15話:先輩が嫌がることはしません
『試験が終わったら、今度は普通に遊びたいです』
中間試験の前から、小春にはそう誘われていた。買ってほしいとは一言もない。
普通に――とわざわざ念を押すあたり、前回のやり取りを何度も続ける気はないようだ。遊ぶだけなら断る理由はない。
『いいよ。試験が終わったらな』
『約束ですよ』
試験明けの放課後、校門近くで待っていた小春は俺を見つけるなり片手を上げた。
「待たせたな。一応確認するが、遊ぶだけでいいのか?」
「信用してくださいよ! 私も前回のアレは少し反省しているんですから」
「もうするなよな。自分を人質にすれば何でも私が言うことを聞くと思われたら、たまったもんじゃない」
「やり過ぎたら英子先輩は本当に切ってくるでしょ? それは怖いのでもうしません」
俺の性格を理解しているようで実に結構。素直になってくれれば可愛い後輩なんだけどな。
「それで、どこに行くんだ?」
「まずは書店ですね。付いてきてください」
小春に連れられたのは、同人誌やグッズまで置いてあるその手の人間御用達の店だった。
前世では高校や大学の頃によく使ったものの、社会人になってからは縁がない。部屋に物を置くのが嫌で、書籍はもっぱらデジタルへ移行したからな。
少しの懐かしさを覚えながら、新刊の棚から文庫、漫画、同人誌の委託コーナーまで順番に回る。小春は気になる本を見つけるたび足を止め、表紙と裏表紙を見比べてはかごへ入れていった。
会計へ持っていった本は十冊を超えている。高校生の財力を考えれば結構な量だ。
「ずいぶんと買うじゃないか。金の出所は?」
「この前の一万円ですよ」
「金欠の割には一気に使うんだな。やっぱり嘘だろ、金がないってのは」
「はい、嘘です」
「お前な……」
「お叱りは帰る時にお願いします。せっかくの遊びが台無しですからね」
自分勝手な理屈だが……まあいいか。会計を済ませた小春と一緒に書店を出る。
そのあとは雑貨屋を覗き、駅前のゲームセンターで少し遊んだ。
今この瞬間だけを切り取れば、小春は夏休みの頃と変わらない。よく笑い、純粋に俺との外出を楽しんでいるように見える。
難点があるとすれば、自分の見たい場所へ俺を遠慮なく連れ回すことだろう。興味がないと言ってもお構いなし。でもまあ、その程度の我が儘なら可愛い後輩の範囲だ。
日が沈むまで連れ回されれば、さすがに腹も減る。どこかで食おうと声をかけると、小春がスマートフォンを差し出してきた。
「ここに行きましょう。あと今日は私が払います」
画面に表示された洋食屋は、写真を見るだけでも腹が鳴りそうな料理を並べている。
しかし、小春のおごりときたか。
「珍しいな。いつもなら黙って私に金を出させるのに」
「その言い草はひどくないですか? 先輩が勝手にお金を出すから、ご馳走になっているだけです」
「金のある私が高校生に払わせる理由がないだろ。金額を気にして飯屋に入るのも嫌だからな」
「そういうところが……いえ、なんでもないです。とにかく今日は私がおごります」
何を言いかけたのかは気になるが、詮索してもしょうがない。それにおごってくれるなら甘えよう。誰かに金を出してもらうのも久々で、少し新鮮だしな。
洋食屋までは歩いて五分ほど。平日だからか客入りにも余裕があり、すぐに席へ案内された。
料理を待つ間は試験の話になる。小春は英語で時間配分を誤ったらしいが、ほかは悪くないという。
俺の手応えも悪くない。高校の問題ともなれば本気で取り組まなければ点は取れない。一応は進学する予定なので、無様な成績を晒さない程度には真面目にやっている。
雑談をしながら食事を終え、店を出た頃には八時を回っていた。小春は駅へ、俺はマンションへ向かうので、ここで別れるはずなのだが――
「このあと、どうします?」
「帰るよ」
「先輩の家には行かないんですか?」
「今日はそのつもりないな」
小春の足が止まる。数歩先で振り返ると、探るような視線が返ってきた。
「夜も……私と遊びませんか?」
「それなら最初から普通に遊ぶだけなんて言うなよ」
「普通に遊んだあと――気が変わるかもしれないじゃないですか」
「変わらなかったな。今はそんな気分じゃない」
「どうしてですか? この前はちゃんと満足させてあげられたと思うんですけど」
「満足はしたよ。だから追加も払っただろ」
「なら今日もいいじゃないですか」
「今は性欲処理に困ってない。小春を買いたい気分じゃないんだよ」
前回は、ほかへ売ると言い出した小春を放っておけなかった。だが今日一日を見た限り、あの時の心配はもう要らない。なら、俺が金を出す理由もない。
それに一昨日、鹿島先輩を買っている。小春を遠ざけるための言い訳ではなく、本当に性欲が溜まっていないのだ。
――そういえば、お叱りは帰る時という話だった。なら今がその時だろう。
「小春。金はあるのにないと言ったり、ほかの人に売ると言って私を誘導した件についてはまだだったな。釈明があるならここでしろ」
小春はばつが悪そうな顔をしつつ、困ったように笑った。
「先輩と寝たかったから。それだけですよ」
「それは性欲か? それとも今以上の関係を望んだからか?」
「……どうでしょう。私も自分の気持ちが分からないんですよ。でも……先輩と寝たいと思っているのは本当です。先輩から呼ばれなくなってから、今までずっとそう思ってます」
小春は足元へ視線を落とした。どこまでが本音で、どこから俺を動かすための芝居なのか。今の俺には判別がつかない。
だからといって、出す結論は変わらない。
「言葉をいくら重ねても無意味だ。結局は私が買うかどうかって話になるんだからな」
「厳しいですね……あわよくば今日もと思ったんですけど……ほかで十分遊んでいるようですからね?」
「不満げだな。私が誰と遊ぼうと小春には無関係だろ」
「はい。私には先輩を束縛する権利はないですから。ただ……それでも気になることはあります。例えばですね――霧島先輩とも寝ているんじゃないですか?」
思わぬ名前にぎょっとする。鹿島先輩なら分かる。でも、なんでここで真琴が出てくるんだ?
「……なんでそう思うんだよ」
「英子先輩と霧島先輩って、学校じゃいつも一緒にいるでしょ。でも最近、なんか前と違うなって思って」
「なんかってなんだよ」
「さあ? 私がそう感じるだけですね」
小春はそれ以上の説明を避けた。こいつはいったい何を見て、何を感じているんだ?
「真琴は友人だからな。他の人間よりも深い関係ってだけだよ」
「仲がいいのは良い事です。でも、それって否定しているわけじゃないですよね?」
「……何が言いたい」
「それは先輩が一番理解しているのでは? でも残念。今日は諦めるしかないですね」
小春は笑って駅へ向かう。しかし数歩進んだところで、こちらを振り返った。
「先輩って、暇つぶしに女を抱きますよね?」
「そうだが? 今さら説教でもするつもりか?」
「いいえ。暇なら私はいつでも歓迎です。それだけは覚えておいてください」
「覚えておくよ。ただし、呼ばれないからって面倒を起こすなよ」
「はい。先輩が嫌がることはしません」
素直な返事を残し、小春は駅の雑踏へ消えていく。
その背中が見えなくなっても、胸の奥に残った妙な引っかかりだけは消えてくれそうになかった。




