11話:五千円でもいいです
「英子先輩、お話があります!」
火曜日の放課後。校門を出て一人で歩いていると、小春が長い黒髪を揺らして追いついてきた。
わざわざ息を切らしている時点で、ろくでもない用件なのは何となく察せられる。
「ここで聞くよ」
「その……先輩のお家に行ってもいいですか?」
小春は通り過ぎる生徒を気にしている。人に聞かれたくない話らしい。
「いいよ」
十日前、普通に遊びたいという頼みには応じた。今回もそれだけなら断る理由はないが……いや、そうもいかないか、これは?
疑念を抱えたままの帰り道、小春は本題を口にしなかった。俺の隣を歩きながら何度もこちらを窺うくせに、目が合うたび前を向く。相談を持ち込んだ側がこれでは、嫌な予感だけが育っていく。
部屋へ着くと、小春は迷わずリビングへ入りソファへ腰を下ろした。勝手知ったると言えばその通りだが、今日はわずかに距離を感じる。膝の上では両手を固く握りしめていた。
何かを決意するように息を吸ってから、ようやく話し始める。
「――また、私を買ってください」
「いや、今はいらない。この前遊んだ時にも分かっただろ?」
「あれは遊びです」
小春は俺の目をまっすぐ見返してくる。
「……お金がないんです。だから、売りたいんです」
「マジかよ……一学期に払った金はどうした? もう使ったのか!?」
正確な総額は数えていないが、そう簡単に使い切れる額ではない。こいつは一体何を言い出すつもりなんだ?
「全部じゃありません。でも欲しい本もあるし、冬のイベントにも行きたいし……」
金があるのに金がないとは……事業でもやっているならともかく、学生が口に出す言い訳としては支離滅裂だ。
「だったら残っている金で我慢しろ。買うとしても今の小春なら――せいぜい五千円だぞ。そんなの雀の涙だろ」
言い切ると小春の唇がわずかに歪んだ。俺の言葉に傷ついたのは分かるが金が介在する以上は嘘をつけない。それが俺にとっての小春の価値だ。
だというのに、小春は視線だけは逸らさない。
「……五千円でもいいです」
覚悟しての言葉なのか、それとも諦念なのか、俺には分からない。しかし、看過できない言葉なのは確かだ。
「本気で金が欲しいなら真面目にバイトでもしろ。千夏さんはそんなんじゃなかったぞ」
千夏さんなら五千円まで値を落とされたら突っぱねているだろう。決して俺へ縋るような真似はしなかった。姉妹で違いがあることは知っているが、ここまで差があるとは流石に想定外だ。
「お姉ちゃんは関係ないじゃないですか!」
「比較くらいするよ。お前は金が欲しいと言いながら安く買われようとしている。女の子が自分を安売りするのはよくないぞ」
「はぁ? 何言ってるんですか……値段をつけたのは先輩ですよね?」
「私が買い叩くのと、お前が受け入れるのは別の話だ」
小春の眉が寄るが、その反応は正しいだろうさ。買い叩く側である俺が安売りするなと説教しているんだからな。
でもこれは本心だ。決して小春は安売りされるべき女じゃない。俺にとっての価値と市場価値は別物である――そう言いたかったわけだが、説明する前に小春から爆弾発言が飛び出した。
「分かりました。そこまで言うなら……ほかの人に売ります!」
「は?」
「英子先輩が買ってくれないなら、買ってくれる人を探します。それで先輩はいいんですか!」
開き直った小春が身を乗り出す。さっきまで握られていた両手はソファを叩いて、長い髪が宙に舞うように乱れている。
――脅しか? 本気で別の買い手を探すつもりなら、わざわざ俺の許可を求める言い方はしない。
しかしなぁ……脅しだと分かっていても実行されれば面倒だ。小春から俺に売り込んできたとはいえ、一般的だったはずの感性をぶっ壊した自覚はある。ほかの男へ売るくらいなら、俺が買ったほうがましなのか?
責任を感じて身体を買うという結論も大概だが、小春を放置して余計な問題が起きるよりはいいかもしれない。
「……分かったよ。まず五千円払う」
俺が折れるとは思っていなかったのか小春が目を丸くする。
「その上で私が満足できたら追加でもう五千円――これでどうだ? 一日で一万円稼げれば上等だろ」
「満足できたらって、何をもって決めるんですか?」
「さあ? それは実際にやってみないと分からない。でもな、飽きた相手へ最初から一万円出すほど金銭感覚は狂ってはいないよ」
自分でも最低な発言だと理解しながら言ってやると、小春は悔しそうに俺を睨む。ただ、それは一瞬――すぐに真剣な表情となる。
「――分かりました。絶対に追加で払わせますから」
「ずいぶん自信があるな」
「夏休みまで、何度一緒にいたと思ってるんですか」
金が必要だと訴えていた時より声に張りが戻っている。五千円を稼げることより、自分の価値を認めさせるほうが重要らしい。
俺のようなクズに何を期待しているかは知らないが、お互いに一度吐いた言葉は飲み込めない。財布から五千円札を抜き、テーブルへ置く。
「なら証明してみろ。金を受け取ったら開始だ」
小春はすぐさま紙幣を財布へしまうと、逃がさないとでもいうように俺の手首を掴んだ。
「シャワー行きましょう」
「買われる側が仕切るのかよ」
「英子先輩を満足させるかどうかのゲームでしょ? それならプレイヤーは私です」
ここまで言われて遠慮する必要もない。俺は小春の手を握り直し、一緒に浴室へ向かった。
◇
翌朝、目を覚ました俺の身体には小春が絡みついていた。
久しぶりの小春は思った以上に遊び甲斐がある。本人も追加料金を勝ち取る気で必死になり、結局は夕食を挟んでも終わらず寝るまで何度も続いた。
家には先輩の家へ泊まると伝えたようで、家族から疑いはないらしい。夏休みに何度も泊めているのだから当然かもしれないけどな。
それにしても……飽きたと思っていたのに、こうなると俺の見る目がなかったようで悔しくなってくる。ただまぁ、追加の五千円を払ったことに後悔はない。
「小春。朝だぞ」
「……もう少し」
片腕が胸元へ回り、足まで絡めてくる。夏休みに泊めた時より明らかにしつこい。また俺に求められたことで妙な自信でもついたのだろうか。
「今日は学校だろうが。起きるぞ」
「アラームは鳴ってません、間に合いますよ」
「知るか! 私にとっては起きる時間だ。それにシャワー浴びるんだから時間がかかるだろうが!」
布団ごと引き剥がすと、小春は不満そうに頬を膨らませる。とはいえ、その後は素直に言うことを聞き支度を済ませていく。
簡単な朝食を取ってから二人でマンションを出る。小春は眠そうにしながらも俺の隣を離れず、こちらの歩幅へ合わせてついてきた。
通学路の角を曲がったところで、前を歩いていた女子生徒がふと振り返りこちらに気づく。
「あっ、柚木ちゃん、おはよう」
「おはようございます、鹿島先輩」
先輩の視線が俺の隣にいる小春へ移った。
「その子は?」
「去年の部長だった初瀬千夏さんの妹ですよ。初瀬小春。うちの一年です」
「初瀬です。姉共々、英子先輩にはお世話になっています」
「初瀬前部長の妹さんね。私は鹿島莉理。よろしくね」
小春の意味深な挨拶は気に食わない。牽制するような響きがあるからだ。
でも、鹿島先輩は俺と初瀬姉妹の関係を知らない。実際に小春の言い回しに引っかかった様子はなく、自分も名乗って穏やかに微笑んだ。
昇降口へ着く前に鹿島先輩とは進む方向が分かれ、互いに手を振って別れる。その背中が遠ざかるなり小春の口元から笑みが消えた。
「ふーん……あの人って、先輩のお気に入りなんじゃないですか?」
「そうだが。よく分かったな」
「見れば分かりますよーだ!」
小春は急に足を速め、俺を置いて校舎へ入ってしまう。
嫉妬でも演じて、いまさら恋愛ごっこでもするつもりか? 小春が金銭以外の何かを俺に求め始めていることくらいは分かるさ。
――だからといって、今のスタンスを改めるつもりはないけどな。




