13話:女断ちに抱き枕は含まれない
鹿島先輩を買った日を区切りに、いったん女断ちを決めた。試験は来週から始まる。ここからは気分を切り替えて勉強に励むとしよう。
今後の人生を考えれば意味の薄い試験勉強だけど、これも学生としてのイベントだ。二周目だからこそ前とは違う楽しみ方もできる。
以前から約束していた真琴との泊まり込み勉強会――今日で三日目だ。
遠慮のない真琴は俺の部屋へ当たり前のように私物を増やしていた。
洗面所には見覚えのない歯ブラシ。ソファの脇には着替えの入ったトートバッグが二つ。冷蔵庫を開ければ俺なら選ばない甘ったるいカフェオレまで並んでいる。
「念のため聞くけど、本当に試験が終わるまで泊まるんだな?」
「三日目になって確認する?」
ダイニングテーブルを占領した真琴は数学の問題集から顔も上げない。最初からそういう予定だったとはいえ、ここまで堂々と生活圏を広げられると確認くらいしたくなる。
「一応だよ。親御さんにも話してあるんだよな?」
「英子の家で勉強するって言ったら、頑張ってねーだって。毎日泊まるのも許可済み」
「試験前は毎回だからな。菓子折りまで持たせるあたり、親御さんも気合が入ってる」
「一年の頃から何度も来てるしね。英子と勉強すると成績も上がるんだから、頼らない手はないっしょ」
塾を開いたつもりはないが、実態は似たようなものか。まあ、真琴なら別にいい。
試験が終わるまでは毎日ここへ帰り、飯を食い、分からない問題を教えて、翌朝は一緒に学校へ向かう。二晩続けて同じベッドで寝ても、妙な空気にはならなかった。
身体を重ねたあとでも元の関係へ戻れるんだから、真琴の言い分は正しかったことになる。親友とやったらどうなるのかが一番の関心事だった俺としては、かなり好ましい結果だ。
となれば、ムラついた時にまた真琴を買うのもありか?
そんな考えも浮かぶが今は勉強が先だ。真琴には分からない箇所を放置し、公式の丸暗記で乗り切ろうとする悪癖がある。数学Ⅱの三角関数を前にして今日も同じ過ちを繰り返していた。
「そこ、公式だけで解こうとするな。単位円を描け」
「試験中に絵を描くの?」
「そのほうが早いし、符号の確認もできる。例えばここ。角度が第二象限に入ったら横と縦の座標はどうなる?」
問題集を引き寄せ余白へ円と線を描く。頬杖をついた真琴は面倒そうにペン先を追っていたが、正弦と余弦を座標へ重ねてやると姿勢を起こした。
「ああ。だからこっちだけマイナスなんだ」
「やっと式と図がつながったな。次も同じように解け」
「英子先生、厳しくない?」
「菓子折りまで頂いているんだ。できる限りはする。それが誠意だろ?」
「英子はお堅いなぁ……」
口を尖らせても手は止まらない。こいつは勉強が嫌いなだけで、頭が悪いわけじゃない。筋道さえ掴めば理解は早い。
その熱意を最初から授業へ向けてくれれば俺の手間も減るんだけどな。
問題を解かせ、間違えた箇所を一つずつ潰していく。九十分に設定したタイマーが鳴る頃には、少なくとも凡ミスは目に見えて減っていた。
「数学は合格圏内だな。十分間休んだら次は英語」
「やっぱり九十分は長いって。高校の授業より長いから集中が続かないよ!」
「大学じゃ一コマ九十分なんて珍しくない。進学するつもりなら練習だと思え」
「まだ二年なんだけど?」
「なら今から慣れられてお得だな」
「横暴だー!」
真琴は椅子から逃げるように立ち上がり、勝手知ったる様子で冷蔵庫へ向かう。自分のカフェオレと俺の炭酸水を取り出すと、一本をこちらへ寄越した。
ソファへ並んで座り、雑談しながら頭を休ませていると、真琴が鹿島先輩の話を持ち出してくる。
「そういえば、鹿島先輩の物件探しは続けるんだよね?」
予定がかち合うこともあるため、真琴には話せる範囲で事情を伝えてある。身体を買うのは休止しても、物件探しまで放り出すつもりはないこともその一つだ。
「平日に資料をまとめて、メールでやり取りする程度だけどな。先輩にも試験勉強を優先するよう言ってある」
「ふうん」
真琴が肩へ頭を乗せ、こちらへ体重を預けてくる。口元が緩んでいるあたり、物件探しより今週は鹿島先輩を買わないことのほうが重要らしい。
「じゃあ試験が終わるまで、英子は私が独占だ」
「勉強を見てもらう奴が言うことか? 自由時間じゃなくて、勉強に拘束されてるんだぞ」
「だとしても事実でしょ?」
「そうだけどな……でも、勉強が第一で遊ぶための時間じゃない」
「テストでいい点を取ればいいんでしょ!」
真琴が嬉しそうに抱きついてくる。これだけ機嫌がよければ残りの勉強も進むと思いたい。
休憩を十分きっかりで切り上げる。英語の教科書を開くと、真琴は面倒そうな顔をしながらも席へ戻った。
◇
夕食は学校帰りに真琴とスーパーへ寄って買った合い挽き肉と豆でチリコンカンを作る。
トマト缶は常備してあるし、玉ねぎと香辛料も足りている。肉を多めにして辛さはほどほど。勉強で疲れた頭へ活を入れるにはちょうどいい。
真琴も葉物をちぎってサラダを用意したが、それだけで料理を手伝った顔をしていた。まあ、何もせず待たれるよりはましか。
「これ、店で食べるにはちょっと負けるけど、家で出てくるなら十分すぎない?」
「褒め方が妙に現実的だな」
「褒めてるって。泊まるたびに思うけど、英子と結婚した人は毎日こんなの食べられるんだから幸せだね」
「手抜き料理だってするぞ。でも自分で食べる以上、最低限の味にはしたい」
「十分じゃね? 大学を卒業したら英子と結婚して、ご飯作ってもらおうかな」
「勝手に結婚の予定を組むな」
真琴は笑いながらチリコンカンを口へ運ぶ。これだけ美味しそうに食べてもらえるなら作った甲斐もあるというものだ。
夕食後に勉強のラストスパートをかけると、時計は十時を回っていた。俺が先に風呂を使い、次に入った真琴も持参したTシャツと短パンへ着替えて戻ってくる。
「じゃあ寝よっか。勉強ばっかりですっごく眠い」
「早寝早起きは健康の元だ。寝るなら今くらいがちょうどいい。でもなぁ……今日はソファで寝てくれないか?」
「なんで?」
「ベッドを広く使いたい」
一人で寝たい。というより、隣に女がいると無駄に意識してしまう――それが真琴でもだ。
昨日と一昨日はなんとかなったけど、今日は妙にムラついている。性欲なんて前世でも突然湧いてくるものだったし、最近は女を抱くことが続いていたせいか、すっかり悪い習慣がついているらしい。
「何それ? 初日と二日目は一緒に寝てたじゃん」
「事情が変わった。真琴が隣にいたら眠れないかもしれない……というか、手を出したくなる」
「えっちな気分になるってこと?」
「そうだ」
真琴相手に気取る必要もない。ここまで正直に言えば引くと思ったけど――
「でも、何もしなくても泊めるのは私だけなんでしょ?」
「ああ。でもそれがどうした?」
「私も売らないと駄目になったってこと?」
ずいぶん話が飛んだな。そう思ったものの、真琴がどこか悲しそうな顔をしているのは確かだ。
「違うって。横に人がいること自体が気になるんだよ」
「ふーん……つまり、手を出してしまうかもって思うから、一緒に寝れないってわけね」
「真琴だってそれは嫌だろ? それでも一緒に寝たいなら、何をされても文句を言わない抱き枕になってもらうぞ。それでいいのか?」
「……別にいいけど?」
軽く答えたくせに、真琴の視線に落ち着きがない。
それでも本人がいいと言うなら遠慮する理由はない。すでに一度寝た仲だし、最後までやりたいほどムラついているわけじゃないしな。
その夜、俺は宣言どおり真琴を抱き枕として堪能した。
性欲を発散し切りたいわけじゃない。ただ、女の身体へ触れて満足したい夜もある。完全にオヤジの嗜好だが、実際に中身はオヤジなんだから仕方ない。
女断ちは続行中。抱き枕くらいは勘定に入らない――そういうことにしておこう。
そして翌朝――
「……英子のすけべ」
ベッドの上でスマートフォンのタイマーを止め、隣へ目を向ける。目を覚ました真琴の第一声がそれだった。
「抱き枕になるのを承知したのは真琴だろ」
「限度ってものがあるじゃん……」
「……すまん。でも楽しかった」
真琴は呆れた顔でこちらを睨む。そのくせ、俺の腕を払いのける気はないのだから、俺たちの関係をまた一段おかしな方向へ進めてしまったのかもしれない。
……性欲に忠実に生きるのも、ほどほどにしないとな。




