初めての街頭演説
数日後。
シュタール労働者党として初めての街頭演説の日がやってきた。
場所は首都の市場近く。
朝から多くの人が行き交っている。
私は小さな演台へ立った。
ラインとヴィルが周囲を警戒し、ヘルムは少し離れた場所で腕を組んで見守っている。
ウス・ライも手帳を片手に取材へ来ていた。
ヘルムが笑う。
「さて、何人集まるかな」
私は深呼吸し、一歩前へ出た。
「皆さん、おはようございます」
しかし誰も立ち止まらない。
商人は荷物を運び。主婦は買い物を続け。
職人は仕事場へ向かう。
政治の演説など、誰も興味を示さない。
私は少し笑った。
「安心してください」
少しだけ声を張る。
「今日は政治のお話はしません」
その一言で、数人が足を止めた。
「政治じゃない?」
「何を話すんだ?」
私は続ける。
「皆さん今日、パンはいくらでしたか?」
市場が少し静かになる。
一人の女性が小さく答えた。
「昨日より高かったよ」
私は頷く。
「そうですね。では、なぜ高くなったのでしょう?」
誰も答えられない。私はゆっくり続けた。
「小麦が急に減ったから?」
「いいえ」
「パン屋さんが儲けようとしたから?」
「それも違います」
人が少しずつ集まり始める。
荷車を押していた男性も足を止めた。
私は黒板へ丸を描いた。
「皆さんが持っている紙幣。これが昨日より増えたら、どうなると思いますか?」
一人の商人が腕を組む。
「価値が下がるな」
「その通りです」
私は笑顔で頷いた。
「共和国は今、お金をたくさん刷っています。だから、お金の価値が少しずつ下がっています。その結果、パンの値段が上がるんです」
人々が顔を見合わせる。
「そういうことだったのか」
「初めて聞いた」
私はさらに続けた。
「皆さん!政治とは難しい言葉を並べることではありません!皆さんの生活を守ることです」
静かだった市場に、次第に人が集まってくる。
市場の店主。工場帰りの労働者。
買い物中の主婦。帰還兵。
気が付けば、演台の前は人で埋まり始めていた。
私は黒板へ次の言葉を書く。
仕事。食料。教育。物価。
「私達がやりたいことは、この四つです。仕事があれば生活できます。食料があれば飢えません。教育があれば技術が育ちます。物価が安定すれば安心して暮らせます」。難しい話ではありません。シュタインベルク領で実際にやってきたことです」
会場は静まり返っていた。
一人の老人が手を挙げる。
「嬢ちゃん本当にそんなことができるのか?」
私は迷わず答えた。
「できました!だから、ここへ来ました。もし失敗していたなら、私は今も領地で悩んでいたでしょう」
老人は静かに頷く。
「そうか……」
拍手が一つ鳴る。続いて二つ。三つ。
気が付けば市場中が拍手に包まれていた。
演説が終わる頃には、演台の前には数百人もの人々が集まっていた。
ヘルムは遠くからその光景を見て、小さく笑う。
「やるじゃねぇか」
ラインも目を丸くする。
「最初は誰も聞いていなかったのに……」
ヴィルは静かに頷いた。
「政治ではなく、生活を語ったからでしょう」
ウス・ライは必死に手帳へ書き込んでいる。
「これは明日の一面ですね」
私は演台から降りる。
人々の表情は、議会で見たものとは違っていた。難しい政治の話を聞いた顔ではない。
「自分達の暮らしの話を聞いた」
そんな表情だった。
私は空を見上げ、小さく呟く。
「国を変えるなら……まずは、人の暮らしからね」




