18話:毎食ステーキは食えない
文化の日が明けてからは、学校と部活だけで平穏な日が続いた。
鹿島先輩を買うのをやめた反動なのか、ある日の放課後、ゲームを始めても集中できない。少し前まで平日と休日に一度ずつ女を抱いていたのだから、予定だけ消えても身体の習慣までは簡単に抜けないらしい。
三連敗したところでコントローラーをテーブルへ置く。自分だけで済ませる手もあるが、今日はそういう気分ではなかった。
――暇なら私はいつでも歓迎です。
そう言い残した後輩がいたな。
あいつは何を考えているかいまいちわからないけど……この性欲を鎮める相手と考えれば最適でもある。なら、今夜は小春でいいだろう。
スマートフォンを手に取り、短いメッセージを送る。
『今から来られるか? 飯は奢ってやる』
既読はすぐについた。
『それって、普通に遊ぶだけですか?』
『二万円で買う。飯は別だ』
送信した途端、今度は通話がかかってくる。
「もしもし?」
『本当に、二万円ですか? 五千円だったのに?』
「需要と供給の問題だ。それにお前が暇ならいつでも歓迎だと言ったんだろ」
『……覚えていてくれたんですね』
「それで、来るのか?」
『行きます。絶対に行きます。いったん家へ帰ってから準備して……少し時間がかかりますけど』
「明日も学校だぞ。遅くなっても平気か?」
『また泊まりでいいじゃないですか。問題ありません』
「そうか。なら待ってる」
通話を切る。これで性欲発散については片づいた。
一時間ほどして現れた小春は私服へ着替え、普段より大きな鞄を肩へ掛けていた。
「準備は完璧です! 何をしようとも英子先輩を満足させられます!」
「それはありがたいことだね。荷物を置いたら飯に行くぞ。近くのステーキ屋でいいか?」
ステーキと聞いて、小春の目が分かりやすく輝く。
「いいんですか?」
「呼び出したのは私だからな。小春は肉を食わせておけば機嫌がいいだろ」
「否定はしないですけど……私ってそんな単純に思われてます?」
「全然。最近は私を困らせてくるだろ。どこが単純なんだ」
「……自覚はありますけどね」
「確信犯ってのは分かってるよ。まあ、それは今はいい。ステーキが嫌なら別の店でもいいぞ」
「ステーキがいいです!」
「正直でよろしい」
鞄だけ部屋へ置かせ、二人でマンションを出る。店は歩いて数分の場所にあり、夕食時でも待たずに席へ通された。
俺が普段から使っている少し値の張る店だ。落ち着いた内装で二人連れの客も多く、ふらりと飯を食うよりデートで選ばれそうな雰囲気ではある。
俺はいつものメニューに即決したが、小春は料理と肉の量をなかなか決められずメニューを眺め続けている。
「好きなものを頼んでいいけど腹八分目にしておけよ。このあと運動するんだから」
「運動って……その通りではありますけどね」
「食いすぎて動けないってなったら家に帰す。あとは今後の付き合いにペナルティだ」
「むぅ……分かりました。少なめにします」
忠告を受け、小春は一番大きなステーキを諦めた。それでも十分に量のあるセットを選び、運ばれてきたステーキに満足そうにナイフを入れる。
「この前よりデートみたいですよね」
「実際そうなんじゃないか? 私はやる気満々だから、結構気合入っているよ」
「そうですけど……雰囲気を壊すようなこと言わないでくださいよ!」
そう返しながらも小春は肉を口へ運ぶ。なんだかんだ言いながら二万円を提示した時より今のほうがよほど機嫌がいい。
水を差す理由もないな。俺も自分の皿に集中しよう。
食事を終えてマンションへ戻り、約束の二万円を渡す。小春は紙幣を確かめて財布へしまうと、何でもないことのように尋ねてきた。
「鹿島先輩を買うの、やめたんですか?」
「ノーコメント。勝手に想像してくれ」
「なら勝手に想像します。頻度が減ったからムラついて、手軽に呼べる私を選んだんですよね?」
「否定はしない」
「ほんっとうに、英子先輩はクズですね」
口では呆れているのに、小春は嬉しそうに笑っている。
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「そういう英子先輩も好きですから。代わりでも、呼んでくれたのは私でしょう?」
そこを喜ばれると、こちらが口を挟む余地もない。
「お前、変な奴って言われないか? 駄目な男に尽くして破滅するタイプに思えてきた。将来が心配だよ」
「先輩はクズですけど、駄目な女ではないですよね。なら、破滅はしないかと」
「妙なところで私を信用してるんだな」
「どれだけ一緒にいたと思ってるんです?」
小春は俺の隣へ腰を下ろし、膝が触れるところまで寄ってきた。
「そろそろ本題に移ってもいいんじゃないですか?」
さらに体を俺に預け、甘えるような仕草をしてくる。
「今日は……夏休みの頃みたいにしてください」
「明日は平日だ。泊まるの前提だけど、それはどうなんだ?」
「英子先輩も気合が入っているって言ったじゃないですか。私はその想いを受け止める覚悟なんですけど?」
「……夏と同じつもりで相手をすると、明日の朝に後悔するぞ」
「構いません。英子先輩も、そのつもりで呼んだんでしょう?」
上目づかいで挑発的な視線を向けてくる。俺を誘導しているつもりかもしれないが、こちらも乗り気なのだから今さら退く理由はない。
「……そうだな。久しぶりに本気で楽しむか」
「はい……」
小春は嬉しそうに頷いた。
こういう笑顔を見せるからこいつは可愛い後輩であり続ける。切るに切れない関係をあえて作り出しているとすれば、策士としては相当なものだ。
「じゃあ、シャワー行こうか」
まあいい。買うと決めた以上、遠慮する理由はなく下手に色々と考えることもない。
小春もそれを望んでいるのだから、今夜は最初から最後まで楽しませてもらおう。
◇
目覚ましが鳴るより先に、腕の中の小春が身じろぎした。
カーテンの隙間はまだ薄暗い。身体へ絡みつくように眠っていた小春は、俺が目を開けたことに気づくと胸元へ顔を押しつけてくる。
「おはようございます」
「おはよう。ほら、起きるぞ。学校だろ」
身体は少し重いがぐっすりと眠れた。
久々に本気で腰を使ったからな。いや、全身もか? 有酸素運動をしてから、ゆったりと余韻まで楽しんだしな。
「起きますよ。その前に、聞いてもいいですか?」
こちらを見上げる小春に頷いてみせる。
「楽しかったですか?」
「ああ。期待した以上には楽しめたよ」
「なら、また呼んでくれます?」
「気が向いたらな」
小春は返事の代わりに腕へ力を込めたものの、やがて身体を起こした。ベッド脇のスマートフォンへ手を伸ばしながら、こちらを窺う。
「日曜日は空いてますか?」
すかさずデートのお誘いってか? 今の俺なら小春の思うように動くかもしれない。
でも、予定があるからな。
「昼は鹿島先輩の家に行くよ。新居で困ってることがあるらしいし、颯太くんに今度は別の料理も教える」
「夜は?」
「中島知ってるよな? あいつが旨そうな焼肉店を見つけたから一緒に行くんだ。値段も手頃で、肉の仕入れにこだわってるらしい。今から楽しみだよ」
「なら、土曜日は?」
「真琴と刀剣展と水族館へ行く」
「……一日中ですか?」
「たぶんな。朝から空けておくって約束したから」
小春の指がスマートフォンの側面で止まる。さっきまで俺へ預けていた身体も、いつの間にか離れていた。
「残念です。来週――と言いたいところですが、用があるから私が無理です」
「日が悪い時もあるさ。それにまたやりたくなったら連絡するよ。需要と供給に変化が起きたって言ったろ」
「……飽きた女でも?」
「毎食ステーキを食いたいと思うか? 私にとってのステーキが小春だったと思え」
「悲しむべきか、喜ぶべきか分からない表現ですね……でも」
小春は困り笑いしながら、それでも最後に笑って見せる。
「今は、それでいいです」




