2話:裏表のない商談
気がついたとき、俺は見知らぬ家の娘になっていた。
調べた末に分かったのは、時間を遡り別人として生まれ変わったらしいということだ。
自分の人生を最初からやり直せるわけではない。時間軸に十年以上のずれがある。それでも、未来を知っているというだけで常人とは比べものにならないアドバンテージになる。
最初に両親を説得したときは苦労した。子供の思いつきで片づけようとする二人へ知っている限りの材料を並べ、外れたら二度と口を出さないとまで強弁した結果、投資へ回した金は増えた。
それを次の機会へ注ぎ込み、さらに増やす。途中から両親も俺を子供扱いしなくなり、今では最終判断を仰いでくる。すでに柚木家の金融資産は百億円を超えている。
俺は親元を離れて暮らしているが、実家には妹が一人いる。それもあってか、豪邸や高級車を並べる典型的な成金にはならず、見かけだけなら普通の家庭を選んでいる。所詮は俺が知っていた未来から生まれたあぶく銭だ。たとえ百億円に膨らもうと、本当の才覚から出たものとは言い難い。
しかも、借り物の答えが通用するのは来年まで。
だからといって、今さら過度に慎ましく暮らす理由もない。新しい人生を楽しむために選んだ高校へ通い、今はマンションで一人暮らしだ。
一人で気楽に暮らしたいというのも、実家を出た理由の一つだ。もっとも、一番は同世代の女を部屋へ連れ込むためである。
ほいほい女が釣れるとは考えていない。それでもチャンスはあると思っていたし、実際に話がまとまれば、一人暮らしの部屋は大いに役立つ。
ただし恋愛は面倒くさい。好意を確かめ、機嫌を読み、記念日を覚えた挙げ句、別れ方を間違えれば恨まれる。その点、身体目当てだから金を払うと最初から明かしておけば話は早い。すでに実験は一年の時に済ませており、今は好きに実践するだけ。
鹿島先輩には金が必要で、俺には金と場所がある。実に都合がいい。あとは条件が折り合うかどうか――
◇
「この前の話、本気だったの?」
まだ残暑の厳しい休日のカフェだというのに、午後になる前から客が多い。
窓際の二人席で、鹿島先輩は運ばれてきたカフェラテに手をつけないまま俺を見ていた。私服姿で向き合うと部室にいるときとは雰囲気が違い、なかなか新鮮である。
「もちろん本気ですよ。その確認のために、今日は時間を取ってもらったんです」
「……冗談だと思ってた」
「あの場で笑ってくれたなら、冗談にしてもよかったんですけどね」
実際には笑わず、意味を確かめるように俺の顔を見たあと返事を保留している。完全に脈がない反応ではないから、人目のある場所で話の続きをすることにした。
逃げ道を用意したのは親切心ではなく、警戒されると交渉が進まないからだ。我ながら、いい性格をしている。
鹿島先輩は紙ナプキンの端を指で撫で、声を潜めた。
「どういうこと? 柚木ちゃん、そっちの気があるの?」
「ええ、そうです。それに楽しむなら、そのほうが安心できるでしょう?」
「安心?」
「お腹が膨らむ心配がないって意味ですよ」
一瞬の間を置いて、鹿島先輩の目が大きく開く。俺が何をするつもりなのか、ようやく具体的に想像したらしい。
「意味は理解できるけど……そこまで言う?」
「曖昧なまま進めるよりいいでしょう。互いに条件を理解して、合意したうえで楽しむ。それだけの話です」
俺には妊娠させる心配がなく、力でどうにかしたいわけでもない。金を媒介にすれば、女同士でも買う側と売る側に分かれられる。
鹿島先輩がカップへ手を伸ばす。しかし取っ手へ触れただけで持ち上げず、指先を引っ込めた。
「……私に声をかけた理由は?」
「まず第一に鹿島先輩が私の好みだから。そしてお金が必要ときている。だから買う提案をしているってわけです」
先輩の眉が寄る。
「そういう目で見てたんだ……それに買うって……そこまで露骨に……」
「ぼかす意味あります? これは単純明快な商談ですよ。鹿島先輩はバイトへ費やす時間と労働力を給料に変えている。そこに別の選択肢を提示しただけです」
どうして金が必要なのかは聞かない。借金、生活費、遊ぶ金、誰かのため。どれであろうと、先輩が話さない事情まで背負うつもりはない。
俺が欲しいのは事情ではなく、こちらの条件を呑むかどうかだ。
「でも、どうしてあなたはそんなお金を出せるの? 十万って……」
「私個人がお金持ちなので、自由にできる資金がそれなりにあるってことです。無論、汚い金じゃないですよ」
「いや、でも……それにしたって……」
「投資で増やした金です。私にとっての十万円と、鹿島先輩にとっての十万円は価値が違う。それだけですよ」
大人にとっての一万円と、子供にとっての一万円ほどの差だと思えばいい。いや、さらに差があるか?
まあ、だとしても垂れ流すように使うってわけじゃないけどな。
「それに、当然ずっと十万円というわけじゃありません。初回が十万円です」
「……初回?」
「買い続けたら、私が飽きるかもしれないでしょう?」
鹿島先輩の頬が引きつる。怒るかと思ったものの、先輩は一度唇を結び言葉を選ぶように息を吐いた。
「あはは……本当に商談ってわけ?」
「はい。まあ、最低三万円程度は払うつもりですけどね。鹿島先輩になら、それくらいは出せます」
「……言っていることは最低ね。女の子の台詞じゃない」
「ですね」
否定する材料がないので頷いた。
「ただの提案です。乗らないなら乗らないで構いませんよ」
「そんな簡単に……」
「簡単な話にしたいんです。鹿島先輩は無理なら断る。私は別の相手か、別の遊びを探す。それで終わりです」
先輩の顔を見て、少し言いすぎたかと思う。
とはいえ、優しい言葉で包んでも提案の中身が上等になるわけではない。俺は金で身体を買いたい。それ以外の意味を期待されるほうが面倒だ。
鹿島先輩はようやくカフェラテを持ち上げた。一口飲んでカップを戻しても、指は取っ手から離れない。
「……考える時間をくれない?」
「ええ、ご自由に」
どうやら断られるわけでもないようだ。むしろチャンスと言える。
胸の奥に浮いた喜びをコーヒーと一緒に飲み込む。
この期待が胸の内に広がる瞬間――ある意味、これが一番楽しいのかもしれない。だとすれば、我ながらドーパミン中毒みたいだが、人間なんてそんなものだろう。
「では、出ましょうか。誘ったのは私なので、ここは全部払いますね」
「待って。まだ飲み終わってない」
「では待ちます。こうして誘い出した手前、最後までエスコートしないといけませんからね」




