春と繋いでいる手に向いている。
「真琴も来てたのか」
「……うん。友達に誘われてね。英子は小春ちゃんとデート?」
「今日は恋人みたいに扱うっていう約束なんです」
俺が答えるより先に、小春が繋いだ手を見せつける。
「……それが今日の条件だからな」
「ふうん。昨日は恋人みたいだって気にしてたのに、小春ちゃんとはいいんだ」
真琴が面白くない理由くらいは分かる。昨夜は真琴との関係をどう呼べばいいのか迷ったくせに、今日は小春の恋人役を引き受けているんだからな。
恋人にはならないという話には真琴も頷いていたはずだ。だから責められても困るのだが……それを今こいつに言ってどうする。
返事に迷っていると――
「英子ちゃん?」
少し離れた飲食店の前に莉理さんが立っていた。隣には颯太くんと美羽ちゃんもいる。
「莉理さんたちも来ていたんですね」
「うん。美羽が見たいって言うから……」
莉理さんが俺と小春、そして真琴へ順番に視線を向ける。
なにやら面倒なことになってきた……そう思っていると、真琴が目を細めて俺と莉理さんを見比べる。
「ふーん……莉理さん、なんだ。前は鹿島先輩って呼んでなかった?」
「呼び方を変えただけだよ」
「そっか。本当に仲良くなったんだね」
真琴の笑顔が少し硬い。莉理さんも小春と繋いだ手を見て言葉を止めている。
二人との距離は自分で承知して近づけたものだ。なのに、まとめて接することになるとずいぶん居心地が悪い。
見せられる側は面白くないだろう。でも、それで今日の予定を変えてやる義理もない。俺は誰とも付き合っていないし、小春とは先に約束している。
……そうだ。約束どおりエスコートしているだけなんだから、責められる筋合いはない。
「私たちはまだ回るから、また学校でな」
「うん。またね英子……」
「英子ちゃんも、また学校で……」
二人と顔を合わせている間に、小春は最後まで手を離さなかった。それどころか繋がった指をさらに強く握りしめてきた。
莉理さんが来てからは口を挟まなかったが、小春も張り合っていたんだ。実にめんどくさい……でも、手を繋ぐことも恋人役も引き受けたのは俺だからな。
溜め息が出そうな出会いをなんとかやり過ごし、小春とのデートを再開する。
あれだけ嬉しそうだった小春の口数が少なくなっているけど、フォローしてどうにかなるものでもないだろう。
だから特に気にせずに午後も古道具や革製品の店を回る。そして倉庫の壁を飾る明かりが目立ち始めた頃、予約していた店へ向かった。
案内されたのは運河を見下ろす窓際の席だった。前菜から始まるコース料理を見て、小春が目を丸くしている。
「これ、学生がデートで来る店じゃないですよね?」
「別に入店を断られなかっただろ」
「そういう意味じゃありません。一円で買った相手に、いくら使うつもりなんですか?」
「一円は一円だ。こっちは私のプライドを守るための補填だから、気にせず食え」
小春は何か言いたそうに俺を見たあと、嬉しそうに笑った。
「本当に面倒な人ですね、英子先輩って」
「知ってるだろ」
「はい。知っているから好きなんです」
なんと答えればいいか、迷うことを言いやがって……
まあいいか。いまは料理を楽しもう。せっかくの料理を前に意識を違うことに向けるのは料理人への誠意を欠くからな。
こうして夕食を終えて駅へ向かう途中、小春が俺の袖を引く。
「少し食べすぎました。公園で休んでいきませんか?」
「……いいけど。追加で頼んでおいて満腹で動けないってのはどうなんだ?」
「いいじゃないですか! なかなか行く機会のないお店を選んだ英子先輩が悪いんです!」
「あーもう……分かったよ。少し休むくらいなら付き合ってやるよ」
倉庫街と駅の間には運河沿いの小さな公園がある。冷え込んだ夜気を避けて帰る人が多いのか、人影はまばらだった。
公園へ入ったところで、小春の歩調がわずかに速くなる。
その視線を追うと、奥のベンチに真琴と莉理さんが並んでいた。昼間一緒だった真琴の友人も、颯太くんたちもいない。二人だけでこちらを待っている。
「……なんで二人が一緒にいるんだ?」
俺が足を止めても小春は驚かない。それどころか指を強く絡め、二人のいるベンチへ俺を引いていく。
――こいつ、休みたいと言い出した時から、ここへ俺を連れてくるつもりだったな。




