20話:友キス
真琴の指先が触れたまま、俺は今日一日を振り返る。
朝から二人で出かけ、手を繋いで水族館を歩き、最後は自分を買わないかと持ちかけてくる。このまま夜まで続けば、順番だけならデートのあとのカップルみたいだ。
真琴が金を必要としているのは事実だろう。ただ、今日一日へかけた手間までそれだけで片づける気にもなれない。
――これ以上は、一線を超えるのでは?
そんな思いが浮かぶけど、浮かぶからこそ気にし過ぎなんじゃないのか? なら――
「買ってもいいけど、一万円かな」
あくまでもいつもの自分を装う。これで……いいはずだ。
「なんで一万円なの?」
「一昨日、小春を買ったばかりなんだ。性欲の発散にそれほど困ってない」
「小春ちゃん? 鹿島先輩じゃなくて?」
「先輩は売ってくれなくてね。ムラついたから小春を呼んだ」
「うわ……最低な理由」
「聞かれたから正直に答えたんだよ。真琴とは遊んでいて楽しい。でも、身体の値段は別。前にも似たようなこと言ったろ?」
真琴は不満そうに唇を尖らせ、俺の指をもう一度撫でる。
「でも最近、抱かれはしてないよね?」
「……そうだな」
「それなら値段、上がる?」
「二万円出せるよ。体力を使うと思うけど大丈夫か?」
「いけるっしょ。私も英子を抱きたいからオールオッケー!」
「なんか変だが、まあいいか」
前回も俺が崩れるところを見るのが面白かったと言っていた。今回もその続きがしたいらしい。
金欠という理由で話が進むなら、それ以上の意味まで考えなくて済む。
「じゃあ二万円で成立ね」
「最初からそのつもりだったんじゃないか?」
「さあね」
真琴は答えず、俺の手を取って席を立った。
会計を済ませて店を出る。マンションへ向かう間も真琴は俺の腕へ絡みついたままだ。
「まだ埋め合わせは続いてるのか?」
「今日が終わるまではね」
「都合のいい埋め合わせだな」
「英子も嫌がってないじゃん」
「まあな」
真琴の言う今日には夜まで含まれているらしい。それにまあ、腕を外すのもいまさらか。
部屋へ着くと、財布から二万円を取り出す。
「先に渡しておくよ」
「ありがと」
真琴は二枚の紙幣を確かめ財布へしまった。ここまでは前回と同じだ。
違ったのは、その直後――顔を上げた真琴が俺の頬へ手を添え、そのまま唇を重ねてくる。
不意を突かれたが、押し返すほどじゃない。俺も腰へ手を回して受け止めると、真琴はしばらく離れようとしなかった。
やがて唇が離れ、近すぎる場所で真琴が笑う。
「――英子、普通に受け入れるんだ」
「キスは嫌いじゃないからな。でも、どうして急に?」
「前にやった時って、キスしなかったよね。どうして?」
質問へ答える代わりに質問を返される。ここは正直に答えてやるか。
「身体を買っただけで恋人ってわけじゃないだろ。キスに別の意味を持たせる子もいるだろうし、だから私からはしないんだ」
「なるほどね。でも、それってどこ情報?」
「たしか、風俗嬢を買いまくる男を主人公にした小説だったかな。エッセイに近くて、風俗レポっぽい話が多くて面白かったぞ」
「うわっ! そういうのも読むわけ?」
真琴が露骨に引いた顔をする。
女に体を売る女の癖して、俺の読む本に引くとはずいぶんと自分勝手な奴だ。
「面白ければ何でも読むさ。それで、なんでキスしたのかまだ聞いてないよ?」
「……友達同士でキスは嫌?」
さっきまでの勢いが少しだけ消える。俺の首へ腕を回したまま、返事を待っていた。
受け入れられるか気にしているのは見れば分かる。真琴にとってどうしてキスがそこまで大事なのかは、まだ分からないが――
「嫌じゃないさ。いきなりで驚いただけ」
「……英子でも驚くんだね」
「私を何だと思っているんだ。まあ、女の子同士ってふざけてキスするらしいからな。動画とか回ってきて見たことあるよ。つまりそれだろ? 友キスってやつ」
「あー……私も見たことあるけど、実際どうなんだろうね? 私の周りではそんなことしてる子はいないよ」
「じゃあ、今したキスは何なんだよ?」
「……友キス?」
「おい。何だそりゃ?」
言い出した俺が突っ込むのもおかしいが、真琴まで疑問形では説明になっていない。
真琴は少し迷うように視線を伏せる。それでも、俺の首から腕を解こうとはしなかった。
「親友とキスしたいと思っちゃ駄目? 私は英子となら、したいと思っただけ」
その言い方には妙な含みがある。ただ、真琴が俺を特別扱いしているのは知っているし、俺にとっても特別な相手なのは確かだ。
気にならないと言えば嘘になる。けど、本人が親友の範囲だと言うのなら、それ以上の意味を俺から求める必要はない。
「真琴が気にしないならいいよ。金を払った相手には自分からしないつもりだったけど、親友としてしたいなら別だ。キスそのものは好きだしね」
「そう?」
真琴の表情が見るからに明るくなるあたり、分かりやすい奴だ。
「なら今日は楽しもうよ。英子がお金を払うんだから、好きなキスも私で楽しめばいいじゃん」
「買われる女がそれを言うのか? まあ、そこまで言うなら楽しませてもらうよ」
真琴の腰を引き寄せ、今度はこちらから唇を重ねる。
ついばむようにキスをしながら、ゆっくりと寝室へ向かう。
俺が真琴を買ったというのに、途中で位置が入れ替わり背中からベッドへ倒される。そして、すぐに覆い被さってきた。
「今日は私が英子を買ったみたいだね」
「金を受け取った側が言う台詞じゃないだろ」
「細かいことはいいじゃん」
反論する前に、もう一度唇を塞がれた――
◇
目を覚ますと、真琴は隣で俺の顔を眺めていた。
「英子って、やっぱり可愛いよね」
「どこが?」
「普段は男みたいなことばっかり言うくせに、弱いところを突いてやれば誰よりも女の子になるところ」
「……言い方がエロ親父っぽくないか? 言いたいことは分かるけど」
「ひど! あれだけ可愛がってあげたのに!」
「そりゃ気持ちよかったけどさ。朝から言われるとなんか腹が立つな」
「昨日はあんなに素直だったのにね」
「うるさい!」
真琴は楽しそうに笑い俺の肩へ頬を寄せる。
ゆったりした時間が過ぎていく――だけど、今日は用事があるんだ。
「ほら、そろそろ起きろ。私は昼から出かけるぞ」
予定にない一夜だった。鹿島先輩の家へ行く準備も、まだ何ひとつできていない。
「また鹿島先輩?」
「新居で困ってることがあるらしい」
「買うの止めたって言ってなかった?」
「ああ、買うのは終わった。先輩がもう売りたくないと言ったからな。でも、家へ行くのは別だよ」
「ふーん……身体の関係なしでも会うんだ」
「部活の先輩だし、颯太くんたちとも知り合いだ。困っているなら行くさ」
「そっか」
真琴はそれ以上鹿島先輩について聞いてこない。体を起こして一緒にシャワーを浴び、それから朝食の準備をする。
簡単な朝食をテーブルへ並べる。真琴はトーストを一口齧った後に、別の話でもするような軽さで切り出した。
「これからは好きに英子とキスしていい?」
「どうしてそうなる」
「鹿島先輩とは買わなくなっても付き合いが続くんでしょ? なら私だってキスくらいさせてよ。キスと抱くのは別ってニュアンスだったし」
「……理屈としては間違ってはいないけどな」
「あとで気が変わったって言われるの嫌だから、確認してるだけ」
「……そうだな。嫌な時は口にだす。好きにしろ」
「おっけー。じゃあ決まりね」
何度か考え直すけど、理屈の上では間違っていないはずだ……多分。
「あと、帰るまでは私の時間ね」
「昨日で埋め合わせは終わったんじゃないのか?」
「まだ一緒にいるんだから少しくらいいいじゃん」
「都合のいい延長だな」
真琴は得意そうに笑い、残りのトーストへ手を伸ばす。
食事を共にしながら、やはりこの意味を考えてしまう。この例外は……これから何を生むんだ?




